14話 姉と義兄の来客

ピンポーン……
ドアホンは、そんな音を部屋に響かせる。それを聞いた渡晴は、あまり力もなく玄関へと向かう。何故彼から力が抜けてしまっているのか。原因は多分私にあるのだと思う。いつかは帰らなければならない。そんな私の台詞に、彼はそれが必然であったというのに身勝手にも衝撃を受けているのだ。身勝手といえば私も人に言えた口ではないのだけれども。そんなだから、彼にはまるで活力など見出せない。ただやってくる二人が、羨ましいだけなのかもしれないけれど。
玄関に向かった彼は、その扉の向こうにいるであろうと思われる二人の人物のために、閉ざされた扉を開ける。案の定、そこには葉月さんと哲俊さんがいた。
「よっ」
哲俊さんはそんな風に渡晴に対して軽く挨拶をするが、渡晴の反応はイマイチのようである。
「どうも……」
まるで元気がない。久しぶりにキスをしたくらいでは、まるでテンションなど上がる気配がない。では一体私に何を求めるのだというのだろうか。
まさか、考えられなくもないが、渡晴に限って……、しかし初日は何やら怪しかったし……。そんなことまでしなければ活力の得られない渡晴なら、嫌だなと思いつつ。あの渡晴に限ってそんなことはないだろう……。私は渡晴が望むのなら、今は快く受けるつもりではいるけどさ。
「どうした、渡晴。何かあったのか?」
義弟思いの哲俊さんは、靴を脱ぎながらそう問う。
「いや別に……」
渡晴は上辺で答えている。それで何処が"別に……"なのだろうか。
「もしかして、まだ美久ちゃんのこと気にしてる?」
葉月さんは、廊下をリビングに向けて歩きながら渡晴に問う。
気にしていないわけがない。まず私自身がここにいる──と、言っても二人には見えていないだろうが。戻ってきたときもあまりの驚き様+喜び様で見事に机に足をぶつけていた。茉子に聞いても、渡晴はずっと今みたいな──虚ろで人の話を聞いているのかどうか分からない状態らしい。それで、気にしていないなんて言うのならば、単なる見栄っ張りだろう。
「えっ、いや別に……」
渡晴は、沈着の中に少しの戸惑いを交えて、椅子を引きながら答えた。駄目だ、渡晴からは気力のかけらも垣間見れない……。
まだ私はいるのだ、ここに。決して、もうすでに帰ってしまったわけではないのに。
「そんなにいつまでも気にしてたってしょうがないよ? 美久ちゃんだって、固執されていても仕方ないって思ってるんじゃないの?」
だからこそ、私はこうやって戻ってきたとも言えなくもない。
「うん……」
彼は知っている。近いようで実は果てしなく遠い私の存在を。私は、ここに、いるけど、いない。
"渡晴が心配で"というのは、彼の食生活云々ではなく、ただ喪失感にうなだれていないかどうかの方だ。思ったとおり、彼は悲しみに満ちていて、日々をモチーベーションのかけらもなく過ごしていた。こんな調子では私も茉子に頼めない。これなら、どう考えても聡司の方が茉子の力になってあげられるに違いない。
壁際で三人のやり取りを見ていた私は、相変わらず虚ろにしている渡晴に渇を入れてやろうかと思い、その場から渡晴の背後へと移動した。しかし渡晴はそんな私の動きに気づかない様子で、虚空を眺めたままの状態にある。葉月さんと哲俊さんはお互いに顔を見合って、"はぁ"とため息をついている。私は前にいる渡晴の肩に手を乗せて軽く揉んでみる。すると渡晴は一瞬びくっとして振り向き、私であることを確認すると、彼もまた"はぁ"とため息をついた。
「言っておくけど、私はまだここにいるんだよ? 何もそんなに沈まなくてもいいでしょ。葉月さんも哲俊さんもわざわざ心配してきてくれたのに、それじゃ安心できないじゃない」
渡晴の背後から、私はそんな風につぶやいた。彼は少し首を下げて、軽く同意の念を示す。私は揉んでいた手を軽く握って、今度は彼の肩を叩き始める。彼は頭を左右に振って、両肩の筋肉を軽く伸ばした。
「いろいろと疲れているんじゃないのか? ゆっくりと、休んだ方がいいと思うが」
その動作を見て、哲俊さんは渡晴にアドバイスをする。
「う、うん……」
少し俯いてそう言った渡晴は、その後ゆっくりと力なく立ち上がって、台所の方に入っていった。

