35話 擬似 〜罪悪感〜

映画といえばポップコーンと、僕は思っている。兎にも角にも、僕らは映画館の席の中央よりも少し前寄りの右側で、口にポップコーンを投入しながら映画の上映を待っていた。
上映まで十分と迫っていて、この席が空いていたことはよかったと思うけれども、周囲の客は一見してもカップルか夫婦だろうと思しき人ばかりだった。女性同士で話している組もいくらか見受けるものの、数えるほどであるような気がするし、益してや男性同士で話しているような組はいなかった。その中で、僕らは外見上カップルに見えているだろう。しかしながら、そういうわけではなくて、単なる友達なのだ……。
自分自身に言い聞かせるかのように心中で唱えて、再びポップコーンを投げ入れる。隣から茉子が、僕の膝の上に寄せて置かれたポップコーンをとって、自らの口に投げ入れる。一応、僕の奢りということで落ち着いたポップコーンの中身は、既に半分を切っていて、大分少なくなってきていた。
美久は、この席から二段ほど後ろの壁にもたれていて、少し退屈そうにこっちを眺めていた。僕は、自らの膝の上に置かれたポップコーンを、茉子の方に渡す。彼女はそれを"ありがとう"と言って受け取って二、三個つまむと、口に投げ入れて、筒を自分の膝の上に置いた。そして二人は、前を見て、映画が始まる時を静かに待った……。
二人の目的地は映画館だった。二人が買った映画のチケットには、見覚えのない映画の名前が書いてあった。
"メモリーレス・ラブストーリー"
記憶のない恋物語? 映画館前にある公開時期の書いてある立て看板を見ると、それはどうも私が去ってかららしい。それなら、知らないのが当然だろうけど……、何故かそれが気に食わなかった。上映開始時刻は今からおよそ八分後。ラブストーリーを見ている二人を見るということに少し抵抗を感じたものの、その反面心配になって、何とも言えない気持ちのまま劇場の中へと入った。

ジーという音と共に、幕はゆっくりと開いてゆく。それと同時に、明かりもゆっくりと消されてゆく。スクリーンに、映画会社のマークが映ったと思えば、辺りには未だ公開されていない映画の音が響いた……。
"メモリーレス・ラブストーリー"
その名の通り、主人公である彼はある事故を発端として、以前の記憶を喪失してしまう。その彼女は、最初はそのショックを拭いされないでいたけれども、次第に事実を前向きに捉え始める。そして積極的にその彼氏と想い出を巡る旅をして、彼に記憶を取り戻すきっかけを与えようと励むのだった。近くにある公園、夕陽の綺麗な岬、海水浴客で賑わう海……。国内一の観覧車のある遊園地、少し寂れた古風な博物館、巨大な水槽を構える水族館……。
それは何処か、自分にも共通点があるような光景に見えた……。

