The 26th story 美しき空に《その2》

「私、一度行ってみたい場所があるの」
美琴の家で、彼女は永輝にふと思い出したように言った。
「きっと、そこに行っても何も変わることはないと思うけど、それでも行く価値はあると思う」
「……それは何処なんだ?」
「美空さんの家。この本があった場所」
そう言って、美琴は"君が故郷"を膝に抱える。
「誰に連れて行ってもらうのがいいと思う?」
「やっぱり莱夢さんじゃないかな。その本を持ってきたこともあるから、家には出入りできるだろうし」
「なるほどね」
目を閉じて、美琴は心のうちで呪文を唱える。
『莱夢さんにお願いしたいことがあるんですが……』
『うん?』
『私たちを美空さんの家に連れて行って欲しいんです』
『今どこにいるのかな?』
問われて、美琴が自身の家に居ることを告げると、一瞬の後にその場に莱夢が来ていた。
「私が二人を美空ちゃんの家に連れて行くのは構わないけど、幾つか条件があるの」
「条件、ですか?」
「うん。あとあとトラブルを避けるためにね」
そう言って、莱夢は少し考えて、
「まずは美空ちゃんの家から出ないこと。美空ちゃんを知ってる人に会うと面倒なことになるからね。それから窓やカーテンを開けないこと。それに大きな物音を立てないこと。まあ、簡単に言えば、周囲に自分たちの存在を気付かれないようにするってことね」
「はい」
「あとは、あったものは元の場所へ戻すこと。もちろん壊したりするのは厳禁ね。勿論元のままにしておくのがいいんだろうけど、掃除とかしなきゃいけないせいで既に色んなものを動かしてしまってるから、今更触るなとは言わないけどせめて、ってことね」
「はい」
「それじゃあ、行くよ」

「わたしは用があるから帰るけど、あとは適当に見ててくれていいよ。帰りたくなったらトランスで戻ってくれてもいいし、私に言ってくれてもいいから。まぁ、すぐに来れるとは限らないけどね。それじゃ」
そうして、美空の家には美琴と永輝だけになった。
着いた先はリビングで、カーテンが全て閉まっていて薄暗かった。
部屋には小さめのソファとテレビ、観葉樹などがある。
部屋の出入り口は二箇所で、一方がキッチン、もう一方が廊下へと繋がっていた。
「まずは廊下へ出てみよう」
部屋を見渡してから美琴はそう言って、廊下の方へと歩く。
「莱夢さんが掃除しているせいかもしれないけど、整然としてていいよね」
「ああ」
「家も広くて、住み心地がいいかもしれない」
言いながら、廊下の左右を見渡しつつ歩いてゆく美琴。
永輝は、彼女の歩き行く後に従って歩いていた。
「この部屋には何があるのかな」
廊下にある扉の一つ、その前に立って美琴は永輝に尋ねるように言って扉を開けた。
次の瞬間、部屋には突如眩しい光が輝いた。

幻惑が晴れてくると、室内にこちらを向いた美琴の居ることが永輝から確認できた。
先ほどの光は何だったのだろうと思いながら部屋に踏み込もうとして、自らの斜め前にも美琴が居ることに気づいて、永輝は思わず二人を見比べる。
一方、永輝の斜め前に居る方の美琴は、室内に自分の姿を認めて、周りの風景が部屋の入り口を写しているわけではないということが分かると、
「えっ……」
一言を残して、その場に佇んでいた。
永輝と美琴がその姿を認め、異常な状態であることを認識し終えた頃、室内に居る美琴は自然にその口を開いて、言を発した。
「あなたがこの部屋にこうして来れているということは、あなたは私『美空』の存在を認めて私の姿を追い、私の親しくしている人物の何れかに会ったことによってこの家の中へと踏み入れたということ」
美空であると名乗った彼女は、言い終えてから一息ついて、
「あなたがまだ私に少しでも興味があるのなら、しばらく話を聞いて欲しい」

