The 35th story 美しき空へ《その2》

「柚愛、美琴さんにかけていたラブレスの魔法を解いただろう?」
プロテクトによって自分へのトランスを使用できなくなった柚愛に対して、未徠は質問した。
「何のこと?私はあの魔法を解くつもりなんて毛頭ないのだけれど」
柚愛は内心舌打ちをしながら返答した。恐らくもう言い抜けできないだろうと思いながら。
「……では、何故美琴さんが恋の話に微笑んだりするのだ?」
「未徠の見間違いじゃないの?」
未徠なら恐らく確かな証拠を持っている。それが分かっていても逃げたい。
ただあの魔法を解いたことを未徠に対して素直に認めたくはない。
それが莱夢や聖流だったらどうだろうか。
少なくとも、未徠に対して言うよりかはまだ往生際よく認めていただろうと、柚愛は思っていた。
「俺だけが見たわけではない、聖流も見ている」
「なら聖流も見間違えたのでしょ?」
「だそうだが?」
未徠は聖流へ向き直って尋ねる。
聖流は一度だけ柚愛の方をちらっと見た後、
「少なくとも、俺にはそう見えたな」
「見えたというだけで、気のせいかもしれない」
苦し紛れにまた無駄な逃げに走る。
「そもそも、私が何のために魔法を解いたことを隠す必要があるの?」
柚愛には少しだけ上手くいったような気がしていた。しかし、
「動機なんて今はどうでもいい。永輝か美琴さんに訊けば、解いたのかどうかはっきりすることだ。美琴さんはともかく、永輝は魔法に対して耐性がないから口を割らせるのも簡単だろう?」
二人に口止めはしてあった。
ただ、魔法を行使──それも永輝にされてしまっては、柚愛としてはもはや逃れようがなかった。
「……ずるいこと言うんだね。確かに魔法は解いたよ。でも、それがどうしたの?」
今度はプロテクトで捕まった直後とは違い、随分と柔らかく言った。
「いや、言えば追われることもないのに何故言わないのかと思っただけだ」
そっぽを向いてそう言う未徠に対して、柚愛は問う。
「心配でもしてくれているの?」
恐らくそうなのだろうということは、柚愛にも容易に想像がついた。
ただ、未徠のことだから、それを口に出すわけがないだろうとも思っていた。
案の定、未徠は逸らした顔を戻しもせずに、
「そういうわけではない。面倒ごとに付き合わされるのが嫌なだけだ」
「……相変わらずだね」
柚愛の傍で目前としていた莱夢が、柚愛に向かって言う。
その声は何処か寂しさを帯びたものだった。
「で、何故解いたことを言わなかったのだ?」
改まったように未徠が尋ねる。
隣にいる聖流は、今だ僅かに視線をずらしていた。
「少し気になることがあっただけ。別に、未徠のように美琴さんの記憶を戻そうなんて考えてないから」
「そうなのか?」
その台詞に反応したのは聖流だけだった。
それも当然、未徠は当事者であるし、柚愛は持ちかけられた身、莱夢は既にあのときのことを聞いていたからだ。
「旅の目的は、美琴さんの感情を戻すことだ。それに変わりはない。ただ、もし柚愛が感情を戻さずにこのまま旅を続けることができれば、神に会ったときに記憶を戻す機会が得られるのではないかと、ふと思っただけだ」
「確かに神ならメモリーレスの魔法を解くことができるだろうけど……、それなら美琴さんの意思はどうなるんだ?」
聖流は、美空の記憶をどうするかは本人次第であって、自分がどうこうとは思っていなかった。
未徠が"戻すことができる"と思って柚愛に持ちかけたことや、柚愛や莱夢が戻して欲しくないと思っていることとは、また別のスタンスだった。
「今はあんな風に思ってはいない。だから自分から働きかけるつもりもない。ただ、もし戻したいと美琴さんが言うのなら、手伝うつもりではいるが……」
「そうか……」
「……もういいでしょ?そろそろ、かけた魔法を解いてくれない?」
柚愛が嘆息ついてそう言うが、未徠の態度は依然としたものだった。
「いや……」
「まだ、他に何かあるの?」
「少し、付き合ってもらいたい」
未徠はそう言うと、全員をとある場所へと転移させたのだった。

その少し前。
「あっ、雨が降ってきた……」
美琴の見上げる空から、数滴の雫が落ちてきた。
彼女は、永輝の家の居間の窓の傍からそれを眺め、ありのままに呟いた。
永輝は、言った美琴と窓の外を一瞥した後、再びぼんやりと空を眺め、それから思い出したかのようにコーヒーを手に取った。
落ちる雨と永輝とを行ったり来たりして眺めていた美琴の元に、未徠から連絡が入るまでには、そう長くは掛からなかった。
『今、二人は何処にいるんだ?』
『彼の家ですが』
『話したいことがあるのだが、後で行っても構わないか?』
未徠に言われ、美琴はぼんやりとしている永輝に、
「未徠さんが後でここへ来ても構わないかって」
「ん……、ああ、うん。いいって言って」
元気がないと形容するほどではなかったが、力の篭らない感覚を伴った語調で返す。
まるで何もなかったかのように振舞おうとしているのは、美琴にはありありと分かっていた。
「うん」『大丈夫です』
『分かった。しばらくしたら、行くと思う』
未徠とのやり取りに休止して、美琴は窓の傍から再び永輝の前の席へと戻る。
「永輝……」
美琴は、言ってからそれが自然と口から発せられたことに気がつくが、かといってどうすることもできなかった。
「どうしたの?」
問われ、困惑し、ただ思うがままに言うしかなかった。
「そんなに気にしても仕方ないよ。今どうこうと悩んでも、どうしようもないから。それでも心配になるなら……、えっと、そう、記憶が戻ったときの私に選ばれるだけのものを見せればいいんじゃないかな?」
永輝は、今の自分にとってそれが縁遠いものだと自覚していた。
記憶が戻ったときに、たとえ美空さんに今の自分以上に想える存在がいたとしても、それを越えられるだけのものを持っているか……。
少なくとも、こんな状況では、きっと敵わないだろう。変わらなければ始まらない。
それなら、彼女を──美琴を、もっと惹きつけられるようになればいいのではないか。
「うん、そうだね、ありがとう。記憶が戻るまでに、なるから。なってみせるから」
思わぬ永輝の発起に美琴は驚きながら、同時に安心してもいた。
これで少しは覇気があるようになるだろう、と。
『さて、今から行くが大丈夫か?』
「今から来るって」
「うん」
永輝は先ほどとは随分と異なる声色で首肯した。
美琴にはそれが嬉しくも恥ずかしくもあった。
『はい』
美琴が未徠にそう返した次の瞬間、部屋には未徠、莱夢、聖流と、それから柚愛が現れたのだった。

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