The 44th story 惑星の記憶《その1》

未徠の消えた泉を眺める四人の前に再び彼が現れたのは、あれから数分と経たない頃だった。
湖面が揺れて水の跳ねる音が響いたかと思えば、宙から降り立つ未徠がいた。
何一つ濡れていないのは魔法のせいかと永輝が感心していると、未徠は何も言わずに急に鍾乳洞の出口へと歩き出した。
莱夢がその突然の行動に驚き未徠に何かあったのかと尋ねるも、未徠はそれに対して黙したままで何も言わなかった。
それに続いて聖流が問うも、依然として何も言わないままただ出口へと向かって歩いてゆくだけだった。
四人はただその後を追うしかなく、聖流が最後に尋ねてからは誰も口を開かなかった。

そんな状態のまましばらく歩いて、五人は鍾乳洞の外へと出た。
出口と書かれたゲートを通り過ぎた少し広くなっている場所へ来て、未徠はようやく四人の方へと振り返り真剣な表情をして言った。
「話したいことがあるから、俺の家までついて来て欲しい」
その重々しい口振りに四人は誰一人として異を唱えることができなかった。

地図的には山頂まであと少しと迫るところを、あのカラスは飛んでいた。
辺りは既に霧に囲まれていて視界は決して芳しくはなかった。
そんな中を予め未徠に渡された地図と自前の方向感覚、それから幾らか窺える山の様子を頼りにして頂上を目指す。
時々羽休めをするにしてもとても烏が登って来れるような高さではなかったが、その烏は少し息が上がっている程度だった。
視界に入った少し大きめの岩の先が開けたように見えようやくとそれを越えると、そこにはなだらかな広場のような場所があった。
そのほぼ中央に辺りの様子とは異質な直方体の岩がまるでそこに意図的に置かれたかのようにそそり立っていた。
高さは人の三丈ほどで、色もその山に転がるような岩とは明らかに違っていた。
そして、何より目を惹くのはその中に見える下へと続く階段の存在だった。
烏はその光景を見てすかさず元の姿へと戻って広場へと降り立った。
それからしばらく辺りの光景を茫然と眺めて、少しだけという気持ちで一歩前へと踏み出してみたが、
「イタッ……!」
そこにある"何か"にぶつかった。
そんなものがあるとは思ってもみない柚愛は、鼻先と額を押さえてその場にうずくまるのだった。
「……もう……、ズキズキする……」
言いながら片手を恐る恐る前へと差し出してみる。
するとそこにあるであろう見えないけれども存在している壁に触れた。それは硬く、押してもへこむ様子はない。
軽く握った拳で叩いてみるも、当たっている感触はあるのにまるで音がしなかった。どうもプラスチックのようなものとも違うらしい。
痛みもある程度引いた頃、柚愛はその場から立ち上がってそう広くもない広場の外周を見えない壁に触れながら歩き始めた。
しかしながら一向に壁が止む気配はなく、頭到(とうとう)周囲を一周してしまった。
そこで一度ため息をついて、右手を右斜め上にかざしながら短く呪文を詠唱した。
唱え終わると同時にその手から滔々と水が上へ流れ出る。それは宛ら噴水のようだった。
掌から湧いて出た水は、そのまま前の見えない壁へと当たって下へ流れて行く。
それを認めて、角度を徐々に上へ、出力を徐々に強くしてゆく。
水が壁へと当たる位置はそれが高くなると共に中の方へと寄っていった。
ある一定の角度を越えると、それはちょうどあの直方体の上になった。
水はそこからドーム状に四方八方へと流れていた。
つまり、何処にも穴がなかった。
「……」
致し方なく、柚愛はその場所だけを記憶してそのまま自らの家へとトランスしたのだった。
一方その頃未徠たち五人は、未徠自身のトランスによって彼の家へと来ていた。
未徠は元より莱夢、聖流には慣れた場所であったが、永輝や美琴にとってここへ来るのは初めてだった(美琴は厳密に言えば違うが)。