薄明かりの中、僕は時計を確認した。映画の上映時間は既に四分の三ほど終わっていて、物語はクライマックスへと近づいていた。
映画の中では、主人公がその彼女を待っていた。駅前のカフェの中、主人公は一杯のコーヒーを置いて、ただ彼女の到着を待って外を眺めていた。彼が既に来ているのかと思って店内を見渡し、再び店の外に視線を戻した時、急に雨が降り出した。同時に僕は左側に重みを感じて不思議に思い、横を向いて見ると、そこには茉子の頭があった。
「……茉子?」
僕は茉子に小声でそう呼びかけた。スクリーンの中では、窓に雨が当たっていて、雫が付いては落ちてを繰り返していた。
「しばらく、こうしていてもいい?」
茉子は顔の角度も変えずに、そう言った。僕は思わず背後を見ようとしたが、それを寸前で思い止まって、
「……うん」
小さく独り言のように呟いて、視線を再びスクリーンの方へと戻した。ちょうど、雨に濡れた彼女がカフェへと走りこんできた時だった。
彼は、彼女のその献身的な態度に惹かれていった。記憶が戻れば彼にはその感情が必然的に戻るのだろうけれども、彼はそれ以前に自然とそうなっていた。
彼女は、彼に記憶を取り戻してもらおうと必死だった。暇を見つけては、心当たりのあるところを巡って、その度に彼に記憶の帰還を尋ねるのだった。
ある日、彼と彼女は彼らの小学校を訪れ、まるで引き込まれるかのように校門を入っていった。二人は、小学校来の同級生で、中学校高校と共に歩んできた。彼女はそんな昔のことでと思って、ここに訪れるのをあと回しにしていた。でも彼は、そこで記憶を取り戻すことになる。そしてよからぬことも同時に思い出すのだった。
二人の影は、確認できるもののはっきりとしていなかった。ぼんやりとしていて、色が確認できるほどの明かりもなく、ただそこにいることが分かる程度で、私は納得できなかった。それは、今二人がどういう状態にあるのかがはっきりと分からなかったからだった。
彼が記憶を取り戻した理由。それは、この小学校が、彼女に彼が初めて会った場所であったから。
彼は当時から彼女に淡い恋心を抱いていて、小学生ながら一途だった。だからここ、彼らの通った小学校は彼にとって想い出の場所だった。
そして、彼が思いだしたよからぬこと。それは、事故に遭ったその日、彼は彼女に別れを告げようとしていたこと……。
事故に遭ったあの時、彼は彼女の献身的なまでのお節介さが嫌になっていた。
記憶をなくしていたあの時、彼は彼女の献身的な態度を自ら好きになっていた。
その二つをぼんやりと思いだして、彼はある決意をする。自分の中で、もう一度彼女とちゃんとやり直そうと。
スタッフロールがスクリーンに映し出されると、映画を見ていた何人かは席を立って、劇場をあとにした。僕は、肩に彼女を乗せたまま、それをぼんやりと眺めていた。肩の上の彼女は、もたれかかった身体を起こして、
「そろそろ行く?」
「うん」
そう言って席を立った時、視界に美久が映っていた。彼女は後ろで少しむすっとしているけれど、僕はそんな美久に対して何も言えなかった。
なんだかむしゃくしゃして気が気でなかった。暗いとはいえ、あれはないだろう、と。しかし私は茉子に二人が付き合うことをお願いした身で、何かを言えるような立場じゃなかった。でも、だからと言って、この興奮のようなものを鎮めることもできないでいた。
茉子は私がいないつもりでやっているのだろう。だとしても、いや尚更、自らの中から異様なまでに沸いてくる感情を押さえることもできなかった。しかし……、同時に、渡晴に対して少し悲しくもなっていた。

映画館を出た私達は、近くにあるデパートへと入って、そこで昼食を摂ることにした。しかしながら、まだ昼食には早いようで、僕らはデパートの中を歩いて時間を潰すことにした。
「ごめんね。さっきは急に、もたれかかったりして……」
「いや、気にするなよ。それよりも……、さっきから美久が変なんだけどよ」
「……嫉妬、かな。多分」
「嫉妬?」
「うん……。私に、ね……。仕方ないよ、美久は渡晴くんの彼女なんだから……」
茉子は寂しそうにそう言って宙をぼんやりと眺めた。
少しだけ落ち着いて思う。茉子は今現在渡晴と付き合っているから、ああしていても少しも不思議ではないのだ。そして私は茉子にあんなことを頼んだ身で、私が抱くこの感情も、あの願いも、戻ってきた目的さえも、理不尽なもので、身勝手なことなんだと……。
でも……、だからと言って、この嫉妬心が止むわけでもなく、どれだけ押さえても、胸中の何処かにはいつもあることに何も変わりはなかった。この感情が全くの正当性を帯びていないと分かっていながらもこんな嫉妬を抱いている自分を、私は自分で叱りつけたい気持ちだった。

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