6話 帰宅時、電車の奇妙な会話

メインホールで茉子に合流した僕は、そこにある柱にもたれて話をすることにした。ここは吹き抜けになっていて、その吹き抜けの真ん中に大きな柱があり、吹き抜けの縁と同心円上に、螺旋階段が続いている。そんな場所で、茉子は何故だか少し寒そうにしている。まだ九月も中頃なのに。
一方美久は、相変わらず何の違和感も漂わせずに僕の隣にいて、その経過を見ている。
「それで、朝のことなんだけど……」
「朝って?」
「ほら、心霊スポットがどうとか、って言っていただろ?」
「えっ、あれは気のせいみたいで。別に気にすることじゃないよ?」
「いや、こんな話をするのもなんだけど、あれは気のせいでもなんでもなくて……」
「どういう意味?」
「信じてくれるかどうかは別にして。実は昨日アパートに帰ったら美久の幽霊がいてさ」
「……今は?」
「ここにいるけど」
「だからか……。さっきから妙に寒気がして。悪寒っていうのかな? なんか、そんな感じの」
「幽霊って見えるのか?」
と、僕は朝のことを思い出して彼女に尋ねた。
「う、うん……。少しだけね。あんまり見たいとも思わないけど」
そう言って、茉子はより一層縮こまった。
「美久が悩んでいるんじゃないかって言っていたんだけど」
「私は別に人に話そうって思わないだけで……。見えたところで得したことなんて一つもないしね」
茉子はそう言って、苦笑いした。
「いきなり現れたりするから、びっくりしてばっかりだよ。周囲から見れば何故驚いているのか全く想像もつかないだろうしね。それに今みたいに少し寒気がするし……」
「なんか散々な言われ方をしているような気がするけど……」
と、今まで黙っていた美久が文句を言った。すると茉子は少しびくついて、
「今のって、美久?」
「そうだけど……」
ちなみに、放課後のメインホールはたまに人が通る程度で一定の静寂を保っている。遠くから部活の声もするけれど、何を言っているかまでは明白でない。だから、実際に言葉として入ってくる声は少しだけだ。
「なんか頭の中に響いているんだけど……。もしかして、食堂にいた時も何か言っていた?」
「だって、聡司があんなこと言うから」
「ねぇ、渡晴くん。なんだか変な感じがするんだけど……」
茉子はそう言いながら辺りを見回している。
「変な感じって言われても、私にはどうしようもないんだけどさ」
「僕は普通に聞こえるんだけども」
「なんか声だけがテレパシーみたいに響いていて……。せめて姿だけでも見えない?」
「えっ、今って見えてないのか?」
「うん……。声だけで……」
「姿を見せればいいの?」
そう言った美久は、茉子の前に立った。それから何やら手に力を込めて、握力でも測っているかのようにした。と、言っても僕には少しも見え方は変わっていない。
「えっ……。本当に美久?」
と、茉子は信じられないという風に美久に向かって言った。
「もちろん。疑うなら、女の秘密ってやつでも話してみる?」
「えっ? いや、遠慮しておく……。でも、どうして?」
「渡晴が心配だったから。なんせ冷蔵庫にろくなもの入ってなかったしね」
「な、何言っているんだよ……」
「事実なんだから、素直に認める」
「はぁ……」
「まあそういうことだから」
「う、うん……」
茉子は何だか納得できないという風だった。
はっきり言うと、私は渡晴にとり憑いている。
……はっきり言い過ぎただろうか。
ともかく、私は今、そういう存在だ。つまり、渡晴に依存しきっている。渡晴なしではそんなに大したことはできない。
今みたいに、一定の人に見えるくらいのことはできるけれど、ものに触れることはできない。料理が作れたのは、あの部屋が渡晴のあるべき場所だからだ。もし茉子が渡晴の部屋に来たのならば、私は容易に触れることができる。でも二人が遠ければ、私は茉子に対して声を伝えることや姿を見せるくらいのことしかできない。渡晴がそこにいたから、明白なきちんとした姿で出てこられた。渡晴から遠いと、多分、霧越しのビジョンのようになるだろう。声もノイズが入ったようになるかもしれない。やったことないから、分からないけれど。

