13話 休日の過ごし方

「それで、二人とも大学に合格したってわけか……」
「まあ、そうだな」
翌日の、何処か閑散とした日曜日。
僕らは、外へ出てデートをするにも、歪な状態になってしまうだろうということを考慮して、室内でのんびりと世間話のように話していた。部屋にはラヂオが流れていて、少し前の曲を奏でている。それは二人にとってちょうどいい具合のBGMで、まるでクラシックを聞きながら見る夢のような会話だった。
「私は、茉子に大学には同じ高校にいた人はいないんだって話したら、一緒にお昼でも食べないかって、誘ってくれて……って、そういや前にも話したような気が……」
「ああ。僕はたまたまある講義で隣の席になった聡司を誘って……、それで四人になったってわけだな」
「……私は、聡司くんとはあんまり話さずに終わったけどね」
彼女は、少ししんみりとそう呟く。
「あいつは、ずっとあがりっぱなしだもんな、昼飯のとき。講義中はあんなことないのによ」
本当に、比べ物にならないほど元気なくせに、全くもって奥手なのだから、あんな状態に……。
「私は重なってないから、よく知らないけど……」
「本当はもっと明るいやつなんだけどな」
「とてもそうは見えないけどね」
無理もないだろうなと、再三思う。
「まあ、聡司がこれからどうするかは知らないけど……、しばらく、ゆっくりと様子でも見てるよ」
「えっ、ああ、うん……」
彼女は、そんな風に、なぜだか妙に戸惑って、曖昧に返事を返した。
「……?」
「ま、まあ、私も、聡司くんは、気になるから……ね、うん」
「茉子だって、全然気がついてないのだから、二人は前途多難だな」
「そ、そうだね」
多分茉子は、気がついていたとしても、聡司くんにとって、いい返事は返さないと思う。何故なら、見る限り、茉子の意中の人は明らかに渡晴であるから。私がいるのに──幽霊としてだが──渡晴にばかり気を向けられると、嫉妬しないわけにもいかないというのは少し苦しいけど、でも──。
一方、もし茉子が聡司の気持ちに気がついていないとすれば、その原因は渡晴にあるに相違ない。渡晴が聡司から茉子を遠ざけているようなものだ。しかし、渡晴にしても、茉子の気持ちに気づいてやれないとは全くもって情けないなと思う。確かに、ここにこうして私がいるから、気づいたとしてもそれは言い難いものとかあるだろうけれども、ああして結婚が云々なんて話までしておいたから、そのときは少しくらい話して欲しい。
「……そう言えば、あの二人よりも僕らの方が多難なんだよな」
「多難……、それも過去の話、かな」
今あるこの状況はあくまで例外的なものでしかないのだから、肝心なのは寧ろ過去の方だ。私は難も何も既に逝ってしまったわけだから、多難と称するべきはその過去の方にあると思う。
「過去? じゃあ今は?」
「今? 今は……」
私はしばらく悩んで、こう答えた。
「付録みたいなもの、かな」
「……付録か」
「役立つ付録だよ? 仮にもこうして料理──あんまり大したこと教えられないけど、それでも役には立つだろうから」
「ならこの付録は、いつぐらいまで続けられるんだ?」
「ええっと……その……」
私は、その質問に上手く答えることができなかった。

僕らは、世間話も一段落ついてしまい、相変わらずすることもなくて、仕方なく二人してベッドの上で寝転がっていた。ただぼうっと天井を眺め、虚ろとして時間は過ぎていた。
「三日前くらいには言うつもりでいるけど……」
と、彼女は突然そう言った。
「何を?」
僕は、天井を仰ぎながら、そう尋ねた。
「付録の、有効期間の終わり」
「ああ……。でも、そんなに急がなければならないものでもないだろ?」
何も急な用があるようにも思えないし。
「でも……、ここにいつまでも居たって仕方ないよ。私は、用が済んだら帰るつもりでいるから」
「用って? 僕に料理を教えること?」
それなら、終わりも程遠そうな気がするけれど。
「何なのかは言えないけど……。少なくともまだ終わってないから、しばらくはここにこうしていられると思ってくれてもいいよ」
「しばらく、とはまた曖昧な表現だな……」
「私も、いつ頃終わるか分からないもの」
実際は終わるかどうかよりも、終われるかどうかという問題だった。どうなるかは、茉子と渡晴にかかっているようなものだ。
「……あんまり、急がなくてもいいからな」
彼は、少し心配そうに私を見てそう言った。
「でもそんなに私が長々といても邪魔になるだけだよ?」
「邪魔? なんでだよ?」
「そのうち、鬱陶しく感じてくるよ、絶対。私はずっと渡晴に付きまとうわけだよ? ……結婚さえできない、中途半端な状態なのに」
私だって、できることなら、ずっと渡晴といたい。好きな人と一緒に居れることはこの上ないことのはずだ。どれだけ一緒に居てもまだまだ満たし切れない感情は、長くいればいるほど、より長くいたいと思うようになる。そして、誰しもが永遠を願うのだろう。当然私も、そんな人々の一人でしかない。
「僕は……、そんなことないから」
彼は少し力強く言い放って、何故か軽く俯いてしまった。
「けじめはつけておくべきだよ。のこのこと戻ってきた私が言えることじゃないけれど」
でも次こそはちゃんと決別しなければと、心に決めている。何を言っても、このままの状況で居続けられることはありえないのだから。
「一緒に居たいって思うのは分かるよ? 私もそうだから。でも、ね……」
「う、うん……」
──プルルルルルル、プルルルルルル──
そのとき、急に電話が鳴り、その音が部屋中に響いた。
「渡晴、電話だよ」
「うん……」
彼はゆっくりと力なく立ち上がって、電話のあるリビングの方と向かった。

