The 28th story ラルゴ遺跡《その1》

翌日の早朝。
美琴の隣で目覚めた永輝は、横で未だ眠っている美琴を目に留めて、その寝顔をぼんやりと見る。
彼女が時折見せる僅かな反応に若干の驚きを覚えつつ、永輝は昨晩のことを思い出していた。
"カノジョは私じゃない"
美琴は、美空という存在に関心を抱いていると同時に、畏れと怒りと困惑も抱いている。
過去の自分であるということ。
魔女としての自分があるということ。
無責任な自己の放任があるということ。
切っても切れない関係であるということ。
永輝は、以前莱夢が言っていた"深み"とやらに美琴が完全にはまっている気がしていた。
ただ、関係性を疑っているわけではなかったけれども、"過去の自分"に束縛を受けていることは確かだった。
もしかすると知らない方がよかったのかもしれないとも考えていた。
あの夜柚愛に会うこともなく、過去はずっと何故か解き明かされることもなく謎のままでいて、プロポーズには一悶着あったとしても結果的に承諾して、二人でゆっくりと暮らせていれば、その方が平和だったのだろうと。
柚愛がかけた魔法が特別悪いというわけではなく、それがきっかけになって過去が沸いた。
ラブレスがかけられたままでよかったとは言わないけれど、下手に過去と関わってしまったことがこの現状に至った要因だろう。
しかし起こってしまったことを今更後悔しても仕方ないと思いつつ、ならばこれからどうしていけばいいのだろうと永輝は考える。
このまま過去を中途半端に引きずっていては、何も解決しない。
すっぱりと過去について追求することを諦めてしまうか、もしくはとことん追求するか。
後者なら、きっと記憶を戻すところまでいくだろう。
だとすれば、あの三人は協力してくれるのだろうか。

「今日はフィーロ国ラルゴという都市に行くことにする。今回は、俺が一度行ったことのある都市だから、直接行く」
朝の八時過ぎ、あの丘の上に五人は集まっていた。
「歩かなくてもいいっていうのは楽だよな。昨日みたいなのは、もう勘弁だ」
聖流は溜息をわざとらしくついてみせた。
それを見た未徠は、ふと思い出したようなふりをして、
「二日くらい歩く必要のある遺跡もあったが」
「二日……?」
「ああ。人里離れた殺風景なところにあるんだそうだ」
「はぁ……、誰か送ってくれたらいいのにな」
「そんなに都合よくいくはずがないだろう?」
「未徠がさせてくれないだろうからな……」
そう言って、聖流は肩を落とす。
「そのラルゴって、どんなところなの?」
莱夢がそんな聖流を横目で見遣ってから尋ねる。
「海沿いで、大きな港がある。漁業や造船業が盛んで、魚介類が美味しい」
「終わったら、食べに行こうかな」
「そうするといい。済んだらいい店でも案内しよう。さて、そろそろ行くぞ」
そうして、五人はその場からいなくなった。

「……高い」
まず最初にそう感想を漏らしたのは永輝だった。
雑踏とした交差点の角へと転移した五人は、二人を除いて、皆目前のビルを仰いでいた。
ノールなら、この程度比ではない」
「確かあそこには、空に都市があるんでしょ?」
上を眺めたまま、未来に目をやることもなく莱夢が尋ねる。
「どうせ行くことになるのだから、そのときに見ればいい」
「これとはまた違った圧倒感を感じるんだろうね」
「こんなもの、あとでいくらでも見れる。先にやることを済ませてしまうぞ」
「うん」
「二人は適当に散策しているといい。もし迷うようなことがあれば、俺に言ってくれればここへ戻すから」
「ああ」
言われて返事をしたのは永輝だった。
美琴の方は、未だにビルを──正確には、狭い空だったが──仰いでいた。
「それじゃあ、また」
莱夢がそう言い置いて、三人は歩いていった。