私がこの屋内への転移を許しているのは、莱夢と柚愛と紫水、それから一部制限つきで未徠くんと聖流くん。
恐らくこのうちの誰かによって来たのだと思う。
あなたが何処まで事実を知っているのかわからないけど、知っていた方がいいと思うことを教えておこうと思う。
まず、私は魔法使いで、あなたの過去。
多分使おうと思えば、あなたにも魔法を使うことができるはず。
どうやって魔法を使えばいいのかは、ここへ連れてきた人に聞けば分かると思う。
もし使いたくないのなら、無理に使う必要はない。
魔法はあくまで一つの手段に過ぎないの。
ちなみにこの書斎にも幾つか魔法の本があるけど、主に理論的な内容の本が多いから、魔法の発動の仕方そのものについては多くを得られないかもしれない。
例えば詳細や制約、条件なんかが気になるときぐらいにしか参考にならないと思う。
あとは、私自身について……か。
私はこの町の生まれで、さっき言った莱夢、柚愛、紫水、未徠くん、聖流くんは幼馴染。
柚愛は未徠くんの妹で、私は莱夢の少し遠い血縁。
聖流くんは隣町に住んでいて、未徠くんと紫水は同じところで働いている。
あなたが誰と会っているのかは知らないけれど、私の周りに居るのは、そんな人たち。
それから、もちろんこの家にはあなたも転移の魔法で自由に出入りできるから──私の家だから当然なんだけど──、好きなときに好きなように使ってもらって構わない。
えっと……、あと、あれだろうね。
きっと、何故私がわざわざ知らない町まで行って記憶を消すのか、気になっていると思う。
理由は……、その、確かにあるんだけど……、あるんだけど、言いたくない。
私があなたの立場ならと考えてみると、気にならずにはいられないと思う。
でも、それがわかっていても、言いたくないの。
自分勝手なのは分かってる。
目覚めたら記憶のないまま知らない町にいて、私の人間関係を半ば強制的に押し付けられて、何故そんな状態になってしまったのかという理由すら知らないなんて、あんまりだよね。
それでも、私はこうするしかないの。
ただの我侭かもしれないけれど……、こんな私を許して欲しい。
ここにはできる限りのものを残しておいたつもりだから……。
だから、その……、そんなことで許しを乞えるとは思ってないけど……、ごめんなさい。
えっと、それじゃ、私はいくね。
あ、他の部屋には何もないから……、それじゃ。

そうして、再び眩しい光が輝いたかと思うと部屋の中には誰も居なくなっていた。
「結局、何もわからないままかな」
美琴はそう言って永輝の方へと振り返った。
永輝はその目に僅かに光るものを感じていた。
「こうして昔の家に来たのに、何か分かるどころか、分からないことが余計に増えただけ。私はどうすればいいの……」
言って、美琴は一瞬だけ永輝の目を見た。
それから頭を垂れて床を見る。
そこに一滴の涙が落ちたかと思うと、続けざまに二滴、三滴と落ちていった。
「まだ、大丈夫。莱夢さんなら聞けば話してくれるだろうし、紫水っていう人もいるみたいだから」
「駄目なの」
首を左右に振って応える美琴からは、また数滴の涙が落ちていく。
「誰も美空さんが記憶を消した理由を知らないけど、私が知りたいのはそれだから……。でも、美空さんにまで無理だって言われて……」
言って、美琴は顔を上げる。
「美空さんがどういった人だったかはもうどうでもいいの。彼女が何故記憶を消したのか、それがわからないとどうして私がここにいるのか、わからないままでしょ……?」
「ごめん……」
「ううん……、永輝が謝る必要はないから……」
意気消沈した雰囲気が漂っていて、二人にはここへ来たときほどの元気もなかった。
「とりあえず、今日はもう帰ろう?落ち着いたら、また来ればいいんだから」
「うん……」
そう言った後、美琴は少し考えて、
「あの転移の魔法が書いた紙を返して欲しいの。莱夢さんには、こんなところを見られたくないから」
「……ああ」
永輝は、自らのポケットから一枚の紙を取り出して美琴に手渡す。
「……これで、三つ目」
紙を広げて、中に書かれている内容に目を通してから再び紙を折りたたむ。
そしてその紙を自らのポケットの中に入れて、
「じゃあ、帰るね」
「うん」
そうして、二人は美空の家を後にした。

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