26話 重要な頼み

私の目的からすれば、茉子には渡晴のことを頼まなくてはならない。でも別に、わざわざ付き合ってもらわなくとも、彼女に渡晴のことをよろしくと、そう伝えたいだけなのかもしれない。私が、渡晴と居られなかった分、茉子には渡晴の傍にいて欲しい。そんな、ささやかな願いかもしれない……、でも……。
昼休み。
いつも、窓の外ばかり向いていた美久が、今日は珍しくテーブルについていた。と、いうよりも、美久用に席を用意するわけには当然いかず、彼女はテーブルに沿うように立っていた。茉子がおおよそ中心になって、いつもの話はゆっくりと進んでいる。聡司は、茉子の脇に座っていて、楽しそうに茉子の話を聞いていた。茉子も、まるでそれに応えるようにして、メインとして力を入れているように思う。僕は、二人に時々相槌を打ちながら、またも美久と例のやり取りを交わしていた。
「よかったら、今日の放課後、茉子と二人で話したいことがあるんだけど」
彼女は、聡司と真剣に話している茉子を差し置いて、僕にそんな風に言った。僕は、同意の意を示しつつも、話したい内容とやらが少し気になりもしていた。
「渡晴の方から、茉子を誘ってもらえない?」
つまり、美久が茉子を誘うと、茉子が何処に対して返事を返すべきか悩むからだろうと思う。それは分からなくはないのだが、僕としては、また聡司の顰蹙(ひんしゅく)を買ってしまうのではないかと、少し冷や冷やする面もある。だから、こうして僕を介して茉子にこのような誘いをするのは、少し気まずいのだ。
しかし、それが美久たっての願いなら、聞き入れないわけにもいかない。であるからにして、僕としては聡司の癇(かん)に触ることは覚悟の上で行わなければならないのだ。それが、致し方ないといえば、そうとしか言いようがないのだけれど。
「茉子、今日の放課後空いてる?」
「いや、部活終わってからでいいから茉子の家へ行きたいんだけど」
「えっ、うん、まぁ、一応……」
彼女は、そんな少し曖昧な返事を返すけれども、とりあえず、OKということなのだろう──しかし、その是非は僕にとって関係ないが(実はそうでもないけどね)。
「じゃ、じゃあ、よろしく」
取り付け役の僕は、あのホールではないのかと、少し戸惑いつつそう言う。
「うん」
「ああ、そうそう、渡晴は先にアパートに帰っていてくれる? 私はしばらく部活でも見てるから」
僕はその思いもしないようなことを言われ、少したじろいだ。美久は僕と共に、茉子の家へ行くものだとばかり思っていたからだ。今回、僕は部外者だというのだろうか。その理由がよく分からず、彼女に対して疑問の意を少し大きい手振りで示す。
「なんていうか、二人だけで話したいことがあってさ。夕食は先に作って食べてて」
少し身勝手すぎると思いつつも、僕は致し方なくそのことに同意したのだった。
放課後、私はテニスのコートに備え付けられたベンチに座りながら、茉子や他の部活の人が頑張っている姿を眺めていた。恐らく、今頃は渡晴もアパートについている頃だろうなと思う。ただ、私はここにいるのだから、渡晴は当然アパートに一人でいるわけであるし、あの部屋に一人でいる渡晴とは……果たして、何をしているであろうか。少し、渡晴のことが気になりつつも、私は少し昔に思いを馳せていた。
大学の入学と共に、私は部活の選択を迫られた。しかし、どの部活へ入るか、そんなことは私にとって大して問題とはなりえなかった。高校でテニスをやりはじめてから、それが意外に面白いことに気がついて、大学でも同じようにテニスとやろうと思っていたからだ。よって私はここへ来て、またもう一度テニスをやることにした。初めての部活動で、部員一同の紹介があって、相変わらず、部活にも同じ高校、若しくは中学校や小学校出身の、所謂旧友がいないことを思い知らされた。私は少し心細い気持ちで数日部活動──ここはまだ柔軟な方で、"新入りは球拾い"といったようなことはストレッチと並立したようなものだった──をしていたけれども、しばらくして茉子が声を掛けてきたというわけだ。
彼女は私が練習しているのを見て、アドバイスを掛けてきた。私にしてみれば、それは突然のことであって、もちろん最初は会ったばかりの人に何を言われなければならないのかとも思ったけれども、実際に彼女の言う通りにしてみると、それがまた上手くいったのだった。それからというもの、彼女とは部活中も色々と話をしていて、意外に話が合うことが分かってきた。
そしてある日、昼食を一緒にどうかと誘われて、そこで渡晴と初めて会うことになる。前にも話したように、私は渡晴と茉子が話しているときに相槌を打ったり、時たま話をふられたりするぐらいだったけれども、それでもそこにいることは苦ではなく、寧ろ楽しいくらいだった。それから、部活の方は、以前にも増して活動的になって、それなりに充実したものになっていった。茉子は、テニスだけをとっていえば、私にとっては到底遠い存在だったのだけども、昼食やそれから部活の空いた時間によく喋っていたせいか、あまり距離を感じることはなかった。また、部活動を通して友達の輪が広がったのも事実で、私はテニス部に入ってよかったと思っている。

