The 34th story 美しき空へ《その1》

明くる朝。
目覚めた美琴は、自宅で朝食を摂ってからしばらく食卓で黙然としたかと思えば、思い立ったかのように席を立ち、傘を持って外へと出た。
見上げたディーティの空は、今にも雨が降りそうだというくらいに暗い色をしていた。
美琴は朝の淀んだ空気の街中を抜けて、永輝の家を目指す。
美琴の家からは、そう遠くなく、三分もあれば着く距離にあった。
永輝の家の前に立ちドアフォンを押すと、暫時を置いて永輝が出てきた。
「おはよう」
「おはよう、さあ入って」
招かれ入った家は、昨日出てきた頃と変わりなかった。そして、彼も変わりなかった。
居間の机に腰を落ち着けた二人は、お互いに向かい合って座っていた。
一杯のコーヒーを前にしばらくの沈黙があった後、まず美琴が口を開く。
「昨日はごめんなさい」
「いや、そんなこと気にしなくていいよ」
「うん……」
そこに一泊の沈黙を置いて、美琴は続けた。
「私、あれから考えてみたの。これから、どうしたいのかって」
「……それで?」
「美空さんの記憶、戻したいの」
言われた永輝は微動だにせず、ただ美琴の言葉を反芻していた。
「もう、迷わないから」
「そう、か……」
永輝は何とかそう言うものの、美琴を直視することができなかった。
たとえ美琴の判断が永輝の予期していた通りであるとしても、また、彼にとってはその可能性が最も高いと思いながらも、それと同時に最も避けたいものであった。
最悪の事態などと考えることに罪悪感を覚えつつも、まさに今の状況を形容するにはそれが彼にとって相応しいものだった。
応援するという言葉は嘘ではない。踏ん切りさえつけば、もちろんそうするつもりでいる。
問題はその"踏ん切り"なのだ……。
「彼女にも何か事情があったのだろうけど、このままでいてはただずっと過去を気にしたまま過ごしていくことになるんじゃないかな、って」
美琴はその踏ん切りをつけていた。
記憶を戻すかどうかについて。
あとはただ、永輝がそれを如何に受け入れることができるかどうかだった。
一方、莱夢は落ち着かない夜を過ごした後、すっきりとしない朝を迎えていた。
彼女は、今更柚愛を騙すことに抵抗があるというわけではなかったが、ただどうしても彼女が魔法を解いたのにも拘らずそのことを言わない理由が気になっていた。
勿論、魔法を解いたのかどうかは決定事項ではなかったが、あの二人が疑心を抱いているというのだから、何かあるだろうと踏んでいた。
永輝と美琴の二人がその事実を明かさないのは恐らく、口止めでもされているからだろうが……。
そんなことを考えながら朝食を作っていたがばかりに、彼女は目玉焼きをすっかり焦がしてしまっていた。
真っ黒になってしまったそれを見て柚愛の姿を思い出したがばかりに、再び思考へと戻ってしまう。
しかし現状では堂々巡りをするだけで、ちっとも前へは進んでいなかった。
まずは会うしかないと思いながらも、未だ抜け出せずにいるのだった。
太陽が昇り、人々が活動しだす頃合になって、三人は莱夢の家に集まっていた。
「他でもない、柚愛から一体どうなっているのか、訊こうと思う」
そういえば、ディーティの丘以来彼女には会っていないなと聖流は思い返していた。
「二人は隠れていて。私がここへ呼び寄せるから」
「ああ……」「おう」
頷くと、二人はハイドでその姿を隠した。
『柚愛ちゃん、ちょっと話したいことがあるんだけど、うちまで来てくれないかな?』
莱夢はタシットで柚愛へと伝える。それからしばらくして、
『莱夢の家まで?』
『そう……』
言った後、十数秒ほどの間があった。
その間が甚(いた)く莱夢に響いていた。
『わかった』
その言葉が莱夢に届いた次の瞬間、柚愛は莱夢の前に現れていた。
「それで、何の用かな?」
柚愛がそう言い終わると同時に、
プロテクト
辺りには姿なき声が響いた。
「えっ……?」
柚愛が疑問を抱きそれを考える間もなく、二人が姿を現す。
「未徠に、聖流か……」
未徠はしっかりと柚愛を見据え、聖流は僅かに視線をずらして柚愛を見ていた。
「ごめんね」
莱夢は、少し俯き加減で柚愛にそう謝った。
「いいよ……、私が迂闊だっただけだから」
やんわりとそう言った後、
「で、何の用なの?」
その歴然とした視線を未徠に向けて、力強く言うのだった。

「ふぁぁぁ……、こんな朝早くから一体何をしているのだろうな……」
欠伸をしながら部屋へ入ってきた紫水を他所に、明鏡は巨大なディスプレイに映し出されている映像をじっと見ていた。
「……そんなにじっと見て何か面白いことでもあるのか?」
「いや、この組み合わせ、珍しくないか?」
明鏡が振り返って言う。
指し示す画面には、未徠、聖流、莱夢と、柚愛が映し出されていた。
「確かにな……。そういえば、もういい加減身辺調査してみたか?」
「ああ……。確かに未徠さんはここの職員だった。この美琴さんの柚愛さんからの保護任務についている。一方で、未徠さんは柚愛さんの兄という立場でもある。美琴さんは以前美空という名前であったが、メモリーレスによって記憶をなくした後は美琴として生活している。この二人、莱夢さんと聖流さんは、未徠さん、柚愛さん、美空さんの幼馴染で、紫水もそうか」
「ああ……」
「美空さんと莱夢さんは遠い親戚で、皆アーチェの出身……。ということは、紫水もそうなのか?」
「まあな。今は、あの町には居ないが」
少し目を伏せて言うが、明鏡はその仕草の意味に気がついてはいなかった。
「ん?アーチェといえば、未だに覇権争いしているのか?」
言われて、紫水は少し目を細めて、
「さあ。最近帰ってないから分からない」
「そうか……。それから、永輝さんはミューク国ディーティ出身で、記憶をなくした美空さん──つまり美琴さんと知り合って、以後彼女の好い人としてある」
「うむ……」
「そういや先日、永輝さんや美琴さんと接触していたが、あれは何を話していたのだ?」
「昔のことを、ちょっとな」
「昔?記憶をなくす前のことか?」
「まあそんなところだ。そればかりは仕方ないだろう?」
「そうだな……」
言ってから、少し顎に手を添え考えて、
「それにしても、どうしてこうも任務に就く人間が関係者ばかりなのか……」
「上に聞いてくれ。私も全くもって理解できない。ただ今は、やれと言われているからやっているというだけだ」
「一体、どうなっているのだ?」
「それは私が訊きたい……」
そうして二人して頭を悩ませるのだった。

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