こもれび:シキザクラ
寮の夕食は全て真さんの手作りだった。共有スペースの隣にあるキッチンで私たちが部屋の片付けをしている間に作られたもので、色鮮やかで種類も多い。全体的には洋風に統一されていて、さながらオードブルのようだった。 しかし、明日は歓迎会とあって恐らく今日よりもはるかに豪勢な作りになるだろうということは容易に想像できる。つまり、普段からこれくらいの夕食だということだろうか。何にしても明日の夕ご飯が楽しみなことには変わりない。 夕食の席には辺りにコミックやら本やらの入っている本棚があるものの、テレビ等はなくあくまでこの場を沸かせるのは一緒にいる人との会話だけだ。それでも会話は途絶えることがなく和気あいあいとしていた。 私は美月先輩の隣でこのシキザクラのことについて話していた。 「美波ちゃんの部屋が二階の突き当たりでしょ? で、その手前の部屋は多分明日来るっていう子が入ると思うんだけど」 「はい」 「その手前の二部屋は、階段から右側が白山先輩で、左側が久保くん。それで、私の部屋の向かい側がすーくんね」 「なるほど。先輩は、その明日来る人について、何か聞いていませんか?」 「美波ちゃんと同じ、一年生の子って聞いてるけど。やっぱり気になるよね」 「そうですね」 「まあ美波ちゃんのことも一年生の子ってくらいしか聞いてなかったし、明日になってみないと何とも言えないけどね」 明日会ってみないと分からない、か。あれ? それは私の時も同じらしい。つまり、大家さんはあんなことは言っていなかったということなのだろうか。 とにかくここでどうこうと言っても仕方がないということらしい。 「真さんなら知ってるだろうけど、わざわざ訊くのもちょっとね」 美月先輩は ははは と笑う。 「ま、どうせ明日になれば分かることだし、そんなに逸らなくてもいいと思うよ」 それは確かにそうだけれども。 明日になれば。そんなことを昨日の夜も考えていて、今周りにいる人がこんな人たちだ。それを思えばそれほど思い悩むこともないのかもしれない。 「それより」 言って、一度口を紡ぐ。 「私の部屋なんだけど……」 ぼんやりと空を眺めて、先輩はそこで黙ってしまう。 「先輩?」 「あ、うん……、あのね、ああして散らかってるの、すーくんくらいしか知らないし、他の人には黙っておいて欲しいなって」 何か含ませたような言い方だった。まるで誰か知られたくない人がいるかのような……。 「分かりました」 そう言うくらいなら普段から片づけておけばという気もするけれど、人のことを言えた質ではないのでとても口に出しては言えなかった。 「ありがとう」 小さく息をもらして言う。 「今日部屋を綺麗にしたら、頑張ってみるから」 それを私に言っても仕方ないんじゃないかなあと思いつつ。 そんなこんなで夕ご飯の時間は過ぎてあった。 そこは見るも無惨な有様だった。私は、人のことなんて言えないなんて言ったものの、とてもそんな状況ではなかった。床は見えず部屋のドアを開ければ中のものが溢れてきそうな有り様で、とても見れたものではなかった。 そういえば先輩は時々部屋の掃除をするだなんて言っていたけれども……。先輩自身がこの部屋を時々でも掃除しようという気になるのも驚くほどだった。 「ははは……」 「とりあえず、何処から手をつけますか?」 とはいえ、今日中に終わる気はまるでしなかった。 二時間経っても部屋は一向に綺麗にならなかった。 まずはこの部屋にはものが多い。衣類から色んな書類、何が入っていたのか分からない袋までが床や机の上に散らばっている。 そして美月先輩はものを捨てられない人だった。私が要らないものだと思っても先輩はもしかしたらと言う。これでは埒があかなかった。恐らくは自分で掃除をするにしても、ものをまとめただけに留まっていたのだろうと思う。 これは先輩を押しても捨てさせなければ進みそうになかった。 結局その日は床が見える程度、つまり明らかなゴミを捨てて、そうでないものを種類別に分け、衣類を畳んで仕舞うくらいにしかできなかった。雑多なものを仕舞おうと部屋にある押入れを開けたところ、その中ももので溢れていた。というか、開けるな危険……。 先輩が必死の形相で開けようとする私を止めようとしたのも頷ける。