17話 未来へ通じる委託の決意

彼女が誰を想っているか。それは私も正確には知らない。可能性として、それが渡晴であることも挙げられるが、思い直してみると、大学に入る前に彼とあんな約束を取り付けておいて、何も行動に出ないばかりか私をその輪の中に入れたということを考えると、素直に肯定できなくなった。それを茉子の旧友の渡晴に訊くのも一つの手ではあるが、それは気が引けてしまう。理由は話すまでもないだろう。とにもかくにも、茉子に頼んでみる価値はあると思う。何もしないままに帰ってしまうのはあまりにも勿体ないことだ。せめて、彼女がどう想っているか。それくらいは"明白な"状態にしておいてもいいだろう。どうあるにせよ、動かぬよりはましだ。彼にとっては傍迷惑な、余計なお節介かもしれないけれど、私はそれなりに、試してみようと思う。
それから僕はいつものようにあの食堂へと向かった。そこには、僕よりも先に茉子と聡司が来ていて、二人で話していた。とはいえ、どうかと言えば聡司は受身的で、茉子が話しているのに対して頷いたり、うんとかすんとか言っているだけだけれども。それは、会話というよりも講義が個人間で行われているだけのようにも見える。
話している二人の座っているテーブルの空いた椅子を引くと、聡司は僕を一見し、それからまた茉子の方を向いてしまった。一方の茉子は、僕が来ていることに気がついていないようで、聡司に対して話し続けている。
僕は聡司の横の席に座って、目の前に座った美久を何となくぼんやりと眺めた。美久はしばらく茉子の話を聞いていたけれど、僕の視線に気づいたのか、僕の顔をまじまじと見つめた。僕は何気なくため息をひとつ、ハァとついた。すると、美久も倣ったかのようにハァとため息をついて見せる。僕がそれに対して怪訝な顔をしたのをみて、
「別に、そんな顔しなくても……」
と美久がぼやくと、茉子がそれに対してびっくりして、
「渡晴くん、いつの間に来てたの?」
と、やっと僕に気がついた。
「いや、ついさっきだけど」
「そ、そう? 全然気がついてなかったよ……」
「まぁ、いいけど。それより何を話してるんだ?」
「いや、高校のときどうしてたかとか、そんな話」
高校っていっても、茉子は大して変わってないし……。僕も人のことを言えた口ではないけれど。
「別に特別なことも……なかったけど、聡司くんが聞きたいって言うから」
「じゃあ、邪魔にならないように本でも読んでるよ」
僕はそう言って、聡司をちらりと見てから、ポケットに入れておいた本をとりだした。
「えっ、そういうつもりじゃなかったんだけど……」
「いや、いいよ。気にしないで」
ちょうど、今がいいところ(と言い出すときりがないが)だったし。
「ごめんね」
そう言って、茉子は再び高校時代のことについて、聡司に話し始めた。
高校以前から、今の部活、テニスはやってたんだけど、本格的にやってみようって思ったのは高校入ってからね。確かに小学校以前からずっとやってはいたけど、あくまで趣味の域を出ないもので、大会とかも結果は気にせずにただ楽しんでやっていたの。
高校入ってからも、私は今までと同じように部活をやっていくつもりだったんだけど、高校の先輩が厳しくて。練習試合でも目標を掲げて、それが達成できなかったら猛特訓、みたいに。確かに夏の大会で三年生は引退で、それなりに練習に夢中になるのも分かるけれど、熱が入りすぎて、私たちにとってはただ厳しいとしか言い様がなかったの。
それから、私たちは練習に身が入るようになって──と、言っても単に怖かっただけなんだけどね──、三年生の先輩が引退してからも目標を掲げてやってたの。
えっ、辞めるつもりはなかったよ。それだとただ逃げるだけだし、私はテニスが好きだから。確かに何人かは耐えられなくて、辞めていった子もいるけどね。
そしてそのおかげか、私たちが引退する最後の夏の大会の団体で全国四位になって。三位決定戦は、惜しいところで負けちゃってね。トロフィーは三位までしかなかったから、私たちは取れなかったんだけど、四位になるなんて思ってもいなかったから嬉しくて。私たちの後輩の子は、負けないように頑張りますって意気込んでいたけど、今頃はどうしてるんだろう。
また、暇があったら顔を出してみてもいいかなって思ってるんだけど。そのときは……、渡晴くんも一緒に来るよね? また機会見つけて誘うから、そのときはよろしくね。
それで、引退してからは受験勉強に励んで。でも、鈍(なま)るといけないから、定期的に運動はしていたけどね。部活は……、そんな感じかな。
……っていうようなことを茉子は話していたけれど、茉子が団体で全国四位に入っていたなんて初耳だった。茉子が強いってことは部活を一緒にやっていて分かっていたけれど、まさかそれほどとは思いにもよらなかった。

