The
27th story 魔法講義録《その2》
美空の家から戻ってきた二人は、とりあえず机に向かい合って座った。 「永輝には、お父さんとお母さんがいるでしょ?」 美琴は先ほどとは打って変わって、落ち着いてそう言った。 「えっ、うん、いるけど……」 「それで、美空さんにももちろんお父さんとお母さんがいたはずでしょ?」 「そうだろうけど……、それがどうしたんだ?」 「なんていうか、ほら、お父さんがいて、お母さんがいたから、今の永輝がいるんでしょ?」 「……ああ」 「美空さんもそうだったんだろうけど……」 そう言って一度机に視線を落としてから、再び永輝を見て、 「二人の間に愛があったから、ここに永輝がいる。それが永輝がここにいる理由。そうでしょ?」 「まあ、そういう風にも言えるな」 「きっと美空さんもそうだと思うの……」 そう言うと、美琴は再び机に視線を落として黙ってしまった。 「……どうしたんだ?」 少しだけ顔を上げて永輝を伺うと、再び俯いてこう言うのだった。 「前からずっと、どうして私はここにいるのかって考えてて……。せめて、何故美空さんが記憶を消したのかが分かれば、その理由にもなると思ってたんだけど、それも無理みたいでしょ……?」 「いや、まだ諦めるのは早いよ。ふと思ったんだ。もしかしたら、記憶を消した理由を知っていても、それを隠している可能性もあるんじゃないかって。あくまで莱夢さんや聖流さんが誰も知らないって言っただけで、可能性が絶たれたわけじゃないよ」 言われて、美琴は顔を上げる。 「……じゃあ、二人が知らないか知らされてないだけってこと?」 「場合によっては、この二人さえ隠している可能性もあるけど……」 「それじゃ、たとえ知ってる人がいて話してくれても、それが嘘だっていう可能性もあるってことでしょ?」 「……うん」 「もし二人が共に嘘をついていて、本当は理由を知っているとしたら、私はそのことがばれたときに二人が明かした理由を信じることはできないと思う……」 「……」 「未徠さんにしても、同じこと。あの二人が敢えて隠すようなことなら、未徠さんも話さないと思う」 「じゃあ、柚愛さんか紫水っていう人に頼るしかないってこと?」 「……きっと柚愛さんも知らないと思う」 「一応、聞いてみないか?」 「……うん」 僅かに頷いて、美琴は目を閉じる。 永輝はその様子を少し心配そうに見ていた。 『今、お暇ですか?』 『……! うん!』 そうやって元気よく返事をしたかと思うと、 『……あっ、そうだったね、ごめんなさい』 意気消沈して、美琴に謝るのだった。 『どうかしましたか?』 美琴は、何のことかと尋ね返す。 『いや、なんでもないの。それより何か用?』 『少し聞きたいことがあって……。よければ来てくれませんか?えっと、私の家……は、来たことないですよね?あのベンチのある丘に来てくれませんか?』 『わかった』 「ちょっと、出かけてくるね」 そう言うと、美琴はその場から転移した。 「……美琴も、魔法に頼るようになるのだろうか」 ぼそっと永輝が呟いてから数秒後、そこに美琴と柚愛が現れた。 「ただいま」 「……こんにちは」 「ああ……」 「とりあえず座って」 美琴に言われるがまま、柚愛は永輝の右隣へと腰を下ろす。 「お茶でも入れてくるよ」 永輝はキッチンへと入っていく後姿を追いながら、 「柚愛さんは、美空さんの父親と母親を知っているのか?」 「幼馴染だったし、顔と声の判別がつくくらいには……」 「そうか……」 「それがどうかしたの?」 「いや、ちょっとな……」 「そういえば長く会ってない気がする。今、二人がどうしているか知らないけど、莱夢なら親戚だから知ってると思う」 「えっ、美空さんと莱夢さんは親戚なのか?」 永輝は思わぬことに驚くも、柚愛はその驚きに対して大した反応も見せなかった。 「そんなに驚くほどのことでもないと思うけど。確か、祖父か祖母が同じ人じゃなかったかな」 「はとこってことか……。