部屋にしろ押入にしろ、他の人に見せられないのはその人が誰であれ仕方ないことなのかもしれない。 とにかく、今日はここまでにして続きは明日。私ももう少し部屋の片づけをしたり必要なものを買いに行きたかったのだけれど、ここを落ち着かせない限り踏ん切りがつかなかった。 あれで片付けたと言えるのかどうかはともかく、私は先輩と別れて自分の部屋へと戻ってきた。ここでさえ未だに開けていないダンボール箱などが幾らかあるというのに、よく先輩の部屋の片付けを手伝おうだなんてよく言い出したものだと思う。それほどあの部屋がひどい有様になっていたということだけど……。 ともかく、そんな後だから到底自分の部屋を何とかしようと思うわけもなく、明日必要な衣類と寝間着だけをダンボールから引っ張り出して部屋を出た。 天井から柔らかい光の照らす廊下は、私の部屋から見て右手が大きめの窓になっていて外がよく見える。もっとも、その窓にはカーテンもあるので融通も効く。一方で、その向かい、私の部屋から向かって左側は、物置と空き部屋になっている。ここへ明日誰かが来る。今日私がこのシキザクラへ来たのと同じように。 その部屋の前にある廊下を抜けて、お風呂場へと向かう。お風呂場はちょうど階段の向かい側、一階から上がってきた場所にその入口があって、脱衣所を踏まえて浴場がある。脱衣所と浴場は軽く鍵がかかるようになっていて、特に男女の区別はない。締めなければ入られても文句は言えない、そんな感じの造りだった。 脱衣所は入って左手に洗面台、右手の奥に洗濯機があって、洗濯は個人で行う。もっとも、そうすると時間がかかって面倒くさいので、数人でまとめて放り込むこともあるらしい。洗濯物は部屋の窓の外にある物干しに吊るすのが基本的で、雨の日には洗濯乾燥機として使ったり部屋干ししたり。一方、入って正面には浴場があって、開けるとタイル張りの床と一畳程度の湯船がある。 脱衣所のドアを軽くノックして中に誰もいないことを確認してから外開きのドアを開けた。それを後ろ手で締めて鍵を掛ける。洗濯機の上に着替えを置いて、着ていたワンピースに手をかける。その時、 コンコン 急にドアがノックされて飛び退く。幸い何にもぶつからなかったけれども、ドキドキしていた。 「誰か入っとる?」 その声はさっきの夕ご飯の時にも聞かなかったものだった。何よりこれだけ訛りが強いのなら忘れるはずがない。恐らくは…… 「白山先輩ですか?」 服から手を放してドアの向こうに問いかける。消去法ではあったものの、恐らくはそうだろう。 「そやけど……、ああもしかして君が今日引っ越して来たていう子?」 相変わらずドア越しの会話。それにもどかしさを感じてドアの鍵を外して開ける。 「ドア越しですいません」 「いいや、別にそないなこと気にせんでええけどな」 顔を上げてみると、そこには長身で長髪な女の人がいた。言っちゃ悪いが、美月先輩とは全く対照的だった。 「それより、私こそ夕食の時におらへんで。ちいと研究が忙しかったもんで堪忍な」 「いえいえ、そんな……」 「まあ、明日は居(お)れると思うさかい、よろしゅうに。さて、お風呂はゆっくり入っててもろて構わんし、私は部屋におるから上がって来たら言うて」 先輩はそう言って自分の部屋──あの空き部屋の隣の部屋へと入っていった。纏(まと)う空気が京都っぽい……。 再び脱衣所のドアを閉めて鍵を掛ける。先輩も待たせていることだし、長居はせずに済ませよう。そう思ってまたワンピースに手をかけるのだった。 お世辞にもお風呂は広いとは言えない。ちょうど一畳間に浴槽をおいたようなものだから、足が伸ばせるか伸ばせないかというくらいである。湯船の壁際には窓が付いていて、下半面は磨りガラス、上半面は換気も兼ねた格子窓になっている。角度によっては湯船に浸かりながら空が見えるもので、やや風流といった感じだろうか。 お風呂に入りながら隙間からぼんやりと夜空を眺める。ここから見える空も、実家から見えていた空も繋がっているのだなあと思うと、ふとお母さんと見送ってから連絡をとっていないことを思い出した。今頃どうしているのかなあと思い、いつもならこの時間は夕ご飯の片付けをしたりドラマを見たりしている頃だなあと思いつつ、そうして、静かに、夜は、更けて、いった……。 |