「昼から、姉さん来るって」
僕は、電話のかかった目的を、ベッドの上で相変わらず寝そべっている美久に伝えた。
「葉月さんが?」
「ああ……。義兄さんと一緒に」
「そう……」
「あの二人はいいよな。一緒に居れて」
僕は、美久と同じようにベッドに寝そべってそうぼやいた。
「渡晴だって見つければいいじゃない。私みたいに、ただ付きまとうだけの幽霊じゃなくて、ちゃんとした彼女を」
「……はぁ」
「別に、私に遠慮することないんだよ? 渡晴は渡晴のやりたいようにしてくれていいから」
「今は……あの二人に敵わなくても、幽霊でも、美久と一緒にいたい。確かに、少し欲求不満になってはいるけど……」
「……葉月さんたちが羨ましいんじゃないの?」
彼女は起き上がり、僕を見下ろしてそう言った。
「そうだけど……。でも、美久は帰るんだろ? 今しか一緒にいられないんだろ?」
軽く起き上がって、少し力みながらそう言う僕の頬に、彼女は軽く手を当てた。
「私にできることなんて、こうして傍にいて、話すことくらいだよ? こんな風に渡晴には触れていられるけど……、でも、それ以上のことは何もできないよ?」
「それでもいい。だから……、少しでも長く、一緒に居てよ」
多分、いや絶対、どれだけ長く居ても満足なんてできない。あるとすれば、冷化か愛想が尽きるかだろう。上はない。下ならいくらでもあるのに。
「でも、ずっとなんて無理だってこと、分かるでしょ? 私は、満足して発つつもりけど……、渡晴にとってそうなるかどうかは分からないし……」
「……」
ベッドに座る僕は、言葉に詰まり、ただ、沈黙するしかなかった。満足のできる別れ方、なんてあるのだろうか。また寝転がってしまった美久の言うそれは、一体どんなものだというのだろう。
「とりあえず、何がしたいの?」
「えっ?」
何って……?
「欲求不満……なんでしょ?」
うっすらと頬を赤らめて、美久は恥ずかしそうに尋ねてくる。やりたいのにできないこと、今は数え切れないくらいたくさんある。できそうなのに、できないこと。現実を直視しすぎて、それが酷だと嘆くモト。
「……普通の、デート」
正直に、はっきりと、やりたいこと。
「デート、か……」
「うん」
真面目な顔に戻った彼女は少し思案していて、
「私だけが話すのなら、できるんだけど……」
「……やっぱり、ここでこうしてるよ、うん」
一人で話されると妙な圧迫感を感じてならないし、それをデートと称するには何か足りないし。
「渡晴がそうしたいなら、別にいいけど」
美久は静かにそう言って、軽くため息をついた。
「ああそういや、なんでさっきは欲求不満って言いながら赤くなってたんだ?」
手持無沙汰になった僕は、少し意地悪ぶって、美久に尋ねた。
「べ、別に、訊かなくたって分かるでしょ!」
何故か慌てて、少しそっぽを向いている彼女は、何故だか出会った頃の僕らを思い出させる。
「……そういう気にでもなったのか?」
まるで煽るかのように僕は言って、軽く伸びをしてみせる。
「何もこんな昼間から……」
「何が?」
「……」
相変わらず赤くなっている美久は、普段とどこか違う雰囲気があって、なんとなく可愛く見える。では、普段はそうじゃないのかというと、そういうわけでもないけれど……。より一層、より一段、とでも言うべきか……。
「もう、いじわる……」
「……それで?」
「それでって何が?」
「何って、その……」
何かやり返されているような感じがするのは気のせいだろうか。
「じゃあ、ちょっとこっちに来て」
美久は妙に優しげな声でそう言って、不敵に軽く手招きをしている。僕はまるでそれに導かれるかのようにゆっくりと彼女に近づいてゆき、知らぬ間にベッドの上の美久の横で軽く正座をしていた。彼女は僕が来たと同時に身体を起こして、ベッドに腰掛けるように座り直す。僕の肩には、彼女の手が軽く添えられていて、一方の僕の手は直立不動のように真下に向けられている。
「……あのさ、早く目瞑ってくれない? こうしてるのも、恥ずかしいんだけど」
「えっ、ああ、ごめん……」
そう言われて、やっとキスだということに気がついて、僕は謝りながら軽く目を閉じた。その瞬間、世界は暗黙に閉ざされる。そして、やんわりと唇も閉ざされた。僕はなぜか、自分と美久が共にこの世にいるという実感を大いに感じていた。
私は渡晴の肩に手を乗せて、彼をゆっくりと引き寄せた。そして自らの瞼をゆっくりと下ろし、暗闇の世界へと自分を誘(いざな)う。それから、彼の顔にゆっくりと近づき、その唇に優しく口づけをする。肩に乗せた手を彼の首に回して、少し強く抱きしめてみる。彼も察してか、放置されていた手を私の背に軽く回す。閉ざされた目を軽く開けてみると、彼の肩の向こうにベッドが見える。私は手を彼の背に回し直して、彼をより強く引き寄せる。彼もまた、腕に力をこめて抱き返してくる。
「ありがとう」
彼は静かに呟いた。
「何が?」
「戻って、来てくれて」
彼は少し涙声でそう言った。
「それを言うのはまだ早いよ」
私はそう諭すかのように渡晴に言って、彼をより一層強く抱きしめた。

しばらく寝ていたのかもしれない。なんとなく時計を見ると、十二時前だった。姉さんは三時くらいに来ると言っていた。まだ時間がある。今から昼の支度をして、食べて、洗って、束の間の休息を挟めばちょうどいいくらいかもしれない。美久は傍らでやはり寝息を立てて寝ていた。僕は、虚ろな感覚に頭を振り、寝ている美久を軽く揺すった。

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