こもれび:もみじ

華やかに彩られた並木の合間を人々が行き交う。そこに混じって二人で歩く。人々は皆上を仰ぎ見て色とりどりに染められた色彩豊かな空を眺める。前を見ればふわりふわりと落ち葉が舞い、それもまた風景に彩りを添えていた。
私にとってこの豊かな風景もまた大切であったけれど、何よりもこの人とここをこうして歩いている時間の方が大切だった。
軽く握られた手は歩いて揺れるたびに触れる場所を変えてゆく。その感覚が心地よくて、この人といつまでもこうしていたいと思っていた。
ちらほらと会話の飛び交う中、そばで囁かれる声が耳をくすぐる。ふわりとした気持ちになる。空へすうっと上がっていくような不思議な感覚にとらわれる。
ずっとこのままいれたらいいなって──。

気がつくと湯船の中だった。ぼんやりとしている意識の中、さっきまで何をしていたのか思い出そうとする。
確か美月先輩の部屋を片付けて疲れたからまずはお風呂と思ってお風呂場へ来たところで院生の白山先輩に会ったのだったか。先輩は私がお風呂を上がった後に……って一体どれくらい寝ていたんだろう? 流石にここまでのんびりと入っているわけにはいかない。私は慌てて立ち上がって湯船を出る。逆上せたのかやや頭がくらくらする。単純に起きたところだからかもしれない。いずれにしても気持ちのいいものではなかった。
壁にかけられた中のタオルで手早く身体を拭いて脱衣所へ出る。幸い誰かの足音も外に誰かが立っている雰囲気もなかった。間に合ったのか待たせているのか、ここには時計も置かれていなかったので分からなかった。改めて身体を拭いて服を着る。ばたばたとしていたからまだ身体が熱を帯びていた。
脱衣所と廊下とのドアをそっと開けて外に誰もいないか確認する。そこはお風呂に入ってきた時と同じ状況で廊下の明かりがほんのりとついていた。確か消灯の時間があるから(真さんが消しに来るらしい)、その時間にはなっていないということだろう。一先ずは安心できるようだった。

白山先輩にお風呂を上がってきた旨を伝えて自分の部屋へと戻ってきた。先輩の部屋を覗いたときに見えた時計によればそこまで時間が掛かっているわけでもなかったので、大したトラブルもなかった。今日はもう疲れたのでこれ以上何かをしようという気は起きず、私は押入れから出した布団を床へと敷いて寝ることにした。
それにしても、どうしてまたあんな夢を見てしまったんだろうかと思う。たまたま。そう言ってしまえばそれだけで片付くのかもしれないけれど。
確かにあの頃はよかった。もう一度戻れたらと思うこともある。でももうあんな思いはしたくないとも思っていた。今となってはもう過去のことでしかないのだけど。もう、過去のこと。思い出しても仕方がないんだって。それでもさっきみたいに時々ふと過ることが、思い出すことがある。
もう、いいのに。
今日はもう明日からのことだけを考えて寝ることにしよう──。

緩やかに世界が開ける。目覚ましもつけていないから──まだダンボールの中に眠ったままだ──、多分自然に目が覚める頃合いだったのだろう。そういや時計はその目覚まししか持ってきていないからこの部屋に今は時計がない。まだ大学も始まらないし、それほど急ぐ必要もないと思って。寝る場所は違えど、さすが同じ布団を持ってきただけある、すんなりと寝ることができた。まずは布団から出て押入れにこれを仕舞う。そして出しておいた服に着替えて寝間着を畳んで布団の上に置く。
部屋の外に見える空は既に明るくて、もう七時くらいにはなっているだろうと思われた。部屋から出ると隣の部屋のドアが開いていて──このアパートの部屋のドアはすべて外開きらしい──中に人の気配がした。起きた時間は思いのほか遅かったらしい。気にはなるも何食わぬ風に歩を進めると数歩くらいで中から人が出てきた。こちらには気づかない様子でそのまま廊下を抜けて階段を降りてゆく。
ぱっと見てまず背は私と同じくらいだった。髪は肩くらいのストレート、恐らく女の子。何処でそう感じたのかと言われると困るけれど、恐らく背中だと思う。爽やかな白のTシャツに紺色のジーンズというボーイッシュな出で立ちだった。私は彼女のあとを追って階段を降りる。廊下へ出るとちょうど彼女が玄関から外へ出るところだった。そのままあとを追って引越しを手伝うべきか悩んでいると、玄関から久保先輩が入ってきた。昨日と同じようにダンボールを抱えている。
「あっ、鈴川さん。おはよう」
「おはようございます」
先輩は私に挨拶してすれ違ってからそのまま階段を上がっていった。その後姿が見えなくなった頃で何となく時間が気になって共有スペースの方へと行く。
見ると時計は十時過ぎを指していた。どう考えても寝過ぎだった。昨日先輩の部屋を訪れたのが夜中の十二時過ぎだったので十時間くらい寝ていることになる。するべきことが部屋の片付けだけなのでそれでもいいような気もするけど……。
ふと後ろで物音がして振り向いた。そこには両手に袋を引っ下げた子。服装からしてさっき上で見た女の子だろう。
「あっ、ここの人ですか?」
柔らかいやや高めの声で彼女は言う。
「初めまして。ここへ引っ越してくることになった宮路(みやじ)望(のぞみ)です」
まるでお姫様がスカートを上げてするような挨拶だった。もっとも、彼女が着ているのはジーンズだったが。
「私は、鈴川美波。よろしくね」
「こちらこそ、宜しくお願いします。えっと、ところで今何年生ですか?」
「一年生だよ」
そう言うが早いか彼女は急に態度を軟化させて、
「あっ、君がそうなのか! よろしく!」
見た目に違わないらしい。こっちが地の彼女だろうか。声も張った感じがする。
彼女は手に持った袋を無造作に床へと置いてこちらへ来、私の手を両手で包みこんでわさわさと振っていた。私はされるがままだ。
「とりあえず、荷物運び終わったら部屋に行ってもいい!?」
「私も昨日来たばかりでまだ片付いてないけど……」
「美波ちゃんさえよかったら手伝うから。気が向いたら呼んでね!」
彼女はそう言って先程の手荷物を持つと階段の方へと歩いていった。自分だって引越しの片づけがあるだろうに。

彼女とのファーストコンタクトはこんな感じ。私に対してはテンションが高く、先輩の前ではお淑やか、その実人懐っこくて愛嬌のある可愛い子。私にはどれもない。私はただ平々凡々とした大学生。だから、そんな彼女が羨ましかった。

シキザクラ : もみじ : うめ

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