40話 そして今日

滞在可能日数は予め決まっていた。では、何故敢えてあの日にここに現われたのか。それは、二週間前ではなく今日であってもよかったはずだ。それなのに、あの日にここにきた理由……。
今日が一体何の日か、渡晴は気がついているのだろうか。

最終日の朝。それはいつもと変わらず訪れて、何の変哲もなかった。昨晩、茉子に電話を入れて夕食の旨を伝えると、彼女は快く賛同してくれたので、夕食は三人で摂ることになったという、時たまあるようなことがあるだけだった。
空は晴れ渡り、雲は遠くに見えるだけで、遠くにある山もくっきりとこの目に映る。世界はいかにも平和なように感じられる。嵐など何処にもない、清清しい空気と明明(あかあか)とした太陽が、僕らを包む。そんな風に何かが変わるような予感があったけれども、世界はいつも通りに回っていた。
今日は……、最後の日であって。それはつまり永遠の別れを意味し。本来なら一ヶ月ほど前であったその時の遅延の結果ともいうべき日で。悲しむべきだというのに、何故だか僕は新しいことが始まるような気がしていた。
明日という日が、どういう形で訪れるのか。そんなことも知らずに……。
今日の渡晴は少し楽しそうだった。何故だろうか、本来なら私がいなくなるというから逝かないでと懇願することもあっていいだろうに、彼はそれを快く受け入れようとしていた。
私自身は……、渡晴と離れることには抵抗はあった。でも、ここへこうして戻ってきたことに対しては、それなりに満足できていると思う。
もう彼は、私が去った時のようにコンビニの弁当だけで生活するようなことはなくなった。食事の面では、おかげで自炊できるようになったわけだから、私としては大いに満足だった。私がいなくなったことで、彼は大いに沈んでいたけれども、私が戻ってきたばかりの頃に比べて、今の彼は元気そうであるし。明日から先の彼がどうあるのか予想できないけれども、少なくとも私がこの世から逝ったあの日よりも、少しは元気でやっていそうな気がする。それならそれで、いいだろう。
茉子も……、きっと……。私が去ってからでも、ちゃんと渡晴を守ってくれるだろう。それは、渡晴にしても同じであろうと思う。付き合うなんて、贅沢なことをお願いしたけれど、二人がずっとどこかで繋がっていれば、きっと二人とも大丈夫だろう。私はそんな風に、二人に対して安心しきっていた。
真実というものが、どういうものであるのか。そんなことにも気づかずに……。

朝の駅への道を二人並んで歩く。僕が左側で、美久が右側。そこに会話というものはなかったけれども、言わずとも伝わってくるものはあった。
  朝の街はいつもどおりで、あの日のように小学生の登校する風景が目に映っていた。彼女は相変わらず班長旗を振っていたけれども、あの二人の男の子の姿はその両脇にはなく、少し離れたところで仲よさそうに会話をしていた。それを彼女は気にも留めていない様子で、ただただ班を先導して歩くのみ……、いや、彼女には先導しているという意識もないのかもしれない。ぼんやりとそんな様子に目を遣り、あれからの時の経過を思う。
二週間……、その短い時間の間に色々なことがあった。美久に再び会えたし、彼女の料理を再び食べることもできた。それが今後にどう影響するのか、それは何も分からないけれども。今後といえば、一番気がかりなのは、美久が去った後の茉子とのこと……。彼女とはどうあるのだろうか。“付き合う”ということが美久に対しての誤魔化しであるのならば、彼女が去った後の僕らは、また友達なのだろうか。最初から“ふり”なのだから、そうなることは当然であるのだろう。でも、そうあるのが何か釈然としない気がして、歯痒ささえ感じていた。
あの電車に揺られ、学校へと向かういつもと何も変わることのない日々。それが渡晴と居られる最終日であるとは、雰囲気としてはとても思えなかった。繰り返される普遍的な日々と何も変わることのない風景、それが今日も訪れる。そうであって欲しいと願う私と、今日という日にちが意味すること。私が予め決めた、期限日。それと同時に、今日は……。朝から渡晴はいつも通りだし、やはりもしかすると当の本人はすっかり忘れてしまっているのかもしれない。自分のことであるのに、本人にはその意識がないのだろうか。私がこの日を最後にした意味を……、渡晴は分かってくれるのだろうか。なんだかそれが、心配になってきた。
大学も、いつもの場所にいつもと同じようにあった。人の流れも何も変わらず、惰性のように駅から人が流れてくる様子も。校庭も、校門も、いつもと大して変わりなかった。違うものといえば……、ただ、自分が置かれた状況だけだった。それも、おおよそは美久との状況のみに関わる話で……。
流れ込む水のように駅から伝わる人の波に巻かれ、ただそれに沿って動くのみだった。隣にいる美久は、そんな学校の状況をぼんやりと眺めて何かに耽(ふけ)っているようだった。多分、僕もここを卒業する時には同じような気持ちになるのだろう。そのときにはもう隣に美久はいないけれど……。
火曜日は聡司や茉子と講義の重なる日である。
一限目は聡司と同じ講義。彼は相変わらず、席を一つ空けて僕の近くに座る。美久はその空いた席に座って、ぼんやりと窓の外を見ていた。さすがに聡司が近くにいるものだから、本を読むわけにもいかないのだろう。
窓の外の風景は晴れていて、少し秋風が吹いて木の葉が揺れていた。空にはいくらか雲が浮いていて、それらは比較的速いスピードで空を流れていた。
講義の最中、美久はいかにも暇そうにぼんやりと黒板を見ていた。文字の羅列があり、教授が語る様、美久にしてみれば見ていても仕方のない光景であろうに。しかし、こうあるのも彼女にしてみれば他にすることもなく、仕方ないのかもしれない……。
こうしている時間、美久と語ろうものなら、過去をどれだけ語れるだろうか……。
火曜日は茉子や聡司と講義の重なる日らしい。
三限目は茉子と同じ講義。彼女は相変わらず、席を一つも空けず渡晴の隣席に座る。私はその隣の席に座って、ぼんやりと渡晴の様子を見ていた。さすがに茉子が近くにいるものだから、話さないわけにもいかないのだろう。
渡晴の周りの風景は落ち着いていて、少し渡晴が目立って私の気持ちが揺れていた。内にはいくらか嫉妬が疼いていて、それらは比較的穏やかなスピードで心を流れていた。
講義の最中、茉子はいかにも楽しそうにぼんやりと渡晴を見ていた。ノートの板書があり、渡晴の書く様、茉子にしてみれば見ていても仕方のない光景であろうに。しかし、こうあるのも彼女にしてみれば渡晴の彼女でしかなく、仕方ないのかもしれない……。
こうしている時間、渡晴と語ろうものなら、未来をどれだけ想えるだろうか……。

「別に、渡すのは夜でいいよね?」
昼食の時間、聡司が未だ来ていないその場所で、茉子は僕にそう尋ねてきた。
「……?」
渡すって、何を? ああ……、美久に対する餞別の品のことか。
「いいんじゃない? 別に夜でも。どうせうちに来るのだし」
「えっ……? う、うん……」
何かおかしいことでもあっただろうか。僕は首をかしげてもみたが、思いつくことがなかった。
「やっぱり、渡晴は忘れてたか……」
私は渡晴に対してそう言う。
「何の話?」
その渡晴の疑問に対しての答えは、私が言わずとも茉子が先に言ってくれた。
「何って、今日は……

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