The 9th story 未徠と黒鳥《その2》
| 静まり返った空間……、そこには、魔法使いが二人いた。 そのベッドの上には何故か鳥かごが置かれ、部屋のドアは閉ざされていた。 部屋に二つある窓も閉まっていて、鍵がしっかりとかかっていた。 そして、僅かに霧のような薄い靄がかかっていた。 「……私をここに閉じ込めて、どうするつもり?」 黒装束に身を包む女が、男をしっかりと見て、そう問うた。 「誤解を生むような言い方だな……」 ラフな格好をした男が、ドアをしっかりと見て、そう返した。 「俺は、別に理由を聞こうなどとは思っていない。ただ……」 男は、そこで口ごもり、視線を僅かに女のほうへと向けた。 「……ただ、何?」 「ただ……、柚愛に伝えたいことがある」 そう言って、男はベッドの上に腰を下ろした。 柚愛と呼ばれた女は、依然として立ったままの状態で、男のほうへと向き直っただけだった。 「伝えたいこと?私に?」 ややあって、男は静かに答えた。 「ああ、そうだ」 「やっぱりない?ってことは、誰かが持ち出したってこと?」 あれから、美琴と莱夢は部屋中を探したけれども、もちろんそこから鳥かごが見つかるはずもなかった。 「一体、何処に……」 「あっ、永輝さん。鳥かごがないんだけど、知らない?」 頭をタオルでごしごしと拭いている永輝が部屋に入ってくるのを見て、美琴は早速彼に訊いた。 「いままで、お風呂にいたから……」 「そう……」 「一体、何処へ行ったんだろうね……。彼女がいないと、いけないのに」 「柚愛は、彼女がまさか記憶を消しているなどとは思わなかったのだろう?」 そう切り出した男の横には、いつの間にか柚愛が座っていた。 しかし、彼女は男との間に微妙な距離を置いていた。 「うん、あの公園で未徠に会うまでは」 未徠と呼ばれた男は、彼女がそう言ったのを確認して、続けて言う。 「彼女が記憶を消した理由は誰も知らない。でも、彼女がそうしたことで分かったことが一つある」 「……何?」 「彼女には、もう俺たちでは会えないということだ」 「そうだね」 柚愛は、平然とそう言って、窓の外をぼんやりと見ていた。 未徠は、そんな妹の横顔を一瞥して、 「でも、力を借りれば、会えるかもしれない」 「力を借りるって誰に?」 「あの神にだ。会うことができれば、記憶を戻せるかもしれない」 「レリックすら、場所がはっきりと分からないのに?」 「図書館の倉庫に、それに関する文献があったから、メモリーで記憶してある」 「さすが、とでも言っておけばいい?」 「……好きにしろ」 そう言いつつ、未徠は柚愛から顔を逸らした。 柚愛はそんな未徠を見て、やっぱり相変わらずだなと思っていた。 「それで、柚愛にはしばらく魔法をかけたままにしておいて欲しい。そうすれば、口実ができる」 無愛想な言い草で、未徠は棒読みのように言った。 「……私は別に、記憶を戻したいとは思わないけど」 「どうしてだ?彼女が戻ってくれば、今まで通り... 「それがあの人の選んだ道なら、そうしておくのがいいと思うから。無理に戻したところで喜ぶと思う?」 「なっ……」 その瞬間、部屋に立ち込めていた霧は一瞬にして晴れた。 「……私は、莱夢に会ってくるよ」 そう言ったかと思うと、彼女はその場からすっと消えた。 「未徠と聖流は?」 「未徠は先に上がっていて、聖流さんはまだお風呂に... 「きゃっ!」 その時、急に誰かが叫び声を上げて倒れる音がした。 それに反応し、振り向いた永輝の前にいたのは、黒装束でとんがり帽子の女性だった。 見るとそばには、腰を抜かしている美琴がいた。 「美琴に、何をした!」「柚愛ちゃん……」 二人の声が重なって、永輝があの名を呼んだ莱夢を見ると同時に、柚愛が少し険しい表情をした。 「ただ、びっくりしてるだけ。それより、あなたが永輝さん?」 「何故、僕の名を……」 柚愛は、美琴の傍でそう尋ねる永輝の言葉を無視して、 「ごめんなさい。あなたには辛い思いをさせてしまって。でもこれは、報い、だから……」 「報い?報いって、美琴が何をしたって言うんだ!」 「……」 柚愛には、そう言う永輝に対して何も言えることがなかった。 確かに、美琴は柚愛に対して、何もしていなかったのだから。 「ごめんなさい……」 柚愛には、ただ謝ることしかできなかった。 「謝るくらいなら、魔法を解けよ」 永輝のもっともな言い分を、柚愛は聞いた気配さえ見せずに、 「……莱夢、ちょっといい?」 「えっ?」 柚愛は、急に話をふられ素っ頓狂になっている莱夢の腕を軽く握り、その場から急に静かに消えた。 その頃、未徠は茫然自失していた。 全身から力が抜け、その身体はゆっくりとベッドの上へと倒れた。 柚愛なら話に乗ってくると思ったのに、思いがけない展開に彼は灰と化していた。 ベッドの上に鳥かごと一人の男がいる部屋にも、時間は静かに流れていた。 その頃、聖流は物思いに耽(ふけ)ていた。 もう入ってからどれくらい時間が経っただろうか、そんなことは彼の脳裏にはなかった。 ただ、あの頃の思い出と、その主人公を思い描くのみだった。 まさに、その主人公たる鳥が、鳥かごから出てしまっているとも知らずに。 「莱夢なら、何故だか遠慮なく話せる」 女風呂の脱衣所の一角に、二人はいた。 「言っておくけど、私は仮にも未徠くんの味方だよ?」 「うん、わかってる。でも、莱夢なら、なんとなく、ちゃんと秘密は守ってくれる気がする」 柚愛のその信頼は一体何処からやってくるのか、莱夢はその根拠がわからなかった。 でも、柚愛に対して応えてあげようとは思っていた。 もっとも、本人はそれが信頼の証だとはちっとも思っていないのだけれども。 「あの永輝さんがいうことは、もっともだけど、私にはやっぱりあの魔法は解けない。まだ、どうしても"カノジョ"の面影が見えてくるから……」 「うん……。私も時々、話してて変な気分になるから、それはよくわかるよ」 「でも、永輝さんの気持ちも分かる……。だから、もう少し考える時間が欲しいと思う」 「時間は、まだあるよ。あの時が来るまでは、まだ十分」 来たるべき時が来るまではと、莱夢は心の中で繰り返す。 タイムリミット。 魔法使いの間では、それはそう呼ばれていた。 「……それまでには、解けるようになるから。その時まで、二人と、それから未徠をお願い」 「うん、わかった。あ、そういえば聖流くんには会った?」 「いや、会ってない……。会うのもなんだか気まずいから」 「そう……。でも、もし気が向いたら会ってあげて。まだ、気にしてるみたいだから」 「……うん、気が向いたら」 「ごめん……、美琴」 美琴をベッドに横にした永輝は、その隣で彼女に謝っていた。 「ううん、いいの……。それより、あの人、私を見て淋しそうな表情をしてた気がする」 「淋しそうって……?」 「わからない……。なんとなく、そう思えただけ。気のせいかもしれない」 そう言いながら美琴が"私にできることがあるのなら"などと思っていることは、永輝には到底分からなかった。 |