一方の僕は、部活動には入っていない。大学自体は部活動を奨励しているけれども、それは義務ではないのだ。だから、部活には入ってもいいし、入らなくてもいい。僕は、中学校時代からずっと卓球をしていたのだけども、しかしながら大学には卓球部がなかったため、部活に入ることを断念した。だから別段、部活がやりたくないから入っていないというわけではなく、やりたい部活がなかったという方が正しい。
茉子に関しては、彼女から中学校よりテニスをしていると聞いていたから、大学でもテニスをするだろうと思っていた──そして、実際彼女はテニスをやっている。
聡司においては、バレー部で、日々精を出しているとのことだ。美久にしても、茉子にしても、聡司にしても、実際に部活をしている姿を見たことはないけれども、各々懸命にしていることと思う。
話を戻して、部活に入っていない僕は、最後の講義が終わり次第、このアパートへ戻るようにしている。半月とちょっと前までは、先にアパートへ帰った僕を追って、しばらくすると部活を終えた美久もここへ来ていた。半月とちょっと前から一週間ほど前までは、僕は学校から帰れば、もう殆どの日が一人で、時たま心配して茉子が来ていたものの、それも数日だったので、日数の上ではさして大きくはなかった。一週間ほど前からは知っての通り、ここには美久と共に帰ってきて、それから二人で過ごしている。これから先は、それがどうなるかは定かではないけれど、思い起こしてみれば、聡司は一度もここへ来たことはない。
そうそう、美久の住んでいたところは、ここから電車で行くとすると、大学を越えてさらに先にいかなければならない。聡司も同じ方面で、行きにしろ帰りにしろ、ホームは反対側になる。
それは、彼女がここへ来るためには、大学前の駅から本来とは逆方向のこのアパートの最寄りの駅まで移動することを意味し、彼女の部活が終了次第毎日ここへ寄るとなると、負担となるのは当然のことだ。そこで、彼女がここで料理していく食材の材料費は全額僕が持つことにして、電車賃は彼女が払うことになっていた。食材も彼女が買ってきていたわけだけども、彼女は安い日を選んで買いに行っていたようだし、料理も必要最低限のもので構成されていたと思うので、多分フェアだと思う──任せっきりだったので、苦しくも断言はできない。まぁ、彼女のお節介といえど(お節介って……)、僕は作ってもらっていた立場だから、多少は目を瞑ることにする。茉子においては、このアパートの最寄り駅は、大学へ行くための通過地点であったので、電車賃は特別に発生するわけでもなく、その分は気兼ねする必要はなかったと思うのだけれども……。
茉子宅、といえどもアパートではあるけれど。私たちは部活終了後、共に電車に乗り、駅からの道を歩いてきた。茉子は、渡晴とは違い、小さいながらもその時々で返事を返してくれたから嬉しいけれども、逆に渡晴が気にしているようなことは、茉子にとって気にはならないのかということが、気になってしまっていた。しかし、そんなことをわざわざ訊くのも気が引けた。
