41話 The Forgotten Things

「何って、今日は渡晴くんの誕生日でしょ? 本当に忘れていたの?」
確かに、言われてみれば今日はそんな日だったように思う。美久が戻ってきてから──いや、それ以前、美久が去ってから、そんなことはまったく考えてなかった。僕の誕生日、それが美久の再び去る日……。
「もしかして、僕の誕生日が今日だから、今日帰るのか?」
「今更気づくなんて、遅いよ。私は、ちゃんと渡晴の誕生日を見越して、あの日に来たんだから」
それが、美久が“あの日に”現世に来た理由……。
「だから、夜でいいよね?」
「ああ……。今渡されると、聡司にバレるかもしれないしな……」
「聡司くん?」
「渡晴……、それは……」
「えっ、あぁ。聡司にそれが何かって聞かれても困るしな」
本当は、聡司に嫉妬されても困るから──。
「う、うん……」
どうやら、茉子は何か抜け切らないものを感じたらしかった。しかし、それ以上問い詰めるわけにもいかず、致し方ないようだった。
「夜は、誕生日会も兼ねるのか……」
渡晴が一人、そう呟く。何か古めかしいような懐かしいようなその響きに、二人に出会うこの大学さえもぼんやりとしか知らなかった時のことが蘇ってくるようだった。

幼き日の思い出、“誕生日会”。小学校の入る以前の、近所の知り合い──といっても所詮、幼稚園に入っているような頃だから、範囲は知れている──同士で、お互いの誕生日を祝って集まる会。誕生日近辺の土日や祝日に、その誕生日の子の家へ行って、誕生日を祝う……。もっとも、当時の私たちは祝うためにいくというよりも、そこで出される料理を楽しみにして行っているような感覚だった。そこでみんなで持ち寄った誕生日プレゼントをあげる……、それが恒例の行事のようなもので、毎年繰り返されていた。小学校に入ってからは、二年生辺りまではまだしていたが、中学年ともなるとそれは自然消滅の形となっていった。友達の誕生日のためのプレゼントを買いに行く、それが何故か印象強く心にあるのだった。
美久がこの世から去ってから、誕生日などという存在は気にもかけていなかった。今その言葉を聞いて、頭に浮かぶのはあの時のこと。それは美久の誕生日──五月十三日で、僕たちが付き合い始めた日の二日後のこと。
僕らが付き合うきっかけとなった十一日の放課後の、握手を交わしたその後、僕らはお互いの電話番号と住所を交換してからその場を後にした。
彼女は茉子の待つ部活に行き、僕は誰も待つことのない自らのアパートへと帰る。ただこの日は、いままですっきりとしなかったものが達成感に満ち満ちて、開放的な気分になっていた。あの頃は毎日買っていたコンビニの弁当もこの日は少し値段を高めにするような、自分に対する労いのような感覚さえあった。
いままで、ただ一方だけだった気持ちが繋がるような感覚があって、晴れ晴れした気分だった。過去に何度となく浮かんだその顔も、距離が随分近くなった気がして、僕は自分に対して少し誇らしかった。
その翌日である十二日。
その日、僕は少し浮かれて自分のアパートを出て、学校へと向かった。学校についてからは、僕自身はそれを外には示していないつもりでいたのだけれども、聡司に嬉しそうにしているのを見事に見抜かれてしまった。昼食の時間になって、僕らが付き合うことになったことを美久が告げると、聡司は“やっぱり”と思っているような雰囲気で、茉子は……、彼女は“よかったね”と一言漏らして、その後しばらくぼうっと窓の外を眺めていた。普段なら、自らが率先して会話を引っ張って行く茉子が、聡司に触発されてようやくいつもの調子になっていた。
さらに次の日、十三日。
この日も、いつもと同じように訪れていた。僕は昨日よりも少しは冷静な気持ちで学校へと向かい、廊下で会ったときに美久にウインクされて、その後の講義をぼんやりと過ごしていた。
その気持ちが少し落ち着いた頃、今度は廊下で茉子と出会った。彼女は幾分かいつもより口数が少なかったような気がしたけれども、そのうちで今日が美久の誕生日であることを告げた。思いの他近かった日にちに、僕は為すことも分からないまま、ただ悩み過ごしたのを覚えている。
昼食の時間になって、誕生日に関して何も言わない美久と、いつも通り講義とはまるで違う様子の聡司と、ぼんやりと窓の外を眺めている茉子がいた。結局この日は、美久に一言“おめでとう”と告げるだけに終わって、それ以上のことは何もできなかった。なんせ、彼女は自分から誕生日を語ろうとはしなかったし、“おめでとう”を告げた時さえもお礼と“別によかったのに”としか言わなかった。彼女は自らの誕生日に関して、それほど執着を持ってはいないのだろうか。
その日、僕は、来年こそはちゃんと祝おうと思っていたのだけれども、もうそれも叶わぬものでしかないのだろう……。
一方、渡晴の誕生日である今日は、今宵、私が腕によりをかけて夕食を作るつもりでいる。ただ、材料は渡晴の自己負担だから、安上がりが目標だ。それでいて、美味しいものを作ることこそ、一種の美ともいうべきであろう。
……私の誕生日? それは、確かに五月十三日であったけれども、付き合って間もなかったから、渡晴にそれを言うことを躊躇っていただけで、別に誕生日という行事が嫌いだとか、どうでもいいものだと思っていたわけではなかった。祝ってくれる人が一人でもいる限り、嬉しいことに変わりなく、茉子が教えたとはいえ、渡晴がああして言ってくれたことはもちろん嬉しかった。私がこの日を渡晴と過ごす最後の日に選んだのも、渡晴が私の誕生日にああ言ってくれたお返しがしたかったという理由もあるのだ。
もう私の誕生日が現世で訪れることはないけれど、これから先、渡晴の誕生日が幾度となく訪れる度に、誰かが彼の記念日を祝ってくれれば、私はそれで満足だった。その相手が、本当は自分でありたかったのだけれども、この身となってしまっては仕方ない。私は空からそれを眺めているだけになるだろう。その相手が、茉子なら、彼女は自身の希望が果たせたということになるのだろうか?