リビングの真ん中に置かれたテーブルを囲うソファに未徠を除く四人が座る。
莱夢と聖流は二人で話していて、永輝は物珍しさに部屋の様子を窺い、美琴はそんな永輝の目線を追いかけていた。
未徠は隣のダイニングキッチンで紅茶を入れていたかと思えば、テーブルの上に六つのティーカップを置いた後部屋を出ていってしまった。
それから五分ほど経っただろうか。大方見回し終えて呆けている永輝の視界の中に、トランスで戻ってきた柚愛が急に現れた。
今だ慣れない永輝がそれにビクついている間に柚愛が戻ってきたことに気付いた美琴が声を掛ける。
「柚愛さん、おかえりなさい」
聖流と莱夢がそれを聞いて同じように柚愛に声を掛けた。
しかしながら、柚愛の反応はあまり芳しくなかった。
「あ、うん。みんな、来てたんだ……」
柚愛はそのまま空いていた椅子に力なく座って、ぼんやりと辺りを見渡す。
「……未徠は?」
「さっきまでいたんだけど、出ていったっきり戻ってきてないな」
聖流が柚愛に答えて言う。
「そう……」
柚愛は小さく呟いた後少しの間を置いてから、
「今までに行った、セーハトニルラルゴ、それから今日のピアノ遺跡って、中はどうなってたの?」
「そのことなんだが……」
さながら狙い澄ましたかのように廊下から現れた未徠は、手に黒い巻物のような長物を持っていた。
「少し見て欲しいものがある」
そう言って軽く手を振ったかと思えば、長物はいつの間にか天井の出っ張りにそのついていた紐で引っ掛かり、するすると重力に従って白地の幕を広げた。
未徠は一つ空いていたソファに座ると、
「とりあえずセーハから行こうか」
言うと共にどうやっているのか、セーハ遺跡のレリックがスクリーンに映し出される。
「ここは観光用に公開されている遺跡の中に他のものに紛れて置かれていた。立地的にも危なくはない。寧ろ一般に公開するのが目的であったから、整備されていた。レリックに書かれていたのはニとジチ。他に取り立てて言うこともない。で、トニルは……」
続いて、スクリーンにトニルのレリックが映る。
「ここは洞窟だ。この地域の人はこの場所を忌避して入らなかったらしい。デュートの研究者が研究のために中に入ったところ、封印が施されていて奥へ進めなかったと聞いている。俺たちが入った時には途中で開かない扉があったが、その扉にしばらく手を当てていると自然と開いた。可能性としては、ここへ来る以前の他の遺跡の訪問記録の調査が挙げられるが、確かなことは分からない。扉を越えた先は道が二手に分かれていて、一方を聖流が、もう一方を莱夢が進んだ」
「……未徠はどうしていたの?」
話を割って柚愛が訊く。それを聞いて聖流は苦笑いをしていた。
「俺はまあ他にやることがあったからな。それで、聖流が道すがら玖藍と名乗る老人と接触、彼は自分に会わなければ反対の道にレリックへの道が開けないと言い残して消える、と。そうだな?」
「ああ……」
聞いて柚愛が首を傾ぐ。
「クラン……?」
「とりあえずその話は最後まで行ってからだ。それで、トニルのレリックに書かれていたのはヘとニト。ここはこれ以上特記することはない。で、次はラルゴか」
そう言ってスクリーンにラルゴ遺跡の様子を映す。
「ここは断崖絶壁に入口がある。内部は潮が入っていて水たまりが多くできていた。レリックまでは直線の一本道で真ん中あたりでまたも玖藍と遭遇。多くを語ることなくして消える、と。レリックの文字はロとルト。それ以外に大した収穫はなし。そして……、ピアノ遺跡か」
「何があったの?」
ようやくと莱夢が尋ねる。
「まあ、順番に行く。朝言ったようにピアノ遺跡は鍾乳洞で中が広いので、サモンでコウモリを呼び出して捜索していた。その折玖藍を見つけ、会い、遺跡の中にある泉から通じる場所にレリックがあると聞いた。そして行った場所が……、これだ」
