24話 トワを願っても

いくら永遠を願おうとも、所詮私がこの世にいられるのはあと一週間だ。それは、私がここへこうして来る前に、自分自身で決めたことだ。今更、この選択に対して、私はとやかくと言えるはずはない。ただ、本音を言うとするならば、私は渡晴と果てなくずっと一緒にいたい。それは、全くもって愚かな願いであるし、叶うはずもないことは分かっているつもりだ。私が、亡者として幽霊という形で、この世にこの身を存在させていることは、つまり私自身がその肉体を伴わず意思だけで行動していることを意味し、それは自然の摂理とやらに反している。本来は現世に存在するはずのない状態で、この世に長くとどまっていることができるはずがないのは確かな事実であって、私がここに永続的にいることは不可能である。私はここに来る前に、二週間……というときをこの世と分かち合えるような状態でやって来たのだ。だから、それ以上この世にいるとするならば、私は遠慮なくこの世からはじき出され、あの世へと送り返されるはずだ。ただ普通に、制限時間を過ぎれば移動と、ほぼ同義だと聞くけれど。
ともかく、どうあっても永続的にこの世に留まっていることはできない。今ここにこうしていることさえ、本来は自然の摂理に反しているというのに、まだ永続を望むなどとは、今こうして戻れていることへの恩赦だとか感謝を忘れたようで、少し滑稽にも見えてくるのが大いに辛いと思う。

学校から帰り、アパートに一度荷物を置いたあと、二人で散歩へと出かけていた。その頃には、夕陽も光り、道路は赤く輝いていた。僕は前を歩く美久に対して、いつもの合図を送りながら、会話(?)を交えている。
交わされることは、何の変哲もない学校の出来事、世の中で起きているラヂオを通して伝わってくる情報、今晩の夕食──カレーには相違ないが──、明日の朝食──やはりカレーであると思われる──、それから今後の夕食及び朝食について。
僕としては、あのカレーを、再び食べてもらいたかったのだけども、どうやら結果的にはそれと引き換えに僕が料理を学ぶ時間が減ってしまったらしい。だから、カレーに関してはさほど長引かせずに、次回の夕食製作に向けて、何を作るか、その構想も兼ねて、ぶらりと歩いていた。
アパートに帰った後、僕はカレーを温め、美久はラヂオのスイッチを入れてから風呂を入れに行った。カレーが十分に温まった頃、美久が風呂を入れ終わったようで、リビングに戻ってきた。僕は、カレーを予め炊いてあったご飯の上にかけて、二皿分をリビングへと運んだ。美久は、ラヂオを聞いていたようで、僕が持って来たカレーに対して、少し反応が遅かった。
テーブルに着いて、目の前に置かれたカレーに手をつける。いくら好きなカレーでも、こう毎日続くと、作った本人でも少し飽きが来る。カレー自体は、あと五分の一ほどであり、恐らくは明日の朝くらいで終わりそうな気がする。その残った量は、果たして何を意味するのだというのだろうか。それは僕には分からないけれども、そのことが何かを示唆しているような気がしてならなかった。
お風呂からあがって、二人とも同じベッドについた頃。私たちは相変わらず、お互いに背中を向け合って、ベッドに対して外側を見つめていた。別段、二人の仲が悪くなったなどというわけではないけれど、何故か自ずとこのような状態で落ち着いていた。
渡晴においては、あの日からずっとこの状態で寝ていて、私は時折渡晴の方も向いてはみるのだけれど、彼は話はしてくれるものの、依然として向こう側を向いたまま、ちっともこちらを向く気配がなかった。渡晴に対して直接その理由を聞くこともできたのだけれども、私は何となく気が引けていた。それは今日も相変わらずで、渡晴はいつもと同じような内容を今日に改めたような話をしながら、ただただ向こう側を向いているばかりで、一体何を見ているのだろうかと思ってしまうほどであった。
その状況にたまりかねた私は、シングルベッドの上で寝返りを打って、あの日のように渡晴に背後から抱きついてみた。渡晴はそれに対して、一瞬軽く肩を動かして反応したものの、それ以後は普通に話を続けていた。私は相槌を打ちながらも、彼を抱く手を少し強くして、より彼との距離を近づけてみせた。彼はそれに対して何とも反応せずに、ただ会話を淡々と続けていくだけだった。私は、何だか軽く無力感を感じて、今度は逆に腕から力が抜けてしまった。そうすると、渡晴の向こう側で組んでいた腕は自動的に解かれることとなって、私の手は、片方は彼の背に乗っていて、もう片方は彼の首の下におかれている状態になった。彼はそれにも一向に構う気配がなく、ただ淡々と会話を続ける。私は生半端な返事くらいしか返す気がなくなり、うんとかすんぐらいの返事となっていたように思う。
しばらく、そんな状態が続いていて、私は少しずつ眠りへと誘われているような気さえしてきた。つまり、渡晴が言っていることがあまりはっきりと耳から頭に入ってきていなかった。そんな状況で、到底私はやる気など沸くはずもなく、遠慮なしに夢の中へ入っていくだろう……はずだった。
しかし、渡晴は今まで大した反応を見せなかったくせに、今更になって寝返りを打った。私は朦朧とした意識の中、僅かながらにその行動を認識し、私自身も自ずとその渡晴の胸元へと飛び込む。それから、彼の胴体に腕を回して、彼に抱きついてみる。でも、彼は特に反応を見せず、ただ私が彼に抱きついているだけだった。少しは期待してみたのだ。朦朧としている中、彼も同じようにしてくれると。
しかし、私が見上げた先にいたのは、軽く寝息を立てている彼だった。つまり、寝返りといっても自分の意思ではなく、体が自ずと動いただけだったのだ。私は自身の期待があまりにも外れていたことに落胆し、上を向いていた顔を戻し、彼に掛けた力を緩めた。それから、自分に対して掛けられている眠気に対抗する力もゆっくりと緩めていった。

