The 17th story 美空の存在《その1》
翌朝。 この日空は薄曇で、太陽はぼんやりと明るいベールを地へと落としていた。 そんな中、永輝は自室で目覚ましの鳴らす音によって起きて、周囲の状況をおぼろげながらも探った。 ふと伸ばした手に、一つの箱が当たり、永輝はそのものを確かめるようにゆっくりと手元へ引いた。 そこには、あの日送る目的が翳ったシルバーの箱があった。 「……エンゲージリング……」 そう呟き、永輝はその箱を開ける。 そこには、当然のことのように銀色の輪が据えられてあり、薄明かりの中で仄かに光っていた。 ただ、それをじっと見つけて、彼女の前に差し出したときの彼女の顔を思い浮かべる。 それはまるで、街中の見ず知らずの人に、突然このリングを差し出したときのような顔だった。 目の前に示されたそれが自分にとって何を意味するのか、その疑問に満ちた表情。 通常ならばその表情は即座に行為に対して奇怪を表すだろう。 ただ、彼女の場合はそうではなかった。 止むことのない疑問と見覚えのある光景と昨夜の記憶がとめどなく浮かんだ表情。 不安にも似た、戸惑いの表情だった。 しばらくそれを見つめた後、永輝は箱をやさしく閉めて、元あった場所へと戻した。 「次は、予定通り、トリルへ行くことにする」 朝の八時半頃に、五人はあの丘に集合していた。 「うん」 昨日とは違って軽装をしてきた莱夢が未徠に対して明るく相槌を打つ。 「しかし、俺はトリルまで行ったことはないのだが、誰かその近くまで行ったことはないか?」 未徠がみんなにそう訊くのも、転移の魔法トランスの大原則"行ったことのある場所にしかいけない"(正確にいうと情景の思い出せる場所にしかいけないのだが)というのがあるからだった。 「近い都市というと、フォルテだろう?ただ、そこからでも徒歩で半日はかかるんだよな?」 「ああ……」 「フォルテなら行ったことがあるけど……。二人はその辺りの町で何処か行ったことはないの?」 「ないですが……。あの、誰かがそのフォルテからトリルまでフライで行って、そのあと全員をトランスで移動させるというのはできないんですか?」 莱夢の問いに、永輝は駄目元でそう訊いてみる。 もっともやれるならとっくにやっているであろう方法をこうして聞くことが無意味なことくらいは永輝も知っているが、問わなければ誰もその疑問に対して答えなど教えてはくれないのだから、訊かざるを得ないのだった。 「フライの魔法はあくまで特定の鳥に変化する魔法だ。飛べるようになるためだけでも数週間の訓練が必要となることは知っているだろう?増して長距離を移動しようなどとすることは、いくら鳥に変化したとしても所詮元は人であるからそう容易いことではない」 「ということは、休み休みならやろうと思えばできるということ?」 「……正直、歩いたほうが断然早いと思うがな。それに一人だけに行かせるわけにもいかないだろう?」 「それは、なんだか申し訳ないし……」 「一応言っておくが、二人をこうして連れてきたのは、柚愛から逃れるためだ。まあ、その、あれだ、ただ待たされるのも退屈だろうというのもないことはないが……」 未徠は、中途半端な物言いをしたせいか、しばらく虚空を見ていたが、その後直って、 「別に、そうすることが二人を危険にさらしているというわけでもないのだから、構わないのだろう?」 「うん……」 一連のやり取りを聞いていた莱夢は、恐らく主体は後者なのだろうと内心思っていたが、それを口に出そうとは思わなかった。 口にしてしまうと、なんとなく未徠が拗ねてしまいそうな気がしたからだった。 それを彼が表に出して、表現することがなかったとしても。 「そうなると、やはりフォルテから歩いていくしかないのか……」 「じゃあ、とりあえず、フォルテまで転移するね」 「ああ、よろしく頼む」 「フォルテにあるショッピングセンターの屋上ね」 莱夢はそう言ったが、そこは閑散としていて人はいなく、いくつかのテーマパークにあるような遊具がおいてあるだけだった。 「最近、閉鎖したって話を聞いたから。ここなら驚かれるようなこともないでしょ?」 「うむ……、流石に転移先には気をつける必要があるからな」 「さてと、次はあの地点ね」 莱夢はそう言いながら町の近くにある山へと向かう道を指差した。 