この空の向こうに
(疑 惑)

4







     
アキラは数回だが勲にあったことがあった。
もっと小さなころのことだが・・・。3回忌までアキラは自宅に
参っていた。
けれどアキラが訪問すると美津子が辛そうで
それ以来自宅には行ってない。

アキラは唇をぎゅっと結んで盤面を見た。
勲は和谷に2石を置いていた。
終局まじかになってもそれで互角であるなら
相当強い。しかもまだ勲は10歳になったばかりだ。

勲が姿勢を崩したのはその直後だった。

「負けました。」

「ああ、ありがとうございました。」

この時になって勲は伊角とアキラの存在に気付いた。

「伊角先生。それに・・・塔矢名人・・・・・?」

声を聴いてアキラは納得した。
エレベータから聞こえた声は彼のものだ。
容姿だけでなく声もそっくりだった。

「はじめまして・・・かな?」

初対面ではないが、物心つく前の事だからそれでいい。
アキラは迷わず手を差し出した。

「あ、初めまして」

勲は緊張した面持ちで差し出された手を握った。
その手も背も小さかった。
本当に出会ったころの進藤のようだった。



「よかったら僕とも対局してもらえないかな。」

「はい、喜んで!!」

今にも対局しそうな勢いで片付けだした勲に伊角は苦笑した。

「すまない塔矢、勲との対局は今度にしてくれないかな。
親御さんとの約束で勲は9時までには帰宅させることになって
るんだ。」

すでに8時を回っていた。
10歳の子供なのだから当然だった。

「そうですね。僕の方こそすみません。」

アキラは配慮が足りなかったことを謝って勲と向き合った。

「勲くん、だったらまた改めて対局を申し込むよ。」

「ええ!!打ちたかったのに・・・。」

勲はぶっと頬を膨らませた。対局してるときは真剣そのもので
何物も近づけさせないような・・・大人びた表情だったのに。
こういうところは思った以上に子供ぽいとアキラは思った。

「ダメだ。明日は学校だろ?お母さんが言ってたぞ。
勲は手合いの翌日は朝起きない、って」

「だって疲れるから・・。」

「だったら早く帰らないとダメだろう。」

伊角が諭すと勲はしぶしぶ立ち上がった。

「そうだ。これ勲が楽しみにしてた温泉旅館のイベントの最終案内
なんだ。お母さんに渡すように。」

伊角は思い出したように封書を渡した。

「やった〜。」

勲の顔がいっきに高揚し飛び跳ねた。
先ほど拗ねていたこともすでにどこかに飛んでいる。
和谷も伊角もそれに笑った。
アキラは伊角に訊ねた。

「イベントって週末の?」

「ああ、勲はこういうイベントは初めてでさ。
塔矢も参加するのか?」

「いえ、僕は、」


囲碁ファンの好評を得て開かれる温泉旅館のイベントは年に
何度かあるが次週行われるイベントは特に大きかった。

浮かれる勲の背を和谷が叩いた。

「ほら、勲帰るぞ。伊角さん勲を駅まで送ってくるな。」

「ああ頼む。」

和谷が伊角とアキラを気遣ってそう言ったことは後で
わかったことだった。


「勲くん、」

アキラは勲が退出する前に声を掛けた。
勲が振り返る。

「次は必ず打とう。」

「はい、塔矢名人楽しみにいてます。伊角先生さようなら、」


和谷と勲が帰っていく姿を見送った後、
伊角は話を切り出した。

「勲はオレの弟子なんだ。」

「そうなんですか?」

「ああ、1年ほど前かな。進藤のお母さんから電話があったんだ。
勲が碁を打ちたいって言いだして困ってるって。
碁盤をみると・・・辛くなるから
ずっと物置の奥にしまってたらしいんだが。たまたま見つけた勲が
やってみたいって強請ったそうだ。電話をもらった時
「あの子が残したものだからそれも
いいかもしれない」って涙ぐんでいた。」

アキラはそれに無言で頷いた。

「始めはオレの知ってる子供教室を紹介したんだけど勲の成長は
著しくて教室で収まりきらなくなってオレの弟子にした。
今は院生で、すでに今年のプロ試験受験資格も得てる。」

