The 2nd story いざ参る!《その1》
「あれから、もう一年も経ったのか……」 どこか閉鎖的な空間──恐らく、誰かの居住地であろう場所に、美琴と未徠はいた。 美琴は、その空間に置かれたベッドのようなものに寝かされていて、未徠はその隣に腰掛けていた。 外から虫の音が聞こえてくることを除けば、そこは至って静かな場所だった。 「突然、あんな魔法を使ったのも……、柚愛のせいだとしたら、申し訳ないことをした……」 未徠は背後にいる美琴とは、また異なる人物にそう言う。 しかし、答えなど当然返ってくるはずがなかった。 「ん……」 未徠は振り返って、起きかけている彼女を見遣った。 彼女はゆっくりと瞼を開け、その視線に未徠を捉えていた。 「未徠さん……、ここは?」 虚ろな視点で、やっと未徠の存在に気がついた美琴は、彼にそう尋ねる。 「俺の部屋だが……。それより、大丈夫か?」 「はい……。少し朦朧とするけど、起きたばかりだからかもしれない」 彼女は上半身を起こして、その髪を軽く撫でた。 未徠は、その美琴のほうへ座り直して、再び問う。 「そうか……。なら大森、永輝のことはどうだ?」 「どうと言われても……、彼は私の……、私の……」 彼女はそこで口ごもってしまって、それからあとを答えられなかった。 「やはり、柚愛がかけたのはラブレス……」 「ラブレス?」 「愛を失う魔法だ。もっとも、今の君に愛といっても分からないかもしれないが」 「……アイ……?」 「ああ。今は、無理に考えても仕方のないことだ。とりあえず夜が明けるまで待たないと」 「……あの、今日はここへ泊めてもらってもいいですか?なんだか、不安で……」 「ああ……、ここでよかったら構わないが……」 もう柚愛が美琴さんの元へ来ることはないだろう。 未徠はそう思っていたが、それを口に出そうとは思わなかった。 満ち満ちた達成感で、彼女は自身が感情に押しつぶされそうだった。 それを、なんとか平然を保った状態で、高い岩場に腰掛けていた。 彼女の視線は定まらず、ぼんやりとした状態で、時はゆっくりと過ぎていた。 「それくらいの報いなら、遠慮なく受けるから……」 崖下(がんか)を見下ろして、そう呟く彼女の目には、僅かばかりの涙があるように見えた。 しかし彼女はそれも少しも気にしてはいない様子で、イノーの輝く空を見ながら足を軽く揺らしていた。 そして、ある男は、翌日に向けて意気込みすぎて、未だ寝れずにいた。 本人は、寝ようと思っているのだが、事実はそれと裏腹で、目が冴え過ぎて眠ることができないらしい。 枕元においたシルバーの箱に想いを託すが、大切なのはその中身などではなく、本人の気持ちなのだ。 それに気がついているのかどうかは定かではないが、本人の決意には変わりはないだろう。 翌日に取り付けた約束とその箱、そして、箱の中身。 それぞれに同じ想いを抱(いだ)きながら、明日に決意したことに興奮しすぎているのかもしれない。 もちろん、本人は明日の約束でいい返事がもらえるかどうかを心配している。 傍(はた)から見ても、心配しすぎているような気さえするが……。 ベッドの上で、目を瞑(つむ)ろうとも胸の動悸が治まらず、寝ようにも寝ることができない。 なかなか寝ることができないことによって、明日寝不足にならないだろうかと、彼はそんな杞憂もしていた。 「はぁ……」 不安からか、彼の口からは溜息が漏れた。 静寂を保つ空間に、彼の溜息はひどく響き、それは彼の不安を更に煽(あお)った。 未徠は、ベッドで寝ることを諦め、床の上に布団を敷いて寝ることにした。 美琴は別に構わないと言っていたけれども、未徠としてはあまり都合がよくなかった。 彼女には永輝という人がいたし、未徠自身、誰かと共にベッドに寝るということに対して異様な抵抗があった。 いくら恋愛感情をなくしているとは言えども、美琴は永輝の彼女なのだ……。 未徠は自分に対してそう言い聞かせるかのように、彼女の認可も断って床に寝ることにしたのだった。 一方の美琴は、普段未徠が寝ているベッドの中で、未徠に対して申し訳ないと思いつつも、その計らいに少し嬉しくも思っていた。 しかし、何か自分が中途半端な状態であって、先ほどの質問にあった"永輝が自分にとってどういう人なのか"ということに関して、明白な答えを出せずにいた。 永輝が何か大切な人であったという感覚はあるのに、それがなぜそうなのか、イマイチすっきりとしないのだ。 彼とは親しく付き合っていて頻繁に会ってもいたが、何故そうしていたのか、理由が思いつかなかった。 未徠の言う"アイ"というものも、どこか懐かしい雰囲気はするのに、それが何なのか何も分からなかった。 何か自分の中に不安定なものがある……、そんな釈然としない感覚があった。 彼は……、大切な人でありながら、親でもないし兄弟でもない。 では、なんだというのだろうか。 その問いに対する明白な答えは、どこからも湧いてくることはなかった。 そして、床で寝ている未徠も、明日どうすればいいのか、それが思い浮かばなかった。 当の本人である美琴を送っていくことは当然ではあるが、そのあとどうするのか。 あの永輝に今日あったことを告げるべきではあるだろう。 しかし、それを聞いた彼は……。 当然、彼女の感情を戻したいと思うに違いない。 しかし、そうするための方法は二つしか、ない……。 夜な夜な、空に一羽の鳥が舞ったとき、辺りには羽ばたく音が響いていた。 それを聞いた誰もが、気紛れに飛び上がった鳥だと思うだろう。 しかし、その鳥は黒く、確かに頭の上にとんがった帽子を乗せていた。 そしてあの岩場には、もう誰もいなかったのだった。 |