僕たちは、ただ走った。雨の降りしきる中、傘を差してはいるものの、水溜りや自動車の跳ねる水など眼中になく、ただただ走り続けていた。風の便り、というよりは噂の便りではあるけれど、それを当てにして、ただ目標を目指していた。ただひたすらに走り続けたそこは、ものすごく遠いように感じていた。
場所は知っていた。少し離れた、専門的な医者にかかるとなれば、よく行っていた場所だ。それなのに普段よりも遠く、胸は高鳴り、足は疲れ、息も絶え絶えになった。ようやくその病院へとたどり着いたとき、僕はもうへとへとになっていた。そこは見慣れた場所であるはずなのに、何故か得体の知れないものだと感じていた。
僕は、椅子の上で混迷していた。その目の前で点し続ける明かりに、疑問を抱かずに入られなかった。何が何だか分からない状態で、上手く状況を整理しきれていなかった。まず、ここは何処なのか。目の前で光り続けるそれは"手術中"の文字を浮かび上がらせている。そんなことは分かっている。では、ここは何処なのだろう。頭の中でいたずらに回り続ける"手術中"の文字は、それが何を意味するのか、どういう状況なのかを物語っているはずだ。それでも僕は上手く結びつかなかった。
「渡晴くん、きっと上手くいくから……安心して」
何を根拠にそう言うのだろうか、そんな声が横から聞こえてくる。その声の主は、僕の手を静かにとって、軽く握り締める。その手が確かに震えていたことは今でも鮮明に覚えている。茉子だって、とてもではないけれど安心なんてできなかったのだ。
茉子は控えの椅子に座って、しばらくランプを見つめていた。聡司は未だ肩を少し上下に動かしながら、茉子とは少し距離を置いて同じ椅子に、少し俯きつつ座っていた。僕が何となく落ち着いたとき、確かそんな状態だったと思う。目の前では相変わらず赤いランプが点灯し続けていて、左右の廊下の明るい光りが羨ましいほどだった。僕は、茉子たちと同じ椅子に座って、ただ無事を祈ることしかできなかった。
目が覚めると、僕は猛烈に汗を掻いていた。理由は定かだ。あの時のことを夢の中でフラッシュバックしていたからだ。今からおよそ半月と一週間ほど前の話……。でも、僕の胸元には美久が抱きつきながら眠っていた。そこからは軽い寝息が聞こえていて、吐息が微かに僕のパジャマに当たっている。カーテンを閉めてはいるけれど、まだ外は十分に暗いだろう。カーテン越しに差し込む光さえもないのだから。
日が明けているかどうかは今この状態からは認識できない。近くに置かれた時計を手にとって、針を見れば済むことなのに、そんなことさえ面倒くさく感じている自分がいる。胸元の美久は僕の背に手を回した状態でありながら、僕に力を掛けるわけでもなく、ただ軽く乗せているのとそう変わらなかった。
僕は、彼女の腕の下と布団から自らの腕を出して、美久の頭の上にその掌をおいてみた。こうして、触れていられるということは、今ここに美久がいるということなのだろう。髪の質感にしても、あの頃とちっとも変わってはいない。でも、彼女はこの世にはいないはずなのだ──今こうして、汗流してみた夢のようにして。
ここにいる美久は幽霊……、本来なら実体をもたないはずの幽霊にこうして触れていると、それがまるで幽霊とは思えない。彼女は幽霊で、もうこの世には(生命ある)"美久"としての美久はいないはずだ。そう何度も自分に言い聞かせてみるのに、ちっとも実感など沸かない。今目の前に寝息を立てて寝ている美久は、まるで隙だらけでこうして頭に手を乗せていても、全然反応しない美久なのだ。
ここにこうしているはずなのに、彼女はいない……。そのはっきりとしないまるで現実味のない事実の、あるべき場所が見つからない。今一体どういう状態に置かれているのか、それさえも分からなくなる。ここにいる美久は、己が意思で死後の世界から僕の元へと期限付きで戻ってきた。僕や霊感のある人には認識できるが、他の人には存在を確認する手立てはない。彼女に触れることができるのは……いや、茉子は美久に触れることができるのだろうか。若しくは、美久は茉子に触れることができるのだろうか。その辺りはあまりよく分からない。だけども、他の大多数の人にとって、美久はもうこの世にはいない存在であり、今ここにいる、幽霊の存在に気づく人は数少ない。その存在を認めることのできる人は、僕と茉子くらいなものだということなのだろう。それが、ただ只管に不思議でたまらない。
でも、過去を反芻してみるに、ここにいる美久は確かに俗にいう幽霊であって、それも僕にしてみればいつ帰る──消えるのか、全く分からない。美久は三日前には言うと言っていたけれど、こう見えて意外に忘れっぽいものだから、それを鵜呑みにすることはできないと思った方がいいかもしれない。僕よりしっかりしてはいたけれど。だから、今ここにいる美久も、それから明日の──十二時を過ぎたかは定かではないが──美久も、明後日の美久も、とにかく彼女にとって、僕は精一杯のことをしよう。僕はそう心に決めて、彼女の頭の上にある手を、彼女の背中へと回し、軽く彼女を抱きしめた。

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