第八話(I) 2度目
新しい班、新しい場所に決まった次の日の朝。 昨日は突然皐月さんに話しかけられてあんな返事しかできなかった。 自分から皐月さんに話しかけることが出来なかったのがとても情けないと思う。 でもまさか皐月さんの方から話しかけてくるとは思いにもよらなかった。 でも昨日ああして話しかけてきたという事にはもちろん何か理由があるはずだろう。 僕は昨日からその理由が気になって仕方がなかった。 今はあれから一夜明けて次の日の朝。 またいつものように新聞をとりに行く……その玄関の前。 昨日ああしてごく自然に話しかけてきたからにはもちろん今日の朝も同じようにくるはず。 なら昨日みたいに情けない自分ではいたくない。 きちんと美樹や仁志と話すように皐月さんと話したい。 そのための心の準備というのだろうか。 玄関口で深呼吸をする。 そして、玄関の扉をゆっくりと開く。 ガラガラガラ…… 「育人君、おはよう」 まだ完全に外に出きっていないときにいきなり皐月さんの声がして驚いてその方向を向く。 「あっ、どうも……」 予想はしていたもののこれほど早いとは。 それで自分は相変わらずしどろもどろ。 決意とはまた曖昧なものだ。 いざとなってはきちんと返事ができない。 「今日もよろしくね」 「うん……」 また曖昧な話の続かない返事をしてしまう。 自分はきちんとした返事をしたいとは思うのに。 でもこう言うときに限って思う通りに口は動いてはくれない。 昨日もこうだった。 真朋に面と向かってその返事を返す事が出来ない。 そんな自分に歯痒ささえ感じる。 そしてポストへ向って足を進める。 『好きなんだろ?』 突然昨日の仁志の言葉が頭を過ぎる。 たしかに僕は皐月さんのことが好きだけども……。 でも皐月さんは僕のことを一体どう思っているのだろうか。 向こうからあえて話しかけてくるくらいだ。 嫌いと言うわけでもないだろうけれども。 どちらにしろ僕がこのままでいる限りどうしようもないのはたしか。 それは自分が一番よくわかっているつもりだ。 好きでもその気持ちを……いや普通に会話する事さえできていないのだから。 でももし皐月さんも僕に気があるとしたら……。 いやそんなに上手く話が進むとはまたうまのいい話だ。 でも、もし本当にそうだとしたら……。 自分はそれなりにやっていけるのだろうか。 もちろん言うまでもなくそれを知っているのは皐月さん本人だけ。 なら訊けばいい。 でもそんなこと今の僕にできるわけがない。 そんなことができたら苦労もしないだろう。 第一、それできちんとした返事が返ってくるとも考えにくい。 そういえば、皐月さんはどうしているのだろう。 あれから話も続かない。 いや僕が続かせていないのかもしれない。 恐る恐る顔を上げて皐月さんの方を見る。 気のせいだろうか、皐月さんの頬がほんのりと赤いような気もする。 いや本当に気のせいだろう。 たぶん……。 それより昨日の仁志の言葉。 あれはどう見ても感づかれたに違いない。 これから先が思いやられそうだ。 仁志のことだ、また何か言うだろう。 それにしても、昨日ああして話しかけてきたのも今日こうして話しかけてきたのも一体何故なんだろう。 やはり僕に……。 いや、そんなはずはないだろう。 でも、そうとも限らないかも……。 自分の頭の中でそれが定かか否かがくるくると回り始める。 ポストにやっとつき、新聞紙をとる。 紙面の文字がぼやけて見える。 家のほうへと向き直りまた歩き出す。 自分の中にあるありったけの勇気で皐月さんに話しかけようと試みる。 でもその自分の口からはうんともすんとも出てはこない。 そんな自分が情けない。 そんな自分に歯痒さを感じる。 せめて挨拶だけでもいいから自分から話しかけたい。 この日はこんな後味の悪い朝だった。 |