「これからどうするんだ?」
「莱夢さんに紫水って人と会えないか頼んでみる。それで無理なら、柚愛さんに頼るしかないと思う」
少し歩いたところにあった丸太椅子に腰掛けて、二人は話していた。
そこは、道路の両隣に高いビルがそびえていて、空が晴れているにもかかわらず少し薄暗い場所だった。
「そうだな……」
「じゃあ、ちょっと待っててね」『莱夢さん、紫水という人に会わせてもらえませんか?』
『うん?紫水?どうして知ってるの?ああ、もしかして昨日行ったときに……?』
『はい』
『私は別に構わないけど、会っても全然面白くないよ?なんていうか、口数が少ない上に、冷たいしさ。話しかけても短文ですまされるの。長々と話してあっさりとすまされるとやる気が削がれるよ。何のために話してるのだか、わかったものじゃないしね。それに──』
それから一分ほど、莱夢は紫水に如何に面白みがないか延々と話して、
『まあ、会いたいっていうんだから、仕方ないね。少し待ってて』
惜しむように閉めた。
『はい……』「少し待っててって……」
「それにしてもやけに長かったね」
「うん……」
何をそんなに面白くないと言うことがあるのかと、美琴は思っていた。
『お待たせ。えっと、美空ちゃんの家に行けるかな?』
『はい……』
『そこで待たせてるから。それじゃ頑張って』
そして何故か応援されていた。
「美空さんの家で待ち合わせるって」
「……ああ」
「じゃあ、行くね」

「こんにちは」
「そっちの男は誰だ?」
不躾にも挨拶もせずに突然質問してきた女性こそ、紫水だった。
彼女はリビングに備えられたテーブルに向かって腰掛け、目の前に一杯のコーヒーを置いていた。
「私の、彼です」
美琴に紹介されて、永輝は紫水に向かって軽く頭を下げた。
「そうか。それで何の用だ?」
「美空さんについて、伺いたいことがあるんです」
「"カノジョ"か。知ってどうなるというものでもないだろうが、まあ気になるんだろうな」
そう言って、紫水はコーヒーを口にした。
「とりあえず、座るといい」
言われて、二人は紫水の向かいの席に座る。
「……それで?」
紫水はカップをテーブルに置いて、美琴に尋ねた。
「美空さんが、何故記憶を消したのか、知っていますか?」
紫水は締まった表情をより締めて、
「心当たりはある」
とだけ言った。
それを聞いて、美琴は少し胸をなでおろすが、
「だが、私が話していいのかどうか、それはわからない」
聞いて少し強張った美琴に代わって、永輝は尋ねる。
「どうしてですか?」
「理由は幾つかある。まず一つには、それが美空だけの問題ではなかったということ。つまり個人のプライバシーに関わることを、"第三者である"あなたに話してもいいのかどうか、私には判断できないということだ。それから、この理由が私の憶測でしかないということ。もし実際は違っていたとしても、そのことに対して何の処置も与えることはできない。それに、話したことによってあなたがどういった反応をするのか、それが予想できないというのもある」
「……そう、ですか」
紫水は、がっかりして頭を垂れる美琴に視線を置いて、
「申し訳ない」
『何か、私の思いにもよらない答えがあるのかな……』
永輝の心中へと美琴の声が響く。
しかし、その後に言葉が続くことはなかった。
「他に、何か聞いておきたいことは?」
紫水は、二人を交互に見て尋ねる。
「紫水さんから見て、美空さんはどんな人でしたか?」
顔を上げて、だが声のトーンは下がって、美琴が尋ねる。
紫水は、美琴の隣に座る永輝を一瞥してから、少しの間を持って、
「美琴さんは、美空が何者だったのかを知りたいのだと思うが、今はいくら知ったとしても個人の主観でしかない。他人から見えた美空の姿であって、それだけが美空であるというわけではない。いくら尋ね歩いても、それは変わらないし、何一つ納得することも満たさせることもない。ただ、分からないことが余計に増えるだけだ。それでも、知りたいというのなら──」
そこまで言って、少し間があった。
紫水が微かに眉をひそめて、続けるには、
「──、いや、すまない。ついいつもの癖で、な。これについては、私がわかる限りは話そう」
ふうとため息をついて、紫水は再びカップから一口のコーヒーを得るのだった。

町外れの一角に、三人は来ていた。
もはや周囲に高いビルなどはなく、多少荒れた草原の中に時々家が建っているような場所だった。
「ここで道を反れて、草原の中を行く……、それで洞穴の上に行き着くはずだ」
未徠がそう言って草叢へと入っていく後を、二人は追うのだった。

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