茉子の部屋は、相変わらず綺麗に整っていて、あの頃の私の部屋とは大違いだった。私が住んでいた部屋は、到底比べ物にならず、そこら彼処に、何処と場所の定まらないものが散乱していた。だから突然来たいと言われても、"明日なら"という風に、先延ばしにせざるを得なかった。渡晴の部屋に関しては、私が初めて彼の部屋を訪れたときもそれからも、この部屋と同じほどとはいえないものの、綺麗な状態を保ち続けている。渡晴が私の家に来たいと言い出した頃も、相変わらず部屋は汚くて、渡晴にさえも、いや渡晴だからこそ、一日待ってもらった。ただ、その理由──毎回毎回一日待ってもらっていた理由は、まだ渡晴には話してもいない。というより、話す気になれないので仕方ない。それほど彼が家に来る日が多いというわけではなかったので、常々綺麗にしておく必要性があったかといえばそうでもなく、彼が来たいというときにそうすれば間に合っていたというのが事実だ。
ただ、部屋の汚さにも関わらず、食事だけはきちんと作りきちんと摂りきちんと片付けなければ気がすまなかった。その辺りは、私としても何故そんなこだわりがあったのかは分からないが……。
「それで、話って何?」
話を戻して、私と茉子はこの綺麗に整った部屋の机に、向かい合って座っていた。
「いや、その……」
私は、どうも上手く切り出せずに、ただ言葉を選ぼうとすることしかできない。まったく、こうして改めて目の前にしてみると、そこは上手く喋れと自分で思うほど、ちっともなのだ。
「?」
彼女は、少し頭を傾げて、はっきりとしない私に疑問を抱いているらしい。
「その……、実は茉子に折り入ってお願いがあって……」
「お願い? 私にできることなら何でもするよ?」
彼女は、そう意気込んでいる。何でもとは言うけど、果たして……。
「その、あれから──つまり私が死んでからってことなんだけど、ずっと渡晴は一人でしょ?」
「うん」
「茉子は、渡晴に対してあれからどうしてたの?」
あ、あくまで確認の意だと自分に対して念を押す。ある程度は、渡晴から聞いているから、それの真実味を、自分の中で増す、ただそれだけの目的の、はずだ。
「私は、ここへ帰ってくる途中に渡晴くんの住むアパートがあるから、たまに様子見に行っていたってぐらい、だけど……」
その辺りは聞いたとおりだ。
「それから……、話は変わるけど、今って誰とも付き合ってないよね?」
多分、そうだと思うけれども、一応、聞いてみる。
「へっ? 確かに私は別に誰とも付き合ってないけど……。でも、なんでそんなことを?」
彼女は疑問に思うらしい。それが当然だろうけど。
「いや、実はそのお願いっていうのは……」
「……うん?」
「茉子に、渡晴と付き合って欲しいの」
ついに言ってしまったと思いつつも、我ながら何を言ってるんだろうという雰囲気が漂っているのも確かだった。

美久がそんな勝手なことをしていたらしいその時、僕はまだ夕食には早い時間と思って、アパートの一室でのんびりと課題を終わらせていた。何も焦ることはない、提出は一週間後であって、余裕自体は大いにある。ただ、後々に引っ張るような形になるのが嫌なので、こうしてやっているというわけだ。それに身が入らず、のんびりとやっている辺りは、今頃どうしているだろうと、ただそう考えているからに他ならなかった。

←25話 27話→

タイトル
小説
トップ