その54 二人のヒト ─ 美由

これで、よかったんだと思う。私と彼の関係を元の状態に戻せば、上手くいくはずだろう。あのとき、本当は会うべきではなかったのだ。単に電話だけして、勝手に会いに行かせればよかった。彼女と繋ぐのも、お互いを偽りで呼び出して、あたかも偶然を装って会わせればよかったのだ。何も私たちがわざわざ招いて、紹介する必要もなかった。そうすれば、彼も一心を貫くことができたのだから。ともかく、悔んでも仕方ない。今できること、それは彼の中から私を消すこと。そうすれば、上手く事が運ぶはず。
八月二十九日。
義直君に四人で会わないかと誘われた私は、そのとき、あるチャンスを窺っていた。彼が自身のプライドか、或いは誇りを誇示するときを。そして、彼を私が別れを持ちかけるきっかけに乗せることができた。
八月三十日。
この日は加恵に四人で会わないかと誘われた。少し久しぶりだと思いつつ、私はその誘いに快く乗った。昨日と同じようにあの神社で私たちは会い、そこのベンチへと座った。でも、予想外のことがあった。それは、その神社に義直君と知美も来ていたこと。私はただひたすら彼らを意識しないように加恵と話し続けていた。その間、あの二人がどうしていたかだとか、信彦と創英君がどうしていたかはあまり記憶に残っていない。
八月三十一日。
この日の朝方、およそ十時くらいだっただろう。その刻に、創英君へと電話をした。明日から学校が始まって、彼が義直君と会う可能性があったからだ。私は彼に、学校で義直君に対して私のことを一切話さないように託けをした。それから昨日の夜に知美から掛かってきた電話を思いだし、彼女が創英君と話したいと言っていたことを告げた。彼はそれに対して了承したので、私は彼に少し待ってもらうことにした。それから、彼に承諾を得たことを知美に伝えようと電話に手を掛けたとき、突然電話が鳴り出した。私はその電話を取り、相手に問い掛けた。
「もしもし?」
「ああ、美由さん? 俺だけど……」
私は予想外のことが起こったので驚いた。まさか、義直君から電話がかかってくるとは思ってもいなかった。もし私が思うことを遂行するなら、ここで彼を突き放すしかなかった。それも彼のためだと思い、私はなんとか自分に決心をつけさせた。
「一昨日は」
「もう二度と電話なんか掛けてこないで!」
私は電話に向かってそう叫んで、思いっきり受話器を電話に叩きつけた。電話は見事に切れ、辺りには静寂が漂った。私は頬に一筋の、何か冷たいものを感じていた。恐らく義直君は一昨日のことを謝ろうとしていたのだろう。なんだか申し訳ないことをしたような気にもなったけども……、これも、、、仕方ない。
私は自分にひどい言い訳をし、気を取り直して、知美に電話を掛け始めた。プッシュホンのボタンを一つ一つ押していくうちに、私は何だか捉えようのない空虚感に包まれていった。ボタンを全て押し終えると、電話からコール音が鳴った。辺りにはその音だけが響いていた。私は恐る恐る受話器を取り、耳に宛がった。
「もしもし」
電話の相手はそう尋ねる。
「……、知美? 私だけど……。創英君が電話してもいいって、そう言ってくれたから……」
「えっ、本当に? ありがとう」
「いえいえ……。それで……、創英君のとこの番号なんだけど、」
私はそう言って、知美に創英君の家の電話番号を教えた。何故だか、一つ一つ念を押すように慎重に。
「分かった?」
「うん。ありがとう。早速掛けてみることにするね」
「うん……。ああ、あと……創英君に、あとで掛けてくれるように、頼んで、欲しいんだけど……」
私は自然と、そんなことを彼女に頼んでいた。
「わかった。それじゃ」
「うん」
電話は、終わった。でも、もっと誰かと話していたい気がしてならなかった。
そんな私をよそに、知美はそんな私の様子に気づかず、辺りには相変わらず静寂が漂う。
私はそのあと、自室のベッドの上でうつ伏せになって、ベッドに顔をうずめていた。何をどう感じたのか、全く分からなかった。ただひたすら、何かにすがりついていたかった。掴みようのない想いが込み上げてきて、私を包み込んでいた。この感じは、高一の時のそれとどことなく似ていた。理由も恐らく似たようなものだろう。なんだか感傷的で、何もかもを壊してしまいたいような気分。恐らく義直君もそうに違いない。
それでも。私はこうするべきだったのだ。何もかも、以前のままあり続けるために。この歪んだ、過去の産物である気持ちを、取り払うために。
それからしばらくして、電話は再び鳴り出した。私は何故か、それにありえもしない期待を寄せていた。自分で突き放したくせに、もしかしたら……なんて。私はそんなつまらないことを考えながら階段を下っていった。
「もしもし」
電話の向こうからはごく普通にそんな声が聞こえてきた。もちろん、創英君の声だ。
「ありがと。別に何か用があったから、掛けて欲しいって頼んだわけじゃなくて……、少し話していたいって言うか……。うん、そんな感じで……」
それも、強ち間違いでもなかった。でも、真意ではない。
「今、いいよね?」
「うん。もちろん」
「なんだか、少し憂鬱で……、すっきりしないんだけど、その理由が分からなくて」
理由なんて、とっくに分かっている。ただ、どうしてもその理由を認めたくないだけ。消しかけてしまった、いや消してしまったその存在を追っているだなんて言えない、言いたくない。
「ユーウツ? 嫉妬でもしてる?」
「えっ?」
嫉妬って、もしかして知美にかな、なんて。それくらいは遅れて考える余裕ができた。
「いや、そういうのじゃないんだけど……」
「じゃあどんな感じ?」
「どんなって……、なんていうか、切ないのかな?」
それでも、この感覚はしばらく消えそうにない。
「……僕がいるのに?」
「うん……」
なんだか、義直君だけじゃなくて、創英君にも申し訳ないことしてるなって、そんな気持ちに押し潰されそうになっていた。消えたものは取り戻せないんだって、そう分かっているのに、この気持ちは一体なんなんだろう。
もう、彼とは、何も、ないんだ。
私は自分に、何度も何度も、そう言い聞かせた。
次の日から再び大学へ通う日が繰り返された。そこには知美がいる。でも私は彼女と彼の話をするつもりはない。彼女もあまりしてこないし──たまにはあるが──、私もそのことは話さない。彼女はそのことに気がついたのか、少しずつ彼のことも話さなくなってきた。話したいなら創英君がいる。私は彼女にそう言っておいた。知美は少し悩んで、心持ち了解したようだった。
創英君は新しい大学の生活に多少戸惑ってはいるものの、なんとかついていけているらしい。学校には彼もいるのだろうが、あまりその話はしてこなかった。私は二人が気遣ってくれるその世界で、何処か痛烈を感じざるにはいられなかった。
九月四日。
日曜日のこの日、私は創英君と会う約束をしている。彼に、あのヒトとの喧嘩の理由と、カレとの約束の理由を、言うために。あのヒトがいない世界というところで、生まれ変わった私として、カレにもう一度告白するために。それから、彼に、一つの、ものでないプレゼントをするために。私は、彼がうちに来るのを心待ちにしていた。
それは何故だか、新しい世界への扉を切り開くようで。

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