The 22nd story 永輝と美琴《その1》
トリルの町の小さな公園にあるベンチ周辺には、座る二人とそのうちの一人の前に立つ黒装束が一人いた。 黒装束の女性は、ベンチに座る女性の額の前に手をかざし、何か怪しげな呪文を唱えている。 一方、ベンチにはもう一人男性が座っていて、彼は二人の様子を心配そうに見ている。 彼の横でベンチに座っている女性──つまり怪しげな呪文を唱えられている女性は、軽く目を閉じているが、その状態から動く気配はなかった。 ベンチの周辺では、公園の木々が風に揺れ囁くような音を出す以外は、黒装束の唱える呪文だけが聞こえていた。 一見すると、何か怪しげな儀式でもしているかのようであったが、実際のところは、寧ろその逆だった。 怪しげな儀式によって憑いたものを落とすような行為だった。 そうした光景がしばらく続いて、黒装束の女性が呪文を唱え終えたその時、ベンチに座っていた女性は脱力したかのように前面へと倒れた。 黒装束の女性は、寄りかからんとする彼女を支えて、その隣に座る男性の方に彼女を預けた。 「今はただ気絶してるだけだから、しばらくしたら目覚めると思う」 柚愛は、改めて美琴の隣に少し距離を開けて座った。 「そうか……」 その隣では、美琴が永輝に膝枕をしてもらっているような体勢で寝ていた。 「あまり、こんな魔法をかける人もいないから、目覚めたときにどうなっているかははっきりとは言えない。ここ数日の間に起きたことが一度に感情となって現れるかもしれないし、ただの記憶になっているかもしれない。あの時私が抱きついたことも、含めて」 「そういえば、あれは確かピープという覗見の魔法だと……」 あれは永輝を試すためにしたのだと、莱夢が言っていた。 それが浮かんだ今、その事実を確認するために彼は柚愛に問う。 「そう。記憶や感情、心情などを見る魔法。今の美琴がいくら記憶を失くしているといっても、彼女は美空だから。相手が──つまり、永輝さんがどういう人なのか、確認しておきたかったの」 「でも、そういうことを僕に確認もせずにするっていうのは、どうかと……」 「大丈夫。ちゃんと私の中だけに留めておくから。外に漏らしたり、もちろん彼女に言ったりしない」 そう言いながら、柚愛は永輝の膝の上で眠る美琴を見ていた。 相変わらず、目覚める様子は見せないが、何か満ち足りたものを感じているかのような寝顔だった。 「それでも……、その、柚愛さんには自分を赤裸々に明かしたことになるわけだろう?」 「人には言えない、あんなことやこんなことも、ね。でも、そうでもしなければ確かめることもできなかった。会うたびに感情をぶつけられるような状態では、とても……」 「そういう状況を作ったのは... 「私。言われなくてもわかってるから」 柚愛は、永輝が言おうとしているのを制して自らそう続けた。 「大丈夫。だからこそ、戻しに来たの。今はうまく説明できないけど……、また、落ち着いたらちゃんと話すつもりだから。わざわざ美琴にそんな魔法をかけた理由も、意味も。それまでは待っていて欲しい」 そう言われて、永輝はそれ以上追及しなかった。 柚愛がこうして魔法を解くという約束を守った限りは、柚愛に誠意がないわけではない。 それに、"あのリスク"を負ってまでかけた魔法を、彼女は約束どおりに解いた。 そんな彼女なら、少し信用してもいいと永輝は思っていた。 「それより、私はここにいた方がいいのかな……」 相変わらずうす曇な空を見つめて、柚愛はそう呟いた。 「気がついたら、いなかったなんてことでいいのか?」 「……そうだね」 未だ空を見ながら、遠くの彼女を想って、柚愛は……。 「と、いうわけだ」 あったことを始終話した聖流は、そう言って締めくくった。 「恐らく、ここを作った人物だと思うのだが、何分聞いただけの話だから断言はできない」 未徠は、二人──莱夢と聖流に向かって言う。 「そう言われても、会ったというのも三分あるかないかという程度で、大して話したというわけでもないから、なんとも言えないな」 聖流は軽くため息をついた。 なんせ、訊くも大半を無視された状態だったのだから、それも無理はなかった。 「次に会うときに訊くしかないだろう。ともかく、反対側へ行く必要があるのだが、歩いていった方がいい。もし何か罠があれば、転移で移動するのは危険だ」 「そうだね。私が見たところそういう気配はなかったけど、何かあると面倒だしね」 左側の通路を眺めて、莱夢が言う。 そうして、未徠が先に入っていく後を未徠と聖流がついていく形で、三人は左側の通路へと入っていった。 公園に、僅かな晴れ間から太陽が光をもたらしていた頃、 「……ん」 少し身体を動かした美琴に反応して、永輝は彼女に問う。 「大丈夫?」 言われた美琴は、聞こえているのか聞こえていないのか、自分の枕となっていた人物を見上げて、 「永輝……」 呟きながら身体を起こした美琴は、しばらく永輝の目を見つめていた。 「……なんだか、懐かしい感じがする」 美琴は、目の前に座る永輝を両腕で包みながら、懐古して言った。 包まれた永輝からは向こうに柚愛が見えていたが、彼女は雲隙をぼんやりと見つけているだけだった。 「ちょっとだけ、出会った頃に戻ったみたいだったよ……」 美琴は包み込む手により力を込めて、永輝を自分により引き寄せる。 「うん……」 「どうしたの?」 