美空さんの家を莱夢さんが掃除してるっていうのも、分からなくもないな……」 「あの場所にも、久しく行ってない。たまには見に行こうかな……」 柚愛は、言って目を閉じた。 「お待ちどうさま」 急須とお茶を運んできた美琴は、二人の前に湯飲みと急須を置いてから、お盆を傍へ退けつつ自分の前にも湯飲みを置いて永輝の向かいに座った。 「柚愛さんは、美空さんが何故魔法で記憶を消したのか、その理由を知っているんですか?」 場を落ち着けた美琴が柚愛に尋ねる。 「理由?それが分かっていれば、今頃こんなことをしていなかったかもしれない」 「何か、思い当たるようなこともないのか?」 「私には、ない。彼女がいなくなったのは余りにも突然で、何の前兆もなかったと思っている」 「そう、ですか……」 美琴は肩を落として、その場に俯く。 永輝がそれを一瞥して、続けて質問するには、 「じゃあ、話は変わるが、紫水って誰なんだ?」 「三人から聞いたの?」 柚愛は意外そうな顔をして、永輝にそう尋ね返す。 「いや、そうじゃないんだが……」 一方永輝は、あの場所へ行って残された美空の映像を見たことを告げてもいいものかと思い、言いよどんでいた。 「永輝さんがどうして彼女を知っているのか不思議だけど、紫水は私たちの幼馴染で、今は国の省で働いてる。ここ最近会ってもない上に、名前を聞くのさえ久しぶりだけど」 「どうすれば、会えるんですか?」 「紫水に?」 「ああ……、少し用があってな」 「呼べば来ると思うけど……、でも──」 そこまで言って、少し躊躇ってから、 「きっと紫水にしても現状を知っているはず。そうなると私はただ追いかけられるだけの身の上だからちょっと……」 「別に、もう追われるような理由もないのけどな」 「いいの、私がばらさないでって頼んでるのだから。……だから、もし紫水に会いたいなら、あの三人に頼むといいと思う」 「はい……」 先ほどの永輝とのやり取りもあってか、"あの三人"に対する美琴の反応はあまり芳しいものではなかった。 三人に対して不信感があるというよりも、不信感を抱いてしまうことが不安なのだった。 「そういえば、さっきタシットを使ってたけど、あれはどうして使えるように?」 「莱夢さんに教わったんです。何かあったときのためにって」 「そう……。他に何が使えるの?」 「フライと、さっきのトランスです」 「その三つか……。んー、ちょっと待ってて。便利なもの、貸してあげるから」 そう言うと、柚愛は転移してどこかへ言ってしまった。 「便利なものって……?」 「さあな。何か、役に立つものであればいいけど」 言って、手付かずだったお茶を一杯飲む。 美琴も倣って、目前に置いた湯飲みを手に取る。 「お待ちどう。はいこれ、少し古いけど」 帰ってきた柚愛が美琴に差し出したのは、古くなったせいか少し赤茶けた一冊の本だった。 その本の表紙と思われるところには、"魔法の使い方"とタイトルらしき文字が書いてあった。 「これは?」 「私が以前使っていた、いわば教科書。基本的な魔法──ボンとかマウの下級魔法の発動方法が載ってる。必要と思う魔法だけでも覚えておけば役に立つこともあるだろうし、他にどういう魔法があるのかも知っておいた方がいいと思って」 「はい……」 受け取った本の表紙を眺めて、美琴は何処か遠慮がちな表情でいた。 永輝はといえば、"やっぱり"と思いながらため息を吐いて、自分で構わないと言ったことを顧みていた。 「もう少し上の魔法の本もあるけど、それはまだいいかな。あっ、その本は一応あの三人には隠しておいた方がいいよ。名前は書いてないけどね……」 湯飲みを取り、少し冷めたお茶をずずっと一気に飲んで、 「もう用は済んだかな?」 「あっ、はい」 「それじゃ、また用があればいつでも呼んでくれていいから」 そう言うと、柚愛は再び転移の魔法でその場からいなくなった。 「……教科書か」 眺めながらぼそっと呟く美琴に、 「そうだな」 永輝は無意識的に少しぶっきらぼうな返事を返していた。 「それで、そこにはなんて書かれてあるんだ?」 