The 29th story ラルゴ遺跡《その2》

「さて、この切り立った崖の下に洞穴があるのだが……」
三人は、青い海に臨む断崖の傍にいた。
そこは、あと数歩ほど先へ歩けば瞬く間に海へと落ちゆくような場所だった。
「つまり、飛ぶしかないということか?」
未徠の顔を見て、聖流がまるでこれからまた長い距離を歩くかのような表情で尋ねる。
「当然、そういうことになる」
一方で、未徠は聖流の問いに平然と答えた。
「しかし、俺のキジでは直線には飛べても、絶壁にある洞穴へなんて入れないのだが……」
聖流は再び海の方を向いて、陸の途切れる場所を見つめていた。
「俺や、莱夢の方が得意だな」
「……走れば速いんだがな」
そう言って、ため息を一つ漏らす。
「他の鳥でも練習するしかない」
「それは流石に勘弁して欲しいな」
もっともな意見だけれどもと、聖流は心のうちで付け足す。
しかしながら、今から新たな鳥を練習するとなれば、相当の時間を要するだろう。
「仕方ないね。私がとりあえず入り口まで行ってくるから、二人はここで待ってて」
目を瞑って、一呼吸置くと、そこにはカモメがいた。
鴎は、二人を一瞥してから断崖へと消えていった。
「そういや、未徠はハヤブサだったよな?」
「ああ。最近はめっきり使わなくなったが」
「隼は三百キロで飛べるんだろう?」
「それは落ちるときだ。流石に普通に飛んで三百キロを超えられるなら、もっと使っているだろう」
『さて、行くよ』
二人の頭に、そんな莱夢の声が響いたかと思うと、次の瞬間には洞穴の中にいた。

一方、美琴と永輝はというと、
「美空は私やあの莱夢の幼馴染なのだが、幼い頃の美空はというと、穏やかな性格をしていて滅多に喧嘩するようなこともなかった。私は莱夢があんな奴だからあいつとよく喧嘩していたものだが、その時に決まって仲裁に入るのが美空だった」
美空がどんな人だったのかという名目で、紫水の過去話を聞いていた。
「争いを好まず、平穏が好きだったのだとも言えるかもしれない。好戦的な態度を見せることもなかったし、逆に吹っ掛けられても上手く丸めてしまうほどだった。だから当時の私や莱夢にとっては、ある意味天敵とでもいえる存在だったのだろう、今思うと正直苦手だった。いつか莱夢とは白黒つけたいと思っていても、大抵美空が諍いを片付けてしまうのだから、それも仕方ないかもしれない。でも逆にそれがよかったと思っている。彼女がいい中和剤になったおかげで、今の莱夢とこうしていれるわけだから。もっとも、莱夢が私に好戦的なのは、今でも変わらないけどな」
苦笑しながら言って、紫水は軽くコーヒーを口にした。
「学業に就いてからの彼女は、話し合いを穏便にまとめたり、ちょっとした喧嘩や仲違いを取り持ったりして、皆に一目置かれていたらしい」
「違う学校だったんですか?」
口を挟んで、美琴が尋ねた。
「いや、同じだったが?」
「なら、"らしい"というのは……」
「ああ。美空は私の一つ下で、学年が違っていたからな」
言われて納得した美琴には、しかし新たな疑問が浮かんでいた。
「じゃあ、莱夢さんは?」
「美空と同い年だ。しかし、年下に喧嘩を仲裁されていたなんて情けない話だな」
言いながら美琴の顔を見て、くつくつと笑う。
美琴はそれに違和感を感じつつも、有無を言えないでいた。
一方、永輝も同じように感じてはいたが、それも仕方のないことかもしれないと割り切っていた。
「卒業してからは、時々ここにお邪魔するくらいだった。それが急にいなくなったなどと言われたときは驚いたけども、今はこうして会えてほっとしている。もっとも、"カノジョ"はいないんだがな」
はにかみながら笑って、まるでそれを誤魔化すかのようにカップを口元に運んだ。
「今でも時々会いたくなることもあるが、それが"カノジョ"の選んだ道なら仕方ない。自分でそうすることを選んだのだから、私がそれにとやかく言う筋合いなんて、ないだろうしな……」
ため息をついて、カーテンの掛かった窓を眺める横顔に、流れるものを見た。
美琴には、そんな気がしていた。

「見事に水溜りばかりだな」
暗部へとのびる洞穴の入り口で、奥へと続く道を眺めながら、聖流が呟く。
「おまけに地面には海藻が生えているね。気をつけないと滑りそうだよ」
「長靴でも履くしかあるまい」
未徠は、そう言いながら取り寄せた長靴に履き替える。
「それでも滑る人はいるんじゃないかな?」
莱夢も、同じように長靴を履く。
それに倣って、聖流も長靴を取り寄せる。
「さて、これで行けるな。深みもあるだろうから、長靴を履いているからといって油断はできないが」
履き終えて、未徠は一人洞穴の奥へと歩を進めた。

「昔話ばかり聞かせてしまってすまない。他には、何かあるか?」
「いえ……」
「そうか。なら帰るとするかな」
言いながら椅子から立ち上がる紫水を見て、美琴も立ち上がり、
「わざわざ、ありがとうございました」
と、頭を下げた。
永輝も、彼女に倣って、横で軽く頭を下げた。
「また、用があればいつでも」
紫水はつぐんだ口の両端を僅かにあげて、作ったような笑みを見せて去っていった。
『美空を任せたからな』
永輝に、そんな言葉を残して。

一方、洞穴の中では、
「きゃっ」
莱夢が滑ってこけそうになるのを、未徠が寸是のところで支え止めていた。
「……ありがとう」
言われた未徠は、その視線を外し、莱夢を引き上げて元の姿勢へと正す。
「しっかりしろよ」
洞窟の行く先を見ながらそう言って、未徠は歩を進めた。
後ろを歩いていた聖流は、ほっと胸を撫で下ろしてその後に続く。
莱夢も軽く吐息を漏らしてから、その後を追うのだった。

紫水の去った後、二人は同じリビングで隣合って座っていた。
「やっぱり、紫水さんの言ったとおりだった。自分の、ことなのに、ただもどかしいだけ。聞いても、聞いても、自分とは違う、他人(ひと)の話を聞いているだけにしか……」
「……うん」
「きっと、同じように他の誰かの話を聞いても、私の中で何か変わるようなことはない気がする。今よりも、もっと歯痒くなるだけ。もっとカノジョを遠くに感じるだけ。その度に、自分がわからなくなるの。ここに居るはずの自分が、いないようにすら思える。どうして、ここにいるのか、それにすら疎くなっていくようで、自分が、怖い……」
わなわなと震える美琴の肩を、永輝はそっと抱いて、
「何も無理して、カノジョを受け入れる必要もない。たとえ過去に美空さんであったとしても、美琴は美琴以外の誰でもないから」
「うん……」
永輝はその両腕を美琴の背に回して、彼女の身を柔らかに包み込むのだった。
それからしばらく間があったが、永輝がふと思いついたように、
「それに……、くさい言い方かもしれないけど、二人の愛のために、君がここにいる……なんてどう、かな」
それを聞いて、美琴はくすっと笑って、
「もうそんな、柄にもないこと言って。恥ずかしいよ」
でも、と続けて、美琴は永輝の耳元でこう囁くのだった。
「ありがとう」

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