絆 1





     
TV電話越しの母の声はいつもより遠い。

「アキラさん 大丈夫。困ってない。」

「心配しなくても大丈夫だよ。みんな親切で優しいんだ。」

心配させまいと思って言っているだけではない。
ここの先生たちは皆 親切で子供たちへの指導も行き届いている。

朝、遠巻きに見ていた寮生たちも少しずつだが昼休には
話しかけてくれるようになった。もちろんそれは進藤の
気配りがあっての事なんだけれど。


「アキラさんいつだって帰って来ていいのよ。
あなたの家はここなのだから、遠慮する事なんてなにもないから。」

たった1日離れただけなのに母がこんな事を言うなんて・・・。

「ありがとう、かあさん・・・あの、おとうさんは、」

「居間にいるけれど。」

「お父さんに代わってもらえませんか。」


「無理だとおもうわ。アキラさん。お父さんの気持ちもわかってあげて。
本当は破門なんてしたくなかったのよ。
あなたには決して言わないけれど、本当は・・・」



嗚咽するように口元を押さえた母を僕は正面から受け止める事は
出来なかった。


父さん 母さん ごめんなさい。


受話器を置いた指は震えていた。




がちゃりと部屋のドアが開いて、進藤が顔を覗かせる。


「塔矢・・・?」

僕は必死で泣き顔を隠すが直ぐに悟られてしまう。

「どうした 名人に何か言われたのか!」

「そうじゃない。そうじゃないけれど・・・」

進藤がそっと僕を包み込む。温かい腕。
君が傍にいれば何も怖くない。何も・・・

だけど僕たちは二人で生きていくために大事なものを幾つ失くしてしまうんだろう。



「塔矢 。」

「進藤ごめん。」

「何いってるんだよ。」

「ありがとう。もう大丈夫だから。」

「うん」

進藤の腕を離そうとすると今度は進藤が僕の腕にしがみついて来た。


「どうかしたのか?」

「うん。俺さここにはいられないんだ。親父のやつ
承諾書にハン押さなくてさ。だから・・・」

「そうなんだ。」

もともと一人で剛の弟子になるつもりだった。進藤が破門になって
一緒にいられると思い舞い上がってしまった気持ちも確かにあったけれど。


「でも、俺 春休み中も学校始まってからも来れる限りここには通う。
だから週末の休みには塔矢が俺ん家に泊まりにこいよ。」


週末の連休には東京近郊にすむ寮生たちは家に帰る
者も多いらしい。


「君のお父さんがいるのにいけないよ。」

「そんな事気にするなよ。意外とお前が来ると喜ぶかも。
名人の鼻を明かせるって。」

言ってしまってから気まずそうに下を向いた進藤に僕は苦笑した。




「ありがとう。進藤そんなに気を使わなくても大丈夫だから。
さあ、今から対局だよ。君の生徒たちも待っている。いこう。」



夕方まで寮生や剛の門下生のプロ棋士たちとの対局に
検討をこなしたあとには進藤の姿はなく僕がそれに寂しさを感じたのは
言うまでもなかった。










ヒカルが寮に戻ったのは夕食後の自由時間だった。

「なあ 塔矢いないの?」

返事を返したのは談話室でTVをみていた寮長の田村だった。

「ああ。買出しに行って来るって、門限までには必ず戻って
来るって行ってたけど・・・」

「そっか。」

「ヒカルくん それ碁盤?」

ヒカルが抱えていた大きな箱に目ざとく目をつけた寮生たちが
尋ねてくる。

「ああ。あいつ碁盤ないと不便だろうなって持ってきたんだ。」

「預かっておこうか?」

本当は自分で渡したかったがやむえない。

「うん。じゃあ田村さんにお願いしようかな。」




諦めて談話室を出たところで大きな紙袋を提げた塔矢と
出くわした。


「進藤!」

「うわ〜お前すげえ荷物だな。」

「うん。必要な衣類や日用雑貨を買って来たから。」

「なあ、碁盤は買ってない?」

「買いたかったけどこの荷物で諦めたよ。また明日にでも
買いにいくつもりだけど・・・」

それを聞いてヒカルは安堵する。

「よかった。俺、塔矢が碁盤がないと困るだろうと思って持ってきたんだ。」

「本当?」

「うん。」

ヒカルがもう1度談話室に戻ると田村が笑いながら箱を渡した。

「ヒカルくん 自分で渡した方がいいんだろう。」

田村の言った事に照れながらヒカルはそれを受け取った。


「お前の部屋いこう。」


二人は腕一杯に荷物を抱えながら部屋へといそいだ。





部屋に入るといやおうなしに昨夜の事をおもいだした。
昨日は塔矢と抱き合ってここで寝た。本当は今日も
そうやってここで塔矢と過ごせたらと思う。
でもそれは許されてはいない。


「進藤 その箱開けていい?」

ヒカルは持っていた箱を塔矢に渡した。

「うん。かなり重いぜ。」

碁盤と碁石は重いものだ。だがヒカルがあえてそういったのには訳がある。
箱を開けた塔矢が驚いてヒカルの顔を見た。


「進藤 これは、君が大事にしていた碁盤じゃないか。こんな大事なものを
僕は借りれない。」

そう、これはヒカルが何より大事にしていた碁盤だった。

昔、碁の神様が宿っていたといわれている進藤家に代々に伝わる碁盤だ。

とはいっても実の所ヒカルももうそんな迷信まがいの事は信じてはいなかった。

だけどこれはヒカルも塔矢の爺ちゃんたちも打った碁盤でずっと
お互いを結びつけていたような気がするんだ。



「だからこそ 塔矢に持っていて欲しいんだ。俺。」

「進藤?」

「俺お前の傍にいてやれないから。そのいつか一緒に住む時までさ
お前に持っていてもらいたいんだ。」

塔矢はその碁盤をそっと置くとヒカルを強く抱きしめた。

「進藤ありがとう。大事に使わせてもらうよ。」

「うん。」

見つめあった瞳に唇が触れあおうとした瞬間 ヒカルのポケットの携帯が
音を立てた。

慌ててヒカルが携帯を取る。


「ヒカル 何してるんだ。遅い!」

「親父かよ。 もうバカ。」

親父を外に待たせていた事を思い出してヒカルは慌てた。

「送ってやったのにバカはないだろう!」

良い所だったのにとはさすがに言えずそれでもヒカルは抗議した。

「だから もうちょっと待ってくれよ。」

「待つのはあと5分だけだ。」

「5分?!もうそんなんだったら俺と一緒に寮まで来ればよかったのに!」

そう言いながらヒカルは受話器を切った。


「本因坊から?」

「うん。」

「相変わらずだな。君も 君のお父さんも。」

「そうだろ。なんかしらねえけど爺ちゃんと昼間ひともんちゃく
あったらしくて寮には入りたくねえっていうんだぜ。もう子供なんだから。」

塔矢が可笑しそうに声を立てて笑う。

「君も十分子供だけどね。」

ヒカルはぷっと噴出す。

「まあ そうだけどさ、」

「ほら、君のお父さんが待ってるよ。」



塔矢にそういわれてヒカルは胸が締め付けられた。
名人だって塔矢の事を待っている。きっと・・・。

「ええっとさ、塔矢・・」



こんな時に掛ける言葉が見つからない。
だからかわりに・・・ヒカルは塔矢に近づいて唇に触れた。



「明日は親父の研究会があってここにはこれないんだ。
あさって棋院で・・・」

「うん。」



いつまでもここにいたいと思う気持ちをふり払ってヒカルは部屋をあとにした。


     
      


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