オチは、それから気が付いたように言いました。
「トーヤ先生。夕食はまだですね。すぐ仕度させましょう。」
それから、ヒカルに言ったのでした。
「食事の間に、君も少し、演目を考えられるだろう。 僕も準備があるから、今から1時間後に、勝負をする。それからトーヤ先生とは、勝負が終るまで、別々の部屋にいてもらう。公平に。」
ヒカルが通されたのは、やはり立派な部屋でした。 「パフォーマンスに必要なものがあるなら、何でも用立てるから。」 オチは、公平な人間でもあるようでした。
『サイ。俺、絶対にオチのゴ石が欲しい。』
サイは、少し微笑みました。 なぜなら、どうしても叶えたいものがあると、人は思わぬ力を発揮できるものでしたから。 『ヒカルには、才能があります。それは、芸を磨いてえられるものではないのです。元々備わっている、ヒカルはステージに選ばれるべき何かを持ってます。 そうですね。』
サイはヒカルに何をさせるべきか考えました。 食事を手早く済ませると、サイとヒカルは、早速、練習を始めました。 練習を始めると、ヒカルはもう旅の疲れなど吹き飛んでしまいました。
『せりふを覚えることよりも、気持を集中させることに力を注ぐのです。せりふは私が、教えます。時間がありません。気持の波を掴んで下さい。』
その難しい注文に、ヒカルはすっと答える事ができました。 欲しいもののためには、こんな力が出せるのでしょうか。 山の中で、あの緒方という男相手にヒカルが、どんな力を発揮したかを思い起こしながらサイは思いました。
今また、ヒカルは一足飛びに、いえ、二足も三足も先を進んでいます。
ヒカルは、何も道具は要らないからと断りました。 勝負の場だというステージを見て、ヒカルは目を丸くしました。 前に、街で見たライブハウスや芝居小屋など比較になりません。 美しい舞台でした。
『ほう。 まだ、きちんと使われていたのですね。』
そこには観客が集まっていました。 村の人々。 彼らは目が肥えていました。 オチの家が代々優れたパフォーマーを呼んで、ここで演じる時に、必ず呼ばれていたからです。
最初はオチのパフォーマンスでした。 研鑚を積んだ緻密な演技でした。 ヒカルは勝負を忘れて見入っていました。
オチは、技巧の必要なパフォーマンスを取り入れていました。 トンボを打ったり、ピアノを鳴らしたりもしました。 そして、話は伝統的な人気の筋書きのものでした。
ヒカルは目一杯拍手していました。
『ライバルに塩を送るのですか?』
アキラが少し心配そうに舞台の袖口にいる、ヒカルを見ていました。 でも、ヒカルは気付きませんでした。
『大丈夫。 オチはすんげー上手いけどさ。 俺
は、するだけのことをするだけさ。』
ヒカルは、旅の服のまま、ステージに立ちました。 あがるのではという心配は杞憂に終わりました。 大勢の人を見ると、ヒカルは、わくわくしました。 「俺、人に見られるのが好きなのかな。」
生まれて初めての舞台でした。 ヒカルは、低く歌いながら舞台の中央へと出ていきました。 その歌は物悲しい囚人の歌でした。 ヒカルはあの仮面の囚人を思い浮かべていました。
それから、一人芝居が始まりました。 無実の罪を訴えながら、思い出を辿る囚人。 そして窓から見える鳥を見つめ、“いつか空を飛ぶ鳥のように”という歌を歌いました。 いつか、あの鳥のように自由に飛ぶ時が来る、皆と歌い合い笑いあえる時が。 ヒカルは、楽しそうに、笑いかけ、希望の歌を歌い終わりました。 見ている人の心に希望の光が共に宿るような声と笑顔でした。
観客は、一瞬静まり返り、それから拍手が鳴り響きました。
ヒカルはあっという間に成長しました。 このステージで歴代の名優が演じた者にもひけをとらない感情を込めることができるのです。パフォーマンスが自然に身についているのです。
確かに未熟なところは、たくさんありました。 それでもその未熟さをカバーして余りある何かを持っているのです。 それは、見る人の心を捉えて離さない何かでした。
オチは、呆然としていました。 それでも彼は自負心の強い公平な男でしたから、やっとのことで言いました。
「僕は演技力では君を上回っていると今でも確信している。 だけど、君が何かを持っていることは認めるよ。 ただ、トーヤ先生のパートナーになるのがどっちかは今は、まだ五分だと思っている。 でも、君の潜在能力を認めて、ゴ石は渡そう。」
それはアキラが見ましたが、確かにゴ石でした。
オチが言いました。 「緋国のゴ石は、ひとつでは力が半減する。 二つあわせて、初めて力を発揮すると言い伝えられている。 僕はこの石を受け取った時、そう聞いたよ。」
よく朝早く、ヒカルとアキラとサイは旅立ちました。 歩き続けて、夕刻に、T国の中心に入りました。
「楊海公の館は、南西の方角の筈だけど。」
二人は、まもなく立派な構えの門に辿り着きました。
「楊海公にお取次ぎ願いたいのです。」
アキラは門番に携えてきた手紙を渡して言いました。
知らせを受けて、館の執事がやってきました。
「いつ着かれるかと、お待ちしておりました。 こちらへ。」
その言葉にヒカルとアキラは顔を見合わせました。
二人が、控え室に入ると、そこにはあかりと和谷と伊角がいました。
「俺たちが一日早かった。 お前たちが今日来なければ、あかりさんの用件を済ませて、先に緋国へ戻ろうと思っていたんだぞ。」
「ああ。でも意外に早く着いたな。」
伊角が労わるように言いました。
その時、ドアが開き、声がしました。
「アキラ君。 待っていたよ。」
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