若林通信




院長からのお知らせや、連載の解説など書いています
 2005年2月21日(月)
 平清盛(ミセス3月号掲載)を読まれた方へ

 平清盛いかがでしたか。まるで奈良の諸寺を焼いたための仏罰のように、地獄の業火に焼かれるような高熱にさいなまれ、苦しみながら亡くなって行く清盛の姿は鬼気迫るものがあります。「あつち死」とは言いえて妙ですね。しかし、現代から見ると抗生物質さえあれば、おそらくは助かっていたはずで、何ということはなかったのです。歴史に「たら」は禁物ですが、清盛が助かっていたら源頼朝の天下もどうなっていたかわかりません。死を前にした清盛の最大の後悔は頼朝を助けたことでした。武士の情けで頼朝を助けたのでしょうが、それが仇となってしまったのです。後に天下を取った徳川家康は、鎌倉時代の記録文書である『吾妻鏡』を熟読していました。おそらくその影響でしょうか。頼朝を助けたために滅んだ平家を反面教師にして、自身は豊臣家を徹底的に滅ぼしたのです。 平家にとって清盛の死は決定的でしたが、その前に、知略もあり人格者でもあった清盛の長男の重盛が亡くなっていたのが致命傷でした。「負ければ賊」で、敗者の清盛はみそくそに言われていますが、日宋貿易をさかんにし、神戸港の原型である大輪田の泊を整備するなど、それなりに功があったことは否定できません。反感を買った福原遷都も、貿易立国を目指してのことだったのでしょう。しかし、そんな清盛の夢も「諸行無常の響」を残して歴史の荒波の中に消えてしまったのです。すべては、清盛の頭風(頭痛)から始まったことでした。怖きものーー汝の名は頭痛。頭痛に興味のある人は、小生の著書『本当は怖い頭痛の話』(オーエス出版社)を参考にしてください。
 では、来月は絢爛たる平安時代を代表する『源氏物語』の著者である紫式部のことを取り上げますので、乞う、御期待。


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