その51 Friends ─ 義直

奇跡?
いや、そんな言葉で片付けるのは勿体ない。奇跡なら、それは誰が与えたものだというのだろう。神様が恵んだものだとでもいうのだろうか。それでは、なんだか悲しくなる。
偶然?
違う、そうじゃない。これは自然、若しくは必然。たまたま、では片付けたくない。だからこそ、選んだことに対する責任は俺が果たさなければならない。言いたくはないが、美由さんの言うように『お姫様』と唱えるのは、俺がそのように選んだ理由かもしれない。こうして“‘知美さんと在る俺’を選んだ俺”の心理は、あまりよく分からないが。
俺から誘ったはずだった。昨日、俺と知美さんはあの二人にお礼を言うために、あの神社へと呼んだ。その際に、創英が何やら知美さんと話したいことがあるのだそうで、途中から別のベンチへ移動した。元々四人が座っていたベンチには、俺と美由さんが物の見事に残された。それから俺たちはしばらくお互いの相手について話していた。そして……、美由さんが放った一言にかっとして、言い返したら、言い返されて……。そんな言い合いが幾度か繰り返されたときに、ちょうど二人が戻ってきて、俺たちは帰ることにした。よって、俺と美由さんの間には見事に亀裂が入った。
まあそんなこんなで……。俺と知美さんはそのあと俺の家へ行って、本来四人で過ごすはずだった時間を過ごした。俺はそんな中、未だにむしゃくしゃしていて、過去も含めて美由さんの愚痴ばかり溢していたような気がする。それに対して知美さんは頷いて同感したり、たまに鋭いことを言ったりして……。ああ、あれはそうだったんだと、少し反省するようなところもあったり。
いや、でも。
俺は、今日のは自らの非を認めるわけにはいかないと決め込んでいた。そしてその別れ際、まともに神社にいれなかったのでと、明日もう一度行くことになった。このときは、また会うことになるとは思ってもいなかった。
そして今日。
俺たちは、午後一時半頃に例の神社へと到着し、そして神社の西側の入り口から社の方へと向かって歩いた。社の前の広場に着いたところ、そこには既に先客のカップルがいた。どうやら創英のお見舞いに行ったときに会った人らしい。俺は軽く挨拶をして離れたベンチに腰を落ち着けた。
「肩……、借りていい?」
と、知美さんは尋ねる。数年来にあったあの日に比べると、すっかり慣れたカップルのようになっている。別に俺がどうこうしたというわけでもない。
付き合って、もう三日が経った。いや、たった三日なのに、彼女は慣れたように振舞う。俺にとっては不思議でならない。三日でこれほどまでに変化があるのだろうか。確かに中学校は同じで、つまり、同級生だったわけだが……。彼女は同じ班にあんなに長くいても、ちっとも話しかけて来なかった。そんな彼女が、付き合って三日で俺の肩に頭を乗せている。俺はなんとも形容し難い気分で、彼女の枕役を遂行している。
風が吹いて、木が揺れている。ついでに、気も揺れている。
足が地面につかないように、ふわふわと浮いたような感覚もさることながら、何か異様な感じがしていた。
「こういうのって、前から憧れてて……」
と、肩の上の彼女は言う。
「う、うん」
「なんだかいかにも幸せそうだなって……」
「そうか?」
「うん」
肩枕ってそういうものだろうか。むしろ、腕枕の方がいいような気もするけど。
しかし、これでは俺は動きようがない。お姫様は依然として肩に頭を乗せ、軽く目をつむり、俺の分からない幸せの中にいる。俺は仕方なく、空でも眺めてみることにする。
ぼうっと眺めた先では、白く綺麗な雲が、きらめく空を流れていった。
赤く燃ゆる太陽の光で、青く澄んだ空は輝いていた。
一方、境内周辺の木々は風に揺れて、ざわついていた。俺の髪も風に乗っているらしい。先ほど挨拶しに行ったあの二人は、相変わらずあの席に座って何やら話している。俺たちはこうして、時が経つのを感じるだけだ。それが長いか短いかでなくて、こうしているのが幸せなんだそうなので、こうしているまで。ただ時が過ぎるのを、風が通るのを、雲が流れるのを感じるだけ。この時、この空間、この感覚を幸せだと感じるなら、そうしておいてあげようと思うだけ。そうして時計の針は回り往くのだろう。
ゆるりと流れる雲を眺めていた俺は、ふと隣で肩を枕にしている彼女を見てみた。あれから彼女は微動だにせず、ずうっとこうしている。俺が少し耳を澄ましてみると、隣からは寝息が聞こえていた。致し方なく、俺は彼女の肩を軽く優しく抱き、ベンチに身体を預けて、またぼうっと空を眺めた。こうしているのも、悪くないな……なんて、俺はそんなことを思っていた。
俺たちは広い草原の上、馬が駆け回り、小高い丘に立つ一本木に、身体を寄せ合って座っていた。俺は見るからにカウボーイでもやっていそうな服装だった。彼女は、制服を着ている。何故だかそれは高校の制服だと、俺は確信を得ていた。彼女とはいうものの、それは知美さんであるとは確認できなかった。つまり、“彼女”という認識だけで、それが一体誰なのかは分からなかった。俺はそんなおかしな光景をおかしいという認識で見ていなかった。ただそれがあるがままだと信じるかのように。俺は“彼女”の肩を掴み、“彼女”は軽く目を閉じた。俺は顔を少し傾げて、“彼女”の顔に迫る。そしてお互いの唇が触れる直前に……、世界は砕け散った。
気付けば俺は暗闇に浮いていた。辺りには微塵になったガラスが無数に飛んでいて、そこに馬や芝生が写っていた。目の前の暗闇に“彼女”が現れ、そして消えた。そして辺りから“彼女”とは別の女性の声がした。何と言っているか分からない。でも俺は自分が責められているのだと感じ、その声に向かってこう叫んでいた。
「俺はもう、あんたのことは忘れたんだ!」
静寂に満ちた世界に、それは反射して、ひどく頭痛がした。するとまた、声がした。俺はその声に対して、
「もう一切関わるな!」
と、激烈に叫んでいた