「……私って、こんなにも強く永輝のことを想ってたんだと思って」 弱く風が吹く度に美琴の髪が靡き、それが永輝の頬を優しく撫でていた。 雲隙は広くなり、空は太陽の燈(ひ)に明るく照らされていた。 「それよりごめんね。大切なプロポーズを、あんな風にしてしまって」 それを聞いた柚愛は驚いて永輝の方を見たが、彼は彼女に軽く頷いてのみ応えた。 「ううん、大丈夫。あれは、しょうがなかったんだよ」 「……うん」 微妙に間があったことに、永輝は気づいたのだろうか。 柚愛は、背を向ける美琴を少し目を細めて眺め、しばらくしてからまた空を見ていた。 「落ち着いたら、またちゃんと話はする」 「うん、待ってるから……」 言った美琴は、その腕にさらに力を込めて永輝を抱きしめる。 これで、よかったんだよね。 柚愛は心中でそう呟いて、胸に軽く手を当てていた。 「結局、何もないようだ。多分あそこに見えているのがここのレリックだろう」 未徠の指差す先には、壁の手前に一枚の岩板があることが何とかわかる。 「だとしたら、あの分かれ道の手前で封印されていたことと、謎の老人がこの場所を隠していたことだけが、ここへ来ることを妨げていたってことかな」 「恐らくそうだろう。ただ、あの封印に何の意味があったのかはよくわからないが……」 もどかしげにそう言う未徠は未だにあの場で転がったことを気にしているのかもしれないと、聖流は思っていたが、あまり弄ると未徠がひねくれるだろうと思い、それ以上その件──後ろに転がっていったことについては言わないことにした。 その代わりに、より考察を深めるために、未徠に質問を投げかけた。 「何か、魔法の感覚とかなかったのか?」 「……封印されているという感覚はあった。それもかなり強固で、時間や破壊に負けるようなものではなかったと思ってる」 「それがあっさり開いたということは、あの時に何か読み取られたってことじゃないのか?」 「何かってなんだ?」 「それはわからない。ただ、封印された壁から手が離れなかったということは、その間に何かあったとしか考えられないだろう?」 「もしかして、未徠くんの記憶してる地図とかじゃないかな?」 「その可能性はあるかもしれない。若しくは、ここより前に来た遺跡の情報とかではないだろうか」 そう言ってから、未徠ははたと気づいたように、 「そういえば、意味もなくセーハという言葉が浮かんでいた気がする。それが何かの魔法だとは思わなかったが……」 「以前にどこか遺跡を訪れたかどうかを確認したんじゃない?」 「それはありうるな。何も知らない人に開けられても面倒だしな」 聖流は頷きながら、莱夢の言うことに賛同していた。 「さて、このレリックだが……」 三人はそこで立ち止まって、前に控えるレリックを眺める。 「また、よく分からないことが書いてるけど……」 ── 「多分そうだろうな。しかし、下の"ヘ"と"ニト"って何なんだ?確か前は"二"と"ジチ"だったよな?」 「ああ。次の遺跡で、聖流が会ったという老人にそれを聞いてみるのもひとつの手かもしれない」 「あまり当てにはならないと思うけどな……」 聖流はきっと答えてくれないどころか無視されるだろうと思っていたが、未徠のほうはいたって真剣だった。 美琴は、永輝の方から相変わらず空をぼんやりと見ている柚愛の方へと向き直った。 「……柚愛さん」 「何?」 呼ばれても美琴のほうを向くことなくずっと空を眺めている柚愛は、そっけなく返事をする。 「私から……、その、ありがとうっていうのは変だけど……」 言われて、柚愛は美琴のほうを向いて、 「うん、きっと私が謝らなければならないの。ごめんなさい、美琴と永輝さんと、それから美空に」 柚愛は、美琴と永輝に向かって頭を下げてそう言った。 「ああ……。まあ、そうなった事情は知らないけど、何か理由があったんだったな……」 恐らく、永輝も美琴も知らない美空との間に、何かが。 「うん……。今はまだ、話す気にはなれないけど……」 元気の無い表情で頷いて、少し辺りに沈黙があった。 「あの、私、もうそろそろ行くね」 柚愛は取り繕うかのように急に笑顔になって言った。 「うん」 「一応、念を押しておくけど、くれぐれも三人にはこのことを秘密にね」 「愛のない姿を、演じればいいよね?」 「そういうことになるかな。あと、用事があれば何時でも呼んでくれれば来るから。それじゃあ、また」 そう言うと、柚愛はあの烏の姿になって飛んでいった。 空へと飛んでいった烏が小さくなり、やがて見えなくなった頃に、永輝はふと思いついたように、 「そういえば、こうやって遺跡を巡ってるのは、あの神に会うためなんだよな?」 「うん」 「神に会うのは、確か柚愛さんが魔法を解いてはくれないだろうということが前提だった」 「あの三人に言うとこうして遺跡を巡ることが終わるから、言わないで欲しいってことを、柚愛さんは言ってたんでしょ?」 「いや、確かにそうなんだけど……、もしかすると、神って魔法を解いてくれるんじゃないのか?神に会えば、柚愛さんが魔法を解かなくても、美琴が元に戻るって話だったし」 「……じゃあそれが、美空さんに会える方法?」 「多分、そうだと思う」 「遺跡を巡った先に、私の過去があるってことかな……」 「……」 来た道の方を見て思い馳せる美琴を、永輝はやはり複雑な──応援するような、嫉妬するような表情で見ていた。 |