「ねぇ、よかったら相談に乗って欲しいんだけど……」
茉子は別れ際にそう言った。
「相談って?」
「いや、その……、美久に……」
「えっ、私?」
「うん。部活が終わってからでいいから」
「……」
僕はそれを聞いて、なんだという落胆の気分でいる。
「部活……? そういうことは渡晴に言ってよ」
「ああ、そうか……。渡晴くん、いい?」
「僕は別にいいけどよ……」
相変わらず落胆の中を漂っている僕は、ダルそうにそう言った。
「ありがと。じゃあまた」
そう言って、茉子は駆けて行った。
「僕がいなくたって、一人で会えばいいんじゃないのか?」
彼女が去り、僕と美久だけになったホールで僕は尋ねた。
「会えないこともないけど、渡晴から離れるとあんまり力出ないから」
「力?」
「うん。まあ、いろいろとね」
「ふ〜ん」
「頼りにしているんだよ?」
そんな美久の妙な自信付けに、僕は曖昧に応えた。
「美久だからこんな話できるんだけど……」
と、彼女は切り出した。ここは電車の車内、号車の扉の傍の席。渡晴は耳にイヤホンをつけて、音楽を聴きながら、向かいの席に座っている。茉子がそんなことを言うのも、渡晴には聞こえないだろうと思ってのことだろう。が、私は本当に聞こえていないのかどうかという点に関しては少し疑わしく思う。たとえ聞こえていたとしても、秘密は厳守する方だろうから、人に話はしないだろうけど。でも、何だか何処となく心配で。それも、杞憂というものならいいのだけど。
「聡司くんって、どう思う?」
「どうって、何が?」
「何がって言われても困るんだけど……。その……」
「う〜ん。今日はあんなこと言われて少し腹立ったけど……、私はあまりよく知らないからなんとも言えないよ」
一応気には掛けていたけれど、私もあんまり話したことないし。聡司は元々、渡晴の友達だし。
「そう。なんだか最近様子がおかしいような気がして……。気のせいかな?」
「最近って言われても……」
「ごめん……。今日はどんな感じだった?」
「今日? 別に普通だったよ?」
ただ、新しい発見はあったけど。
「なら思い違いだったのかな……」
茉子が聡司の話をするなんて珍しいこともあるものだ。いつもならファッションがどうとか、あのアーティストがどうだとか、そういう話ばかりなのに。
「きっと、気のせいだって」
まさか、聡司が茉子のことを気にしているとも言えない。もし言ってしまうと、後々いろいろな支障が出てくる。そして私も目的を達成しにくくなるはずだ。……いや、聡司が茉子を気になっているという時点で、やりにくいことには変わりがないのだけども。

耳につけたイヤホンからは少し前の古い曲が流れていた。目の前の席には茉子と美久が座っている。二人の会話はこのイヤホンのおかげで聞き取ることはできない。向かい合わせにしたこの席は四人掛けであるが、都合のいいことに車内は空いていて、ここは三人しか座っていない。いや、三人と言っては間違いかもしれない。僕にしてみても、茉子にしてみても、美久の姿を捉えることができる。でも横の通路を抜けていく人たちにとっては、ここには二人しかいないのだ。話しかける彼女に、音楽を聞いて黙りこくっている僕。なんだか寂しい光景のようにも感じるのは気のせいだろうか。
"私の目的"は単に利己的なものだろう。でも。在り得る限りの全てを尽くして、私が、私だけの力で渡晴を包み込んでも、私は所詮幽霊であって、できることといえばほんの僅かしかないのだ。つまりは、限界がある。私は実体がない存在であるし、彼と永遠に居られるわけでもないし、衆人に認められることもない。幽霊とはつまり、世の中にしてみれば浮いた存在であって、自然の流れに逆らうものだ。よって、その存在が見えるのはごく一部の人に限られているし、こうして行動も制限されている。
そんな制約された範囲内で、どのようにしてモチベーションを──なんせ私だけではできることが限られているのだから人に頼るしかない──引き出すのか。それがこの身である上で、課せられた試練の一つでもあるわけだ。もし私が幽霊でなくて身体のある存在なら、渡晴と幾らでも一緒に居られるはずだ。でも今はそうはいかない。だからこそ、私は、私のできる限りの、最高で、最後のことを、彼にしてあげたい。そんな風に思うから、できる限り、早く……。

そんな日の夜。夕食を二人掛かりで作り、食べ終わった僕らは、昨日と同じように背中合わせで僕のベッドの上に寝ていた。部屋の中は静まり返っていて、外で鳴く虫の声がより際立って聞こえていた。
「今日は昨日みたいなこと言わないね」
彼女はふと思い出したかのように、そう呟いた。
「今はそういう気分じゃないから……」
なんだかあの電車での光景が寂しく感じられてから、全然元気が出ない。
「そう。私は別に、昨日渡晴が言っていたようなことをやらなくたって、こうして二人で一緒に寝ていられるだけで十分なんだけどな」
「……背中合わせでも?」
「うん。背中から伝わっている温かみが優しくて、心地いいから、ぐっすり寝られるしね」
「僕はどちらかというと背中合わせよりも、強く抱いていたいよ」
「どうして?」
「背中じゃなくて、ちゃんとこの手で、そこにいるってことを確かめていたいから……」
あの日みたいに、急に僕の目の前から消えたりしないでと、願いを込めて。
そこにいるという事実を、自分の中で飽きるほど何度も何度も、確かめて。
全身をフル活用させて、抱えきれないほどの大きな温もりを、感じとって。
「心配しなくても、私はちゃんとここにいるから安心して。ね?」
彼女はそう言いながら、僕を背から軽く抱擁した。
「うん……」
そんな彼女の心の温かみは、僕の背中全体にゆっくりと広がっていった。このまま、時間が止まってしまえばいいのに。その姿を、常に感じていられればいいのに。探さなくても、追い求めなくても、掴まえなくても、ここにいるという事実が判ればいいのに。僕はそんなことを思いながら、彼女の温もりを感じて、夢の中へと導かれていった。

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