彼は台所に何をしに行ったのだというのだろう。あれから二分三分と経つのに、一向に戻ってくる気配がない。そのことに気づいたのか、今までずっと哲俊さんと世間話をしていた葉月さんは、彼に一言言って立ち上がり、台所の方へと入っていく。私も、その後を追って台所へと入った。気づかれるはずのない尾行に、何故か少しびくびくしながら……。
台所へ入った私は、ステンレスの炊事場の前で、それにもたれて眠りこけている渡晴を見つけた。私の少し前を歩いていた葉月さんは、そんな渡晴の姿を見て、一つ大きなため息をついた。私は葉月さんに気づかれないように(?)、渡晴の前へと回った。そして、私は一つの発見をし、驚いた。目の前で眠る彼の目には、涙が浮かんでいたのだ。葉月さんがそんな涙に気づいているのかどうかは定かではないが、彼女は寝ている渡晴を軽く揺すって、彼が起きるように促した。彼はそれに反応して少し動き、身体の位置を変えた後、再び寝てしまった。私はそんな彼を微笑ましく思いながらも少し唖然とし、そんな感情がちょうど半分ずつくらいであったことに気がついた。
彼は相変わらずその顔にしかめっ面の皺を乗せて、夢の中で何かに悩んでいるようであった。葉月さんはそんな渡晴に言葉がないようで、しばらく悩んだ後、哲俊さんをリビングから呼んだ。彼はそれを聞いて、(いろんな意味で、私と渡晴にとって神聖な)台所へと入ってきた。少しハンサムな彼は、葉月さんと同じように渡晴を揺すってみたが、彼は一向に起きる気配など見せなかった。
「渡晴も、これじゃ美久ちゃんに合わせる顔がないよね」
そんな風に葉月さんは呟き、隣にいる哲俊さんの顔を見た。答えを求められた彼は、微笑みながら曖昧に頷いてみせた。私はその光景に少し苦笑いをして、再び渡晴の顔を眺めた。これが、あるはずのない、渡晴が私に合わせる顔か。──"あるはずのない"というのは正確にいうと私自身のことで、いない私に会わせることのできる顔というものは、ありはしないということではあるが。
私がぼんやりと彼の顔を眺めていると、彼の顔は急に上がってきて、私をすり抜けていった。
「とりあえず、こんなところじゃなんだし、ベッドにでも運んでおく?」
哲俊さんはおそらく重いであろうと思われる渡晴を抱えて、葉月さんに尋ねた。
「うん、その方がいいと思う。でも、とても美久ちゃんには見せられないよね、今の光景」
「ああ、そうだな……」
そんな風に哲俊さんは単調に応えて、渡晴をあのベッドに運んでいった。