言って未徠が新たにスクリーンに映し出したものは、乳白色の壁に覆われた円筒形の奇妙な空間だった。
底面に上から差し込んだ光が映り、中央には直方体の岩が突き出ている。
「えっ……」
柚愛は先ほど見た光景を想起して言葉を失くしていた。それを一目して莱夢が問う。
「これ、鍾乳洞、だよね……?」
「ああ……。どう見ても人工的に作られたとしか思えない。本来長い時間をかけて作られる鍾乳洞が、こんな奇妙な形をしているはずがない」
メノスの山の上にあった遺跡の入口もこんな形をしてた。えっと……、これ」
そう言うと柚愛は未徠の時と同じようにスクリーンに山の頂上らしき風景を映し出した。
しかしそこは真っ平らな場所で、中央にだけ直方体の岩が飛び出していて山の内部へと続く階段があった。
「如何にも、という形だな。本当に伝えられているように男が一人で作ったのだろうか……」
「それが知りたくてしばらく二人に黙っててってお願いしたの。私は遺跡が何処にあるか知らないし、戻したことを知ったら巡るのもやめちゃうだろうと思って」
柚愛は二人を見ながら言う。それを聞いて莱夢はようやくすっきりしたようだった。
「……それで、何か分かったことでもあるのか?」
僅かに含みを持たせて未徠が言う。
徒労させるために明かさなかったと知って、少し怒っているのだろうか。
「レリックはあの戦争のあった段階で既に確認されていたから、それ以前に作られたのだと考える方が妥当。そんな時期にあの言い伝えにあるように一人の男性が作ったというのは、当時の四国の関係を考えると信じられないの。普通の人はまず四国を移動するなんて真似はできないし、潜伏するのも容易じゃない。すると可能性があるのは魔法使いってことなんだけど……」
「それも、当時の状況を考えれば容易ではない、と……」
「そう。今でこそこうだけど、当時はまだ魔法使いなんて異端の存在でしかなかったから……。普通の人が作るより早く作れるとはいえ、あれだけ大掛かりなものを作っている間、どうやって隠れていたんだろうって。食糧だって馬鹿にならないだろうし」
「そうだな……。トランスも制限されていただろうし、監視の目も厳しかったはずだ。何とか移動できたとしても、そのあとが容易ではないな」
「それで、妥当なのは製作に神が関与しているってこと。つまり、遺跡やレリックが作られたのは神自身の意志でもあったんじゃないかって」
「そういえば、以前未徠くんが図書館に同じように神を探した人がいたという文献があったって言ってたよね?その人とは違うの?」
ふと思い出して莱夢が未徠に問う。旅を始める前、茶屋『そよ風の丘』での話だ。
「そんな人がいたの?」
「ああ。書いてあったのは戦時中の話だ。つまり、少なくとも神に逢った人が二人はいる。いや、この人が神に会ったとは書いていなかったか。しかし少なくとも地図はあったのだから、寸前までは確実に行っているだろうと思われる。こちらは遺跡に関する情報は多少あっても、経緯などはあまりなかったな」
「そう。道理でレリックの捜索が早いと思った。それで、話は元に戻るけど、わざわざあちらこちらに危険を承知で沢山作ったのは、多分神に願いを叶えて貰った見返りだと思うの。取引をして、レリックを作らせたんじゃないかな。神が関与していればある程度問題は解決するだろうから楽になるはず」
「ということは、神にもできることの限界があるってことか」
聖流が一人頷いて言う。
「だとすると、遺跡に封印がされていたり、神の捜索に関係のない史実の書かれたレリックがあったり、玖藍という老人がいたりするのはどういうことなんだろうな」
「まだ分からない。封印も他の遺跡の訪問記録を調べるためかもしれないが、あくまで可能性の段階でしかない」