「よっ──」 そうして、ショッピングモールの屋上は、風のみが吹く場所となった。 「──と」 町外れの山へと続く道沿いに、五人はいた。 「さて、少し長くなるだろうが、ここからは徒歩だ」 そう言って、未徠は一人山へ向かって歩き出す。 「まあ、なんだかんだ言って、結局未徠くんがこうして歩きたいだけかもしれないけどね」 「そんなことはどうでもいい。それより早く来い」 「普段は、あんな感じで素気ないけど、守るべきときはちゃんと守ってくれるから」 二人にそう小さく言って、莱夢は未徠に駆けていった。 「さて、俺たちも行くか」 そうして五人は一路トリルを目指す。 五人の先頭を歩くのは二人だった。 当然のように未徠がそこにいるのだけれども、今日は何故か隣に莱夢がいた。 その後ろに永輝が人一人分程度の距離をおいて歩いていて、やや後方には聖流と美琴がいた。 このとき永輝がこんな中途半端な位置にいるのもわけがある。 最初は美琴や聖流と一緒にいて話していたが、いつの間にか二人だけが喋っている状態になっていて、自身はまったく会話に参加していないことに気がついた。 したとしても、ただ相槌を打つ程度で、どうも二人から疎外感を感じていた。 仕方がないので前の二人のところに行ったのだが、こちらも二人だけで話しているような状況で、会話には参加しづらい状況だった。 いや寧ろ、しずらいというよりもできないのかもしれない。 「聖流さんは、以前の私を知っているんですよね?」 聖流の左側を歩いている美琴は、飽きて永輝が前へと行った時を見計らって、聖流にそう尋ねた。 「うん?」 「私は記憶にないのですが、あのディーティに来る以前は、美空という名の魔法使いで、聖流さんや莱夢さん、未徠さんと知り合いだったんですよね?」 「まあな……」 柚愛が前の美空という名前を教えたと言っていたけれども、魔法使いであったということも彼女が教えたのだろうかと聖流は思っていた。 ただ、それが誰であろうと、彼女が知ってしまったということに変わりは無いんだけれども。 「その美空さんがどんな人だったのか、莱夢さんに聞いたんですけど、気にしすぎると深みにはまると言われて。永輝さんには戻したとして、残された僕はどうなるのかと訊かれて。それでも、私は彼女と彼女が使えた魔法が気になるんです」 「魔法は、教えられないことはないけど……。美空がどういう人だったかっていうのは、ちょっと無理かな……」 「どうしてですか?」 「知れば知るほど気になるから、だと思うんだけどな。俺は、そういう理由からか、誰とは言えないけど美琴さんには話すなって口止めされてるんだよ」 「そうですか……」 「ただ……、もし本当にすぐにどうしても知りたいと思うなら、一度柚愛ちゃんにでも相談したらどうかな。彼女は、キミが記憶を戻すことには反対しているからきっと話そうとはしないだろうけど、少なくとも口止めはされてないから説得すれば教えてくれるかもしれない」 聖流がそうやって柚愛に振るのも理由があった。 まずこんなことを口止めしている未徠に振るわけにはいかない。そして、莱夢も聖流同様に口止めされているから無理がある。 しかし、柚愛はその点についてはまだ融通が効く。 それに、美空が突然いなくなる前に彼女と最も接触していたのは柚愛であるから、彼女ならきっと自分以上に知っているだろうとも思っていたからだった。 一方、聖流が美琴にひとつの手段を提示したのは、美琴が記憶を戻すことに関して彼女自身が選んだようにしてほしいと思っていたから。 それは戻したくないと思っている柚愛や戻したいと思っているらしい未徠とはまた違う考えだった。 "でも"と、聖流にはそこで一つ疑問が浮かんだ。 未徠が美琴に記憶を戻して欲しいのだとして、それなら何故自分や莱夢に口止めしたのだろうか、と。 こればかりは、本人に直接聞くしかないだろうけれど……。 「それじゃあ、魔法のほうを教えてくれませんか?昨日、莱夢さんに魔法の遺伝と種類について教えてもらったんですけど……」 「遺伝?家系がどうのこうの、ハーフがどうのこうのって話だったかな……」 「はい。それから隔世遺伝っていうのがあるって……」 「ああ、確かそんなことが書いてあったな。それなら、えっと、まず魔法っていうのは、基本的に魔法使いならどんな魔法でも使うことができる能力をもってると思っていいよ。