28話 結果の予想

結局昨日はあれから一時近くまで話し続けていた。私たちは客観的にはそれほど長くは付き合ってはいなかっただろうに、話したいこと・話すべきことはいくらでもあった。何気なく見た時計の針が、零時を回っていたのを機に、私たちは過去話をとりあえず打ち切って、明日に備えることにした。しかしながら、結局は、どちらともなく話し始めて、それまでと同じように話が弾み、最終的に渡晴が寝てしまうまで──それがつまり一時だったのだが、その時まで延々と話し続けることとなった。何故今までそういう運びにならなかったのか謎めくが、もしかするとお互いに機会とやらを伺っていたのかも知れない。
いつものように目覚ましに起こされて、相変わらず隣で寝ている美久を起こそうと試みる。軽く揺すった僕に対して、彼女はニ、三言ぼそぼそと漏らして、一度上げた頭を再びベッドへと戻してしまった。致し方なく、二度寝してしまった美久を放って、僕は寝間着のままトイレを済ます。一度寝室へ戻ってきて、普段着に着替える。再び美久を軽く揺すると、彼女はようやく僕の方をぼんやり見て、時間を尋ねてくる。それに対し、僕が返答すると、彼女は"もうそんな時間かぁ……"と言う。
ベッドから出てきた美久を確認してから、僕は台所に入って、朝食の準備を進める。予約済みの炊飯器から、湯気が立っていて、炊き上がりの香りを漂わせていた。冷蔵庫から卵を二つ取り出して、棚から出したフライパンをコンロの上に据えて、卵を火にかけ、油を引いたフライパンの上に落とす。同時に隣のコンロに別の、少し小型のフライパンを乗せて、その上にハムを広げる。少し大きめの皿を準備して、目玉焼きとハムが出来上がるのを待機する。
ちょうどその頃に美久が台所に入ってきて、"今日はハムエッグか……"と言って、再びリビングへと戻っていった。何故か今日の朝食の担当は僕らしく、美久はのんびりとしているらしい。いつもなら共にここに立って朝食を作るのに、今日に限って、ここには来ないらしい。炊き上がったご飯に、ハムエッグ──贅沢言えばベーコンがベストだけど──、それからインスタントの味噌汁を添えて、お盆の上に乗せた朝食を、まずは一人分運んでいく。
美久はリビングで椅子に座りながら、本を読みつつラヂオを聞いていた。その前に、持ってきた朝食を並べ置く。彼女は僕の顔を一瞥し、軽く礼を言ってから再び本の方へ目を戻した。少し期待して、その場に留まっていたものの、美久はその後も本を読み続けるだけで、対して反応も見せなかった。仕方なく、再び台所に戻って自分の分の朝食を取りに行く。お盆の上にそれを乗せて、美久とは向かいの席に腰掛けて、自分の前に陳列する。卓上の醤油を取って、目玉焼きにかけるも、前の彼女は少しも手をつける素振りを見せない。
結局、僕が食べ終わるまで美久は本を読み続けていて、僕が彼女にそのことを告げると、彼女は慌てた風に目の前に置かれた朝食に手をつけた。それほどのめり込むような小説なのかと、彼女が横に置いている本を手に取り、その題名を見てみる。もちろん、以前読んだことのある本であるから、何となくは内容が思い浮かぶものの、何かぼんやりとしたところがあって、釈然としなかった。題名からさらにページを一枚めくって目次を開くものの、そこには第一章や第二章としか書かれていなかった。
「……」
僕は少し躍起になって、さらにページをめくっていった。
渡晴は何故か、私が今さっきまで読んでいた本を読んでいた。私が急いで朝食を食べている間、彼は既に読んだはずの本をずっと読み続けている。私が食べ終わって、食器を台所に運び始めた頃に、彼はやっとそれに気がついて、同じように食器を運び出した。あの本は、それほどまでに魅力的なのだろうかと思う私を余所(よそ)に、食器を運び終えた渡晴は再び本を読み始めた。彼に本を取られたため、特にすることのなくなった私は、テーブルに座って、のんびりと朝のラヂオを聞いていた。
昨日の事もあって、少し茉子と顔を合わせ辛いのは確かだ。彼女には、礼を言ったあとはただ"また明日"と交わしただけであるし、頼み事の返事をいつ言うのかなど、そのあたりのことは何も聞いていないので、それまでの時間は気まずいものでしかない。
私としては、茉子と私、それから渡晴が一緒にいる場所は非常に居心地が悪いような状況で、茉子に渡晴を頼むというどう考えてもおかしな状態において、どのように振舞えばいいのかがよく分からない。渡晴はそんな裏事情は何も知らず、いつもと同じように昼食を摂るだろうが、茉子はそこに私がいるから渡晴には接しにくいし、私も茉子がいるからどういう言動を持ってそこにいればいいのかが分からない。
どうも、昼食の時間は席を外す方が茉子とはお互いにいいようで、茉子にしても楽になると思う。彼女が一体どういった返事をいつするかはまったく持って分からないものの、その機会も与えぬようでは元も子もない。戻ってきてから、キャンバスの中をめぐることもなかったので、ゆっくりと散歩でもするのがいいかもしれない。

結局、僕は行く寸前まで本を読んでいた。以前読んだはずの本を読み返すという行為に、大した意味はないかのように感じられるかもしれないけれど、それは意外に新鮮で、何かと新たな発見があるものだ。ストーリーの展開と、その結末を知るからこそ理解のできることもあって、再度読むことには意味があると思うのだ。ただ、自分でも少しのめり込みすぎたように思う。何も、時間を忘れてまで二度読む必要性はないだろうに。
美久に言われて、やっと学校へと赴く時間だということに気がついた僕は、カバンとアパートの鍵を手に持ち、学校へと出発した。アパートの階段を降り、駅までの道をのんびりと歩く僕の傍を、彼女はたまに何か言葉を呟きながら歩いてゆく。何を思ってか、時たま歩くスピードを微弱に上げたり下げたりして。その理由を訊くこともできたけれど、どこかそれを訊いてはいけないような気がしていた。
茉子がどのような返事をしてくるのか。彼女が渡晴に対して何かしら思いをもっているのは確かだと思う。以前彼女の家に行って、寝ていた彼女が起きるのを待つときに、彼女は確かに呟いていた。彼の名を。それも寝言で。それが、彼を想う気持ちかどうかは分からない。ただ、彼女にとっての彼は、ただの友達だとは思えないのだ。昼食にしても、他にもあの大学に同じ学校の友達が数人いることは聞いている。そこで選んだ相手が、敢えて渡晴である理由。
渡晴にしてみれば、彼女は"高校生活三年間同じクラスだった友達"であって、偶然のなせた業だろう。彼が言うには、茉子は友達という認識が強くて、私の生前は私に関しても多少は相談に乗ってもらっていたらしい。だから、彼女は渡晴にとって、それなりに気の許せる友達であることには相違ない。
その逆、彼は茉子にとって、なんだというのだろう。もし、彼女が渡晴のことを溺愛でもしていたものなら、そんな彼と付き合った私は恋敵でしかないから、あんな風に普通に話したり部活したり、ましてや渡晴からの私に関する相談に易々と乗るとは思えないし、傍から見ても、到底彼女が溺愛などしている風には見えない。だから、そこまで固執して執念を燃やすようなものでもないだろう、と思う。ただ、だからといって彼女が渡晴のことをなんとも思っていないかと言われれば、容易に否定はできない。実は影ながら、なんてこともあるだろうから。
茉子の"夢の中に出てきた渡晴"の、本当の姿とは、一体何であったのだろうか……。

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