渡された魔法の本を、一から順にめくってゆく美琴に、尋ねる。 「魔法の心得……。魔法は、生活を便利にする道具であって、争いごとをするための武器ではない。魔法は、何かを行うための一つの手段であって、それだけしか方法がないわけではない。魔法は、必ずしもいつも使えるわけではないから、使えないときにどういった対処をするかも考えておくべきである。魔法が使えるということは、選ばれた特別なことではなく、生まれ持った特徴でしかない。そんなことが十数行書いてある」 「うん……、それから?」 「次が、目次。五十音と、魔法の種類ごとに分かれてる。試しにタシットのところを見てみるね」 そう言って、ページ数を確かめてから紙をめくってゆく。 永輝はその場から立ち上がって、美琴の後ろから覗き込むように本を見た。 タシット ─ マウ魔法(シー) *概要 伝達の魔法 同意した相手に対して、脳内イメージを伝達する *条件等 伝達する本人は、相手とその名前を認知していなければならないが、名前は俗称や通称でも構わない ただし、たまたま出くわしたような人に対して、適当な命名を行った場合などはその対象外となる また、何度か会った経験がありその相手を認知して一定のイメージを持っているような場合でも、発動可能となる場合がある 伝達される対象となる脳内イメージとは、文章だけにとどまらず、現在視覚的に見ている映像や思い起こした映像、また想像した抽象的なイメージと多岐に渡るが、利用されている割合としては文章が圧倒的に多い ここで、伝達する対象を"動作を起こす命令"としたとき、その魔法はタシットではなくパペットとして扱われる(詳しくは上級編を参照) 伝達する対象となる相手は、自然な状況下では、送信者を認知しない場合は全ての受信を拒否し、送信者が認知の下にある場合は全ての受信を受諾する ここでいう認知とは、こちらから送信可能な相手であるということを意味する つまり特別な意識下にない場合は、互いに相手を認識していない限り、情報の送受信は行えないということになる 一方で、送信側のみが相手を認知している場合、受信側がその相手から送られてきた情報の受信を良しとすれば、受信側は情報の受信が可能となる そうした場合、受信側は、相手を見分けられるだけの情報をあらかじめ得ているか、若しくは送信されてくる情報の全てを受信するような体制でなくてはならない *魔法術式 … … 「長いな」 一通り読んで永輝が漏らした感想はまずそれだった。 「うん……」 「要するに、自然と受信できる相手には、自分も送信できるってことだよな?」 「多分そうだと思う」 「僕たちは、紫水という人のことを、ただ名前を知って美空さんの幼馴染であることを知っているだけだから、何かこの魔法で伝えようとしても無理ってことか」 「相手は、存在すら知らないと思うけどね」 「いや、でも美空さんとは幼馴染なんだろう?」 言われて、美琴は少しむすっとして、 「……カノジョは私じゃないから。その紫水さんが知っているのは、私じゃなくてカノジョなの」 と、永輝から視線を逸らして僅かに強い口調で言う。 「そういう意味じゃなくて……、今美空さんがいなくて、美琴がいるということは知っているはずだろう?」 「っ、う、うん……」 そこに少しの間があって、 「ごめんなさい、何だかムキになってしまって」 「そんなこと、別に気にしなくていいよ。僕こそ、配慮が足りなくてごめん」 「ううん、いいの……」 部屋にはまた沈黙が漂う。 それから幾許か静かに時が経って、永輝が口を開いた。 「そろそろ帰ろうかな。夕飯の準備もしないといけないし」 美琴はそう言って立ち上がる永輝の手を取って、 「……せっかくだから、ここで食べていって」 「それなら手伝うよ」 「うん。さて、今晩は何にしようかな……」 美琴と共にキッチンへと入った永輝は、冷蔵庫を覗く美琴の傍を抜けて手を洗う。 「私は、永輝のこと頼りにしてるから」 「うん?」 「いや、なんでもないよ」 その日の美琴と永輝の晩ご飯は、オムレツだった。 |