The 30th story ラルゴ遺跡《その3》
「とりあえず、あの街へ戻ろう」 永輝は隣に座る美琴に言った。 「私は、もう少しここにいようと思うんだけど、いいかな?」 てっきり美琴はここにいたくないものだと思っていた永輝は、予想外の返答に尋ね返す。 「何か気になることでもあるの?」 言われた美琴は少しだけ目を伏せて、 「この間来た時はあまり時間が取れなくて無理だったけど、今日は少し調べてみたいと思って」 それを聞いて、思わず手伝おうかと言い掛けた永輝は、それを思い留まって、 「そう。それじゃあ、僕はここで待ってるよ」 「うん、ごめんね」 そう言って美琴は立ち上がり、書斎の方へと歩いていった。 「美空さん、か……」 残された永輝は頬杖をついて軽くため息を吐くのだった。 「今度は、こんな断崖絶壁にある洞穴。こんな場所には、魔法使いでもない限り作れるはずがない」 洞穴の前方を軽く滑るように飛ぶ一羽のカラスがいた。 「中の状態からしても、作られたのは随分前。しかし、この星にはあの戦争と歴史がある。だからここに魔法使いが作りに来られるはずがない。かといって、この国の人間に作れるものだとは思えない。仮に魔法使いがフライなどで秘密裏に渡ってきていたとしても、これだけのものを作る間誰にも見つからずに潜伏することができるわけもないはず」 烏はぶつぶつとそんなことを喋ってから、崖の上へと降り立った。 それから一瞬の後には、その場に柚愛がいた。 「だとすれば、これを作れるのはただ一人……」 一方、洞穴の中では、 「それにしても、この洞穴やあの洞窟は、誰が作ったんだろうな」 「聖流くんの会った玖藍さんにまた会えれば、わかるかもしれないけどね」 「わしに何か用かの?」 背後から急に声がして三人が咄嗟に振り向くと、そこにはあの老人がいた。 「あなたが玖藍さん?」 肩に力が入っている未徠を一見して、莱夢が尋ねる。 「如何にも、わしが玖藍じゃ。其方ら、ここで三つ目じゃな。何を目的としておるのか分からんが、わざわざここまで来るぐらいじゃから、それなりの事情があるのじゃろうて」 それを聞いて、未徠は僅かに顔をしかめる。 一方の玖藍はそんなことなどいざ知らず、 「この遺跡のレリックまでは、ここでおよそ半分じゃ。あとの道も直線じゃから、何も困ることはなかろう」 そして、聖流は苦虫を噛み潰したかのような表情をしていた。 「玖藍さん、この洞窟は誰が作ったのですか?」 未だ平然としていた莱夢は、気になっていたことを知っているであろう人物に投げかける。 「このまま遺跡を辿り続ければ、いずれそれもわかるじゃろう。わしが敢えて今言う必要もない」 玖藍はそう言うと三人に背を向け、 「それじゃあの。また次の遺跡で会えればよいの」 そうして、まるで光の粒子が天へ昇るかのように、その場からいなくなった。 「……前もあんな調子だったのか?」 一呼吸置いて、多少顔を強張らせた未徠は聖流に尋ねた。 「今のほうがまだましだな」 「そうか……」 呟いて、未徠は一人洞穴の奥へと歩き始めた。 莱夢と聖流の二人は、その後を慌てて追う。 「未徠くん、どうかしたの?」 「さあ。 誰か嫌な人にでも似てたんじゃないのか?」 「そうだと、いいんだけどね」 不安そうに未徠を見つめる莱夢に、聖流は何か珍しいものを見つけた気がしていた。 永輝はふと、美空はどういった人なのだろうと思った。 それは、美琴にとってではなく自分にとって。 美琴が自らの過去という位置づけで美空を見て、どういった人なのかと捉えるのとは違う。 永輝にとって、美空という人物がどうなのかということ。 永輝は、美琴に美空としての記憶が戻ったときのことを考えて、以前柚愛が"優しかった"と言っていたことを思い出す。紫水がさっき言っていたことを思い出す。 それと共に、前回この場所へ来たときに現れた"美空"を思う。 彼女に誰か好きな人がいたのかどうかということも気にはなるが、果たして記憶の戻った美琴に──美空に今までと同じように接することができるだろうかと考える。 このまま、彼女を好きなままでいられるかどうか考える。 永輝にも、美空が記憶を消した理由は分からない。 それでも、彼は不思議と彼女に怒りを感じてはいなかった。何故か、そこに温かな目を向けることができていた。 それはカノジョ──つまり美空のことを信用しているからなのだろうか。 それとも、それが美琴であるからなのだろうか──。 「こんなものを見つけたんだけど……」 美琴の声で我に返り、永輝は声の元を見た。 そこには一冊の小さな本が握られていた。 「それは?」 「日記帳のようなんだけど、開けられなくて」 美琴は、永輝の向かいの席に腰を下ろして、その本を永輝に差し出す。 手にとって、避けてもやはりカノジョのものに勝手に触ることになるのかと思いながら本に力を込めてみるも、それはびくともしなかった。 「もしかして、魔法が掛かっているのかな……」 呟きながら差し出された手に、永輝は本を手渡す。 「今は遺跡にいるだろうから無理だけど、後でどうやって開けるのか聞いてみることにするよ」 「うん」 「えっと、こう、だったかな」 美琴がそう言うと共に、本はその場から姿を消した。 「……」 「昨日の夜少し一人で練習してたんだけど、上手くいってよかった」 気持ち嬉々として話す美琴に、永輝は少しだけ寂しさを覚えたが、それを美琴が気付くことはなかった。 「あの本にはどう書いてあったんだ?」 「柚愛さんの貸してくれた教科書のこと?」 「ああ」 「ちょっと待っててね」 そう言うと、美琴は自らを自室へと転移させた。 「……はぁ」 誰もいない部屋で、永輝は小さくため息を吐く。 許容した手前何も言うことはできないと思いつつも、彼は何となく納得できていなかった。 「ただいま。はい、これ」 差し出された本を受け取り、トランスの項を開く。 トランス ─ ボン魔法 *概要 転移の魔法 指定した空間に存在するものを指定した空間に移動させる *条件等 転移させる者は、移動するものの場所と移動させたい場所を明確に把握していなければならない その場所は相対的なものでも構わないが、その場合、基準となるものの場所を把握している必要がある また、対象となるものが移動している場合、今何処に存在しているのかを明確に把握していない限り、それを対象として転移させることはできない 転移の対象となるものは、人物、動物、物体など(その数は問わない)であり、空間そのものを転移させることはできないため、気体などを直接移動させることはできない(但し、入れられている容器などを転移させることで間接的に移動させることはできる) 上記のものでも、他の物によってそれと相対的に固定されている場合は移動できない 時間を無視して、魔法を使わず、自他含めてものを破壊することなく、移動させたい場所まで移動させることが可能であるものならば、概ね移動できるとしてよい 一方、移動させたい場所に既に他のものが存在していた場合、その場所から最も身近で安定した場所へと移動するため、他のものに割り込ませるような移動はできない この魔法は、場所の移動に必要な手間と時間を短縮できる魔法といえる *魔法術式 … … 「つまり、移動させたいものを自分にすれば、空間を無視して移動できるということか」 「うん。それじゃあ、私もう少し調べてみるね」 「ああ」 永輝は奥へと歩いていく美琴の後姿をぼんやりと眺めながら、自分と魔法と、それから美空のことを考えるのだった。 |