
〜タンポポの会に参加して〜(59歳女性)
青天の霹靂とはこの事である。 平成20年12月、医師から「明石がんセンターか、神大附属病院に行ってほしい」と言われ、すぐに紹介状を書いてもらい、その足で「明石がんセンター」へ行った。病院に行く道中、「何故私が・・・」その思いが頭をずっとめぐっていた。私には沢山の親戚がいるが、がんで亡くなっているのはほとんどいないと言ってよい。逆に夫の方は、半数以上ががんで亡くなっていたので、「夫はがんになる」というある種の覚悟はできていた。その分自分の身にがんという言葉が降りかかってきた時のショックは非常に大きかった。
担当医から、紹介状の検査結果から、悪性リンパ腫の可能性が高いのでどういう検査をするか説明を受け、MRI,CT,PET等あらゆる検査をし、その結果「低悪性度の濾胞性リンパ腫のステージW期」という診断が下された。 私の性格から言っても、もっと取り乱すと思っていたが冷静に受け止めている自分にびっくりした。後で考えてみると、この10年体に違和感を覚えていたので健康診断・人間ドッグを受けていたが、いつも「異常なし」の言葉一つで片付けされてしまっていた。それでも何かおかしいと思い色々な病院へ行くがやはり、悪い所は無いと言われ続け、やっと病気がわかったという気持ちがあったからだと思った。治療方法について詳しい説明を受けるが、この病気について全く知識がなく、本やインターネットで調べて、その中で人間ドッグにCT検査が入っていたら、もっと早くわかったかもしれない・・・そうしたら、ステージも違ったかもしれない・・・と思うと残念でならない。 病気がわかったらわかったで、不安が大きくなっていき、21年3月にセカンドオピニオンに行き、そこでもがんセンターとほぼ同じ説明を受ける。これからは自分が病気と闘わなければと改めて自覚すると共に、家族の支えが大きな力になる。まず情報や患者会を探す所から始めたが、この病気の講演会等が皆無に等しい事、患者会もわからず困ってしまい、支援センターに行き姫路に「たんぽぽの会」がある事を教えてもらい、参加させてもらった。血液の病気にも色々な種類があることを知ったり、自分の問題や他の人の話を聞いたり、松尾先生の話やご指導を受ける事ができ、元気や勇気をもらい、また頑張ろうという気力が湧いてくる。私はまだ抗がん剤治療は始まっていない。経過観察も治療の一つという方針で3ヶ月に一度の血液検査、6ヶ月に一度のCT検査を受けているこの状態が永く続き、一回でも多くこの会に参加できる事を願っている。
〜一人息子から病気にかかった母親を見て・そして最近の病院について感じる事〜
自分にとっても青天の霹靂であった。母と同じように、父親ががんになる事は覚悟していたが、何故母親が?という思いで一杯であった。自分も体が弱くよく病院に行く。しかし、最近いくつかの病院の先生方は、PCに向かって必死で文字を打ち込むばかり、患者の顔を見て、ここが痛いと言ってもそこは専門外。その言葉で終わってしまいます。もちろん医師にも専門分野もあり、そのおかげもあり、がんや難病等の病気もここまで研究が進み治療の選択肢も広がった。しかし患者側からすれば、もう少し話しを聞いてほしい、もう少し顔を見て話して欲しい、そういう先生方が増えて欲しいのも本音である。自分自身も、母親の事は理解したつもりであっても、その気持ちに寄り添う事はできても、その気持ちになる事はできない。がんや難病にかかってしまった本人に同情するのではなく、どう寄り添い、どう解ろうとするのかが重要で、非常に大事な事だと思う。現に母親も検査の一週間くらい前になると突如として、機嫌が悪くなったり、落ち込んだりする。そういう本人を前にただ単に今回の検査結果も多分大丈夫だから、などと、不用意に根拠の無い発言をしても本人を余計に落ち込ませたり、不安をあおったりするだけだと思う。不安な時だからこそ、その場しのぎの言葉を使うのではなく、その気持ちに寄り添うという事が非常に重要な事だと最近常々感じている。立場を共にし寄り添い、話しをし、自分だけでないという思いを共にする。そういう意味でこの会は病気を抱えてしまった人や、その家族にとってもとても大切で、重要かつ貴重な会だと思う。
68才 女性 再生不良性貧血 私は発病して14年目になります。当時は、現職で仕事が生甲斐でしたのでとてもショックを受けましたが、人生振り返える機会を与えてもらったと、善い方に観点を変えました。入院生活をして仕事を辞めたことは、不幸な出来事と思われますが、私にとっては、病気で苦しんでいる人を見ることにより、人の気持ちが解かるやさしい心に変わり、心が豊かになったように思います。
タンポポの会を保健所で教えていただき、参加することにより、同じ血液疾患の仲間と交流をもち、松尾先生による適切なアドバイスを得て、安心して毎日元気に過させて頂くことに感謝しています。
またタンポポの会計を担当させて頂き,当事者会員は勿論ですが、個人会員・法人会員の皆様には温かいご協力を得て、タンポポの会が成り立っており、交流会では笑顔で約10名の参加を得ていますことに改めて感謝申し上げます。
72歳 女性 悪性リンパ腫
私は悪性リンパ腫の治療を受けてから14年が過ぎました。一寸した身体の不調に不安な日々もあるのですが、三か月に一度のタンポポ会に参加して元気をもらっています。
信和クリニックの松尾先生は大変お忙しい中毎回ご出席下さいます。一つ一つ丁寧にお答えが返ってきます。また同じ病気の仲間や家族の人のお話を聞くうち、ホット温かな気持になり心が落ち着きます。松尾先生と仲間の皆さんに感謝しています。
58才 女性 慢性骨髄性白血病 私は発病して早15年になります。今考えるといろいろな人出会いが今の自分です。
泣いたり笑ったり毎日がジェットコウスターのように人生ですが、今こうして落ち着いて生活が出来るのは、必要な情報や人が手助けしてくださりタンポポ会があるのだと確信しています。毎日が感謝・感謝です
47才 男性 急性骨髄性白血病 私は37歳になる平成17年の2月に急性骨髄性白血病を発症しました。当時マスコミで連日のように報道されていた、本田美奈子さんと同じ昭和42年生まれで全く同じ時期に全く同じ種類の白血病に罹ったのです。紆余曲折があり、結果として本田美奈子さんは亡くなり私は生き残りましたが、ライバルであり同志である本田美奈子さんの死を、骨髄移植の移植部屋で見た時の衝撃は今でも忘れられません。ずっと自分が生き残った意味を考えてきましたが、闘病で苦しんできたこと、無くした物等悪いことばかりの人生にはしたくありませんでした。自分がどうやって切り抜けたか、どうやって乗り越えたかを参考に今闘病している人、これから骨髄移植を迎える人等に元気がでるアドバイスができれば、私の闘病生活も無駄になりませんし、もし本田美奈子さんが生き残っていたら恐らく同じような活動をされた事と思います。そう思い今は、患者会での色々なお手伝いと後輩患者さんへのアドバイス、そして骨髄バンクでのドナー普及の為のボランティアに参加しています。
最後に今闘病中の皆さんへ
血液疾患に罹って骨髄移植をしても、私達のように回復できます。 また、回復のあとには楽しい時間が待っています。 皆さん、くじけないで、あきらめないで!
以降順次アップしていきます♪
順次アップしていきます。

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