放課後、しばらく二人でメインホールで過ごした後、部活を早めに終えた茉子と共に僕らは電車へと乗り込んだ。この時間だから車内は比較的空いていて、僕らは座るところに困らなかった。僕と茉子が正面に向かい合わせで、茉子の隣に美久が座る。僕の隣は荷物が置かれていた。美久は些か気を遣ったのだろうか。ぼんやりと窓の外を覗くその横顔は、少し淋しげにも見えていた。あの喧嘩していたはずの美久と茉子には今はその形相もなかったけれども、気のせいか口数は少ないように感じた。
自宅に着き、今日は夕食を作らないので暇な僕と客人である茉子は、僕のベッドの上にいた。美久は、台所で一人黙々と調理に取り掛かっていて、あの調子だとテーブルが狭いのではないかと少し杞憂するほどだった。
一方の僕と茉子は、二人ベッドに寝そべって、ぼんやりと天井を眺めていた。何か目的があるというわけではなく、特に話すこともなく、ぼんやりと……。うつらうつらとする眠気はないにしろ、寂寥と倦怠はあったような気がしていた。
「今日で最後か……」
僕は自ずとそう呟いてしまっていた。
「手伝いに行かなくていいの?」
台所の方を一度見てから、茉子は僕に向かってそう言った。
「今日は、一人で作りたいって。そう言ってたから」
「そう。ここで渡晴くんに作ってあげられるのは最後だからかな……」
「多分、そうだと思う」
「渡晴くんは、もう一人でも大丈夫だよね?」
まるで、小さな子に諭すような言い方で彼女は言う。
「うん、特別な料理はできないけど、自分が食べる程度なら」
「よかった。前なんて、見ていて心配になるくらいで。コンビニの弁当がメインでは、いつ体調を崩すのかって……」
「ごめん……。心配ばかりかけて」
「いや、気にしないで」
焦ったようにそう言って、彼女は少し上体を起こした。
「私は、ただ──
「準備できたよ」
まるで彼女が言うのを制するかのように、リビングの方から美久の声がした。
「……できたって」
そう言って、彼女はベッドから立ち上がり、一人リビングの方へと歩いていった。
今彼女は、一体何を言おうとしていたのだろうか。
「渡晴くん、早く!」
「うん」
僕は茉子に呼ばれ、ベッドから起き上がって彼女と同じようにリビングへと入っていくのだった。

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