葉月さんと哲俊さんは、リビングで私と渡晴の話をしていた。私がこの世に普通にいた頃の、私と渡晴の様子とか。
葉月さんと哲俊さんは、私が渡晴と付き合う以前から既に今のような関係で、同居はしていなかったものの、よく一緒に居たらしい。
以前聞いたところによると、二人は、高校以前からの知り合いだったらしい。葉月さん自身は、哲俊さんと学校生活送っているときは、大して何の感情も抱くことはなく、ただ、一人のクラスメイトとして、友達として付き合っていた。そんな学生時代の間は、互いに連絡先を聞くこともなく、淡々と過ぎていった。
それが、高校を卒業して、大学に入学するまでの少し忙しい準備期間の間に、用があって町を歩いているときに偶然会った。最初に話しかけたのは哲俊さんで、葉月さんはそのあまりの変わりように最初は気づかなかった。葉月さんは哲俊さんに名乗られて、なんとなく残っていたその面影に気づき、場の流れで喫茶店に入った。そして、何となくまた喫茶店で会う約束をして、結局のところ、それが続いていったんだそうだ。話の内容は大方が級友のことであって、二人は昔話に花を咲かせていた。大それた話もなしに、ただ昔話をもっと話したいという理由だけで、続いていったらしい。それが何時しかカフェ以外でも会うようになって、いつの間にか誕生日にプレゼントを贈って、クリスマスを一緒に過ごしていた。
久しぶりに会った二回目の葉月さんの誕生日のときに、哲俊さんから不意にキスをされて、二人はやっと付き合うってことになる。それから、何度かデートを重ねた二人は、いつの間にか双方の両親に挨拶して、同居に至ったらしい。それでもまだ結婚しないのは、"お互いに若いからだ"と、哲俊さんが言っていた。でも一応婚約はしているらしく、だからこそ同居しているらしい。
そんな二人の住まいは一介のアパートで、ここと同じように二階建てであり、ここからそう遠くも離れていない場所にある。簡単にいける場所にあるので、渡晴も結構お世話になっているらしい。本人は、そう簡単には認めないけれども。
とにもかくにも、二人の関係は私たちにしてみれば理想的であって、憧れていたと言っても過言ではないと思う。
そして、彼がやっと目覚めたのは、二人がちょうど夕食の準備をするために、外へ買い物に行った後だった。

僕はただ、あの二人が羨ましかった。二人で、一緒にいられることが。僕たちは、思いが通じていても、今以上に何もできない。
ずっと、一緒にいること。デートすること。他の人に紹介すること。服を買ってあげること。指輪を送ること。婚姻届けを出すこと。
そんなことも、できない。ただ、ゴールラインさえも超えることができなかった。
目が覚めるとそこは自分のベッドの上だった。僕は、いつの間にか移動していた。ただ、あの二人が仲良さそうに話しているのを見ているのが辛くて、僕は逃げるように台所に入ったのだった。そして、何故だか急に悲しい気分に覆われて、僕は力なくその場に座り込んでしまった。そして瞬く間にやる気は失せて、目の前はうっすらと靄(もや)がかかり、何かに吸い込まれていく感覚に囚われて……。
気づけば夢に飲み込まれていた。夢の中の世界では、美久はまだ生きていて、僕らは姉さんのところで、ゆっくりとくつろいでいた。四人でコタツを囲み、ゆっくりと世間話に盛り上がっていた。そんな、ありえないはずの光景が広がっていたのだった。
「あっ、渡晴起きてたんだ」
僕が起きたことに気づいた美久は、振り返ってそう言った。
「ああ……」
いままで、ただ見ているだけだった美久は、どうやらやっと僕と話せるようになって嬉しいようだった。声が少し弾んでいて、妙に跳ねているのは、その証左だろう。
「葉月さんと哲俊さんは夕食の買い物に行くって」
と、美久は現状報告をして、僕の隣に座った。
「そう……」
僕は、少し安心したかのようにそう答えた。
「それにしても、なんで台所なんかで寝ていたの?」
「えっ、いや、なんとなく眠くなってさ……」
なんとなく、安心したことを悟られたような気がして、僕は少し慌てた。
「それで台所なんかで寝て、泣いてたの?」
「えっ、泣いてたって誰が?」
「誰って、渡晴以外に誰かいる?」
泣いていた、のだろうか。僕には、まるでそんな記憶はないのだけども。
「……何度も言うけど、私、本当にまだここにいるからね」
彼女は念を押すようにそう言って、僕の顔を見つめた。
「う、うん」
「別に、明日出て行くとかそういうわけでもないから、渡晴にはもっと普通にしていて欲しいんだけど……」
今度は、少し目をそらして、まるで後ろにある何かを見るかのように。
「う、うん……」
「悲しい顔なんかしないでよ? 私は、そんな渡晴を見に来たつもりなんかないんだから。ね?」
「うん……」
「もっと、笑っていてよ。付き合ったばかりの頃みたいにさ」
「努力は、してみる……」
とは言ったものの、僕は作り笑い程度しかできそうになかった。

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