「で、そのクランって何者なの?」
柚愛が聞き慣れない名前を問う。
「遺跡の中に現れた謎の老人だ。突然現れたり消えたりするので記録された映像かとも思ったのだが反応もあるのでどうやらそうではないらしい。レリックの正確な場所を知っていたりするから恐らく遺跡そのものに関わっているのだと思うが、現状では深くは分からない。本人曰く、そのうち分かる、だそうだ」
言って未徠は嘆息吐き、やれやれとばかりに手を上げる。
「何それ……」
「俺も……、その会えば分かるとしか言えない」
「映像の記録とか残ってないの?」
「何故か軒並み映ってない」
「えっ、いくらなんでもそんなことないでしょ?」
「そうはいってもだな……」
などと未徠と柚愛が言い合っている中、聞いてはいながらも暇そうにしていた永輝と美琴の傍に、莱夢がこそこそと隠れるようにしてやってきた。
「美琴ちゃん、あれからあの日記はどうしたの?」
そういえばあの時後回しにしたなあなどと思いつつ、答える。
「中を少し読みました」
「そう。それで、どういうことが書いてあったの?」
訊かれて、美琴は戸惑いながら、
「えっ……、あの、あれって美空さんのですよね?」
「あー、そうだね。そこは多分美琴ちゃんが決めていいと思うよ」
永輝はそんなずるい言い方をと莱夢に僅かに顔を顰めていた。でも、それと同時に一つの疑問が浮かんできてもいた。
「……今はまだ。ごめんなさい」
断ったのは美空がどう思うのか分からないということもあったのだけども、これは寧ろ柚愛への気遣いという面が強かった。
書かれた時期に双方の知り合いだった莱夢なら、あの日記だけで"彼女"が誰なのか分かってしまうんじゃないか、と。
もっとも、そのことをとっくに莱夢が知っているなどとは美琴はつゆとも思っていなかったけれども。
「そう、分かった。また何かあったら言ってね。私でよければ力になるから」
そう言うと莱夢は元の場所へと(再びひっそりと)戻っていって、そばに座る聖流と話し始めた。
未徠と柚愛は他の四人などほっぽり出してあれからずっと言い合っているままだった。
そしてその二人の様子を莱夢が時々ちらちらと見ていたのだった。
永輝はその莱夢の様子を細目で見ながら、先ほど浮かんだ疑問を尋ねてみた。
「そういえば、何故僕にはあの日記を見せてくれたの?」
「うん……?隠して欲しかったの……?」
珍しく、美琴は不敵に笑ってそう尋ねていた。
永輝はその様子に少し驚きつつも、
「そういうわけじゃないけど。ただ、どうしてかなと思って」
「そうだね……、あの時には美空さんの私物だって意識が薄かったから、かな。今はそうじゃなくって、いつかは自分のものになるんだって思ってるから」
言って一度眼を閉じる。四、五秒ほどしてから再び目を開いて、
「永輝になら今もあれを見せてもいいよ?私のわがままに付き合ってくれているし、それに──」
「そんな、わがままだなんて思ってないから」
「うん、ありがとう。それに何より、永輝だもの。美空さんの……、私の過去を一緒に知って欲しいから」
永輝を見て、そう言う。
「うん……」
二人はしばらくそうやって見つめ合っていた。
そして、それに最初に耐えられなくなったのは美琴の方だった。
「はは、なんだか恥ずかしいな、こんなこと言っちゃって……」
急に緊張の糸が切れたのか、美琴はすかさず目を逸らして頬を真っ赤に染める。
「もう……」
そんな美琴の様子を見て永輝は思わず美琴を抱きしめたくなった。
でもここでは憚られるなとテーブルの方を見て、置かれた六つのティーカップに未だに何も注がれていないということに気がついたのだった。

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