あとは、その魔法をどうやって使うかを知ることができれば魔法を使えるようになるんだけど。えっと、美琴さんは今は何か魔法が使える?」 「いえ……、昨日莱夢さんにかけてもらったフライという魔法で、少し飛んだくらいで……」 「そう。それでも大したものだけど、もしかすると身体が覚えていたのかもしれないな。ということは、きっと使い方さえ知ればそれほど練習することもなく使えると思うよ」 「はい」 「やるなら最初は簡単な魔法からかな・・・。さすがにリスクの付きまとうマウ魔法は教えれないけど、ボン魔法なら教えてあげられるよ。でも、まだ未徠には柚愛から前の名前とか魔法が使えることを教えてもらったとは言ってないんだろう?」 「確かに美空という名前を教えてくれたのは柚愛さんですが、魔法が使えるというのは永輝さんが莱夢さんに尋ねたことで……」 「えっ、莱夢から?そうなのか」 まさか聞いた相手が莱夢だとは聖流も思っていなかったけれども、彼は莱夢がどこかで口を滑らしたのだろうというくらいにしか考えていなかった。 「とにかく未徠が知らないなら、未徠の前では使わないほうがいいよ。もし、使おうと思うなら、ちゃんと説明してからにしておいたほうがいいから」 「はい」 「一応言っておくと、俺たちは美空に関して教えることを口止めされているだけで、魔法に関して教えることについては何も言われてない。でも……、そうだな……。何故永輝くんは莱夢に美琴さんが魔法を使えるかどうかって聞いたんだ?」 「たしか、私が柚愛さんから昔の名前を聞いたって話を莱夢さんにしたときに、永輝さんが莱夢さんに、美空さんに魔法が使えたかどうかって聞いて。それから、莱夢さんが少し悩んで、"使えた"って。それを聞いて、永輝さんがそれなら私にも使えるんじゃないかって」 「そうか……。それなら、未徠の前では魔法を使うことはせずに、莱夢が"美空は魔法を使えた"と言ったことも言わないほうがいいよ。正直、俺はもう美空のことは隠しておく意味もないと思うけど。また今度、その辺りのこと話してみるから、ちょっと待ってて。もしいいって言われたら、俺も美空のこと話してあげられるから」 「はい」 「ええっと、そうそう魔法のやり方についてだったよな?まず魔法は唱える前に必ず共通の文言を言う必要があって、これは高位のイー魔法とかを知るときに便利だったりする。ただ、イーの魔法ともなると、学校で教えてもくれないし、専門書の奥底に少し書いてるだけだったりするんだけど。まあ、それは置いといて、その共通の文言っていうのは─── それからしばらく、聖流のうんちくのような魔法講義が続くのだった。 「そういえばこの旅に出かけてから、時々柚愛ちゃんに会うんだけど、未徠くんはあの一回きり?」 未徠の隣、永輝からすると右側を歩いている莱夢が、未徠に尋ねる。 「ああ、まあそうだな」 未徠は、あの時のことを思い出しながら少し浮かない表情をして、莱夢にそう返した。 「あの日、私が部屋に戻ってきた時に鳥かごがなくて、あとで一人で戻ってきた柚愛ちゃんに会ったけど、あの鳥かごを持ち出したのは未徠くんでしょ?あの時、何があったの?」 「いや、別に大したことはなかった」─『今は・・・、永輝のいる前では説明できない』 未徠は、話すと同時にタシットで莱夢にそう伝えた。 もちろん永輝には表立った会話しか聞こえていなかった。 「そう」─『何か永輝くんには言えない事情があるの?』 「単に説得してみたがやはり駄目だったというだけだ」─『また、改めてしっかりと言うから』 「それは残念だよ」 『今のは、どっちに対する返答なんだ?』 「それより、次に行くところはどんな遺跡なの?」 莱夢は、未徠がタシットで返した疑問に答えることなく、話を転換した。 「……」─『莱夢?』 「未徠くん?」 「永輝、しばらく二人だけにしてくれないか?」 未徠は、名を呼ぶ莱夢を置いて、後ろを歩く永輝に振り返って言った。 一方の永輝は、次の遺跡に何かよほどのことがあるのかと思って、 「うん、わかった」 と言ってから、後ろの二人の下へと歩いていった。 「……わかった。あの時何があったのか、ちゃんと教えるから」 「やっぱり、永輝くんには話せないことなのね……」 そう言うと、莱夢は軽くため息をついて見せた。 |