1年でそれほどとは。進藤も目覚ましい成長をみせたが勲は
それ以上かもしれなかった。

「それはすごいですね。」

「ああ、オレも驚いてるんだ。」

そう言ってから伊角は少し躊躇した。

「本当は進藤のお母さんはお前に勲を頼もうかと悩んだ
んだ。
でも勲は進藤に瓜二つだから塔矢が辛い思いするんじゃない
かって・・言ってた。」

美津子はアキラとヒカルの関係に気づいていたのだと思う。
それを見ぬふりをしてくれたのだ。

「そうだったんですね・・・。」

「隠していたわけじゃないが今まで言う機会もなかった。
それにいずれわかることだと思ったし・・・。」

アキラには伊角が言わんとすることがわかった。

「いずれ勲くんがプロになると。」

「ああ、そうだ。流石に今年の入段はわからないが必ず
オレたちと同じ土俵に上がってくる。だから・・・。」

アキラはそれに頷いた。

「ええ、楽しみにしてます。」

丁度その時勲を駅まで送った和谷が戻ってきた。

「和谷ありがとうな。」

「いいよ、伊角さんの弟子はオレの弟子のようなもんだし。
勲は進藤の弟だからな。それより話は済んだのか?」

「ああ。」

「そっか、塔矢驚いたんじゃねえ?」

和谷に聞かれてアキラはまだ微かに震えが残っているのを
感じていた。

「進藤かと、」

アキラの正直な気持ちだった。

「成長を重ねるたびにな。きっともっとあいつに似てくると思う。
だからオレたち・・・ちっと覚悟してた方がいいぞ。」

「ええ。」

和谷の言う通りだとアキラは思う。
進藤と同じように勲が強さを求めれば必ず上がってくるだろう。
それが楽しみであり待ち遠しいと思うと同時に
アキラはきっとその成長を彼と重ねて苦悩するだろう。
進藤が生きることが出来なかったその先を・・・。

もっとも和谷はそこまでアキラを思って言ったわけではないだろうが。

「そういえば塔矢、お前この間ネットでsaiと対局したよな。」

またその話かとアキラは苦笑した。

「塔矢は対局してどう感じた?」

「どうっと聞かれても・・。」

和谷の質問には何か意図がある気がした。

「いや、以前のsaiと比べてさ。あっ以前と言っても進藤
じゃねえぜ。本物のsaiな。」

和谷の考えが少し読めた気がした。
今世間を騒がしているsaiは以前アキラがプロなる前に
ネットで対局したsaiじゃないかと和谷は思っているのだろう。
つまり塔矢行洋とあの対局をしたsaiだ。

一般的にはあの時の対局は進藤だったと思われているが。
和谷もそれはないと知っている。

それはアキラが進藤自身から聞いてる。
saiは父との対局後に・・・・。

「すまない。そこまで僕には量れなかったよ。」

「そっか。塔矢でもわからなかったか。
オレsaiが現れてからの2週間何度もsaiに対局を申し込ん
だんだけどな。
仕事じゃねえときは一日中ネット繋いでさ。saiが入室したら
すぐわかるように登録して。けどダメだった。
お前みたいに本名で登録すればよかったのか。それとも子供の頃
使っていたハンドルネームZERUDAのままがよかったのか・・・。」

それに伊角が笑った。

「saiは何百と打ってるんだろ?だったらいちいち相手の名前まで
覚えてないだろう。」

「いや、わかんねえぜ。オレは以前saiと唯一チャットしてるんだ。
覚えてるかもしれねえだろ?だから日本の『プロ棋士』
ZERUDAで再登録し直したんだけどな。
塔矢と対局してからちっとも現れねえんだよな」

以前のsaiと今ネットを騒がせている人物は同じsaiであるはず
がない。
そう思ったアキラはハッとした。



進藤は「saiは死んだ」とはアキラに一言も言わなかった。。
そう・・・仄めかしはしたがそれはアキラの思い違いではなかったのか?
だとしたら和谷の言う可能性だってある。


そしてその瞬間アキラの中にもう一つの疑惑が浮かんだ。
進藤の弟・・・・進藤勲。

・・・・『ISAMU』って。




「SAI」・・・がその名に入っているじゃないか。


まさか彼がsaiとは思えないが進藤と接点があったsaiなら
勲にあっても可笑しくはない。

それに勲は進藤の弟なのだ。
進藤の登録したパスを使うことも可能かもしれない。


アキラは自身が至った結論が正しいとも思えなかったが
探ってみる価値はあると思った。



進藤とsai・・・そして勲の関係を。


                                  5話へ
     
    





さて・・。5話から一気にお話しが変わるので大まかでも
タイトルを変えた方がいいかな?と思ったりしてます。
そして次から・・・?




目次へ

ブログへ