「へぇ……」
相槌を打つ聡司の声だ。彼は相変わらず聞いているだけで、この場は茉子の独壇場になっている。別に茉子はそんなつもりではないんだろうけど。
一方の僕はこうして本を読んでいるし、美久はそんな僕を眺めている。時々茉子の方も見たりはしているようだけど、大半は僕の顔色を伺うような感じであって、たまに軽く覗き込んでくるし、若しくは後ろに回って、同じように読んだりしている。
思うに、続きを飛ばして読んでしまっては面白くないだろうに、美久はまるで気にしていないようである。だから僕は集中もできず流し読みのようになってる。本の内容は何となくは覚えているものの、後でもう一度読み直してみても悪くはないかもしれない。
「誰か、好きな人とかはいたの?」
それから、聡司は茉子にそんなことを尋ねた。それも、案外すんなりと。
「えっ、私?」
「う、うん……」
どうやら、勢いだけで聞いてしまったらしい。
「私は……、いたと言えばいたんだけど、でも……」
「でも?」
私は思わずそう尋ねてしまった。でも茉子は気づいていないのか、意識していないのか、とにかく自然に話を続けていく。
「でも、今はもうあんまり意識しないようにしてるから……」
「……」
意識しないように……か。押し殺したつもりでも、実際は自分のことなのに上手くコントロールできないものだってこと、茉子も分かっているはずだろう。冷めさせてくれるのは時間の経過と、対象の行動でしかない。
ところで、その"いた"人とは誰のことだろう。少なくても、今も想っていて、それも同じ高校に行っていた人だということだ。つまりは、聡司ではないということぐらいしか分からない。渡晴かもしれないというくらいにしか言えない……。
「そう……」
その聡司はこんな風にがっかりとしている。
「はぁ……」
茉子は、恋煩いのため息をして、虚ろに虚空を見ていた。
はっきりしないものだろうか。彼女がいったい誰のことを考えているのか、誰のことを想っているのか。そうすれば、少しは糸口が見つかるというものなのに。

本を閉じる。少し、休憩を入れるために。コーヒーは頼まなければ出てこないけれども、これくらいの休憩はできる。目にも休息を、だ。
僕は一つ息をついて、同じテーブルに向かうお三方がどうしているかを確認する。美久は茉子の方を向いて、何か考えごとをしているようである。聡司は何故か落ち込んでいるようで、足元を見るかのように俯いている。茉子はぼうっとしていて、何もない空間をただ眺めているだけである。
本を読んでいて展開を把握していないので、僕は何故そうなっているのかが分からない。それも、あまりいい雰囲気でもなさそうで、声のかけようもない状態である。
僕がどうしたものかと悩んでいると、急に美久が立ち上がって、こっちへとやってきた。
「あの、一つお願いがあるんだけど」
そういう彼女に僕は少し首を傾げてみせる。
「茉子に、放課後来てもらえるように頼めない?」
「えっ、なんで?」
僕は小声でそう言う。
「ちょっと聞きたいことがあって」
「うん。分かった」
それから、僕は美久が元の位置に戻ったのを確認してから、茉子に話しかけた。
「茉子、今日の放課後ちょっといい?」
「……」
返事はなしだ。相変わらずぼうっと、宙を見ているだけで、まるで反応がない。
「茉子……?」
「えっ! ああ、ご、ごめん、何か言った?」
「今日の放課後時間空いてる?」
「う、うん。部活に行くまでにも少し時間あるから、その間なら」
「じゃあ、この間のところでお願い」
「うん」
とりあえず、約束はつけたものの、美久は茉子に何の用があるというのだろうか。
もし、茉子が渡晴以外の私の知らない人が好きだといった場合、私はもう、渡晴に対してその手のことは何もできない。他の人が好きなのに、ある特定の人と付き合うことを頼むなんて罪なことだ。
茉子は渡晴と高校のときから、それも三年間同じクラスだったし、大学にしてもああして同じテーブルで昼食を摂っているくらいだから、ある程度仲がいいというのは分かる。けれども、だからと言って、それが想っているかどうかにつながるはずもなく、意中の人であるとは限らない。私をその輪の中に入れたこともその理由に含めて。もちろん、可能性として否定することはできないけれども。
私としては、茉子に直接"いた"人が誰であるかを聞くしかない。今も想っているらしいけれども、それを本人が抑えてしまっている理由もできれば聞きたい。茉子にしてみれば、その人と付き合うことや想いを伝えることができれば、それなりにすっきりするだろうし。渡晴のこともあるけれど、私が聞くことによってそれなりのアドバイスもしてあげられるだろうから。
私は……、誰かの助言を以って、実ったということはないけれども。今、渡晴との間柄にしても、昔にしても、どちらかといえば、私が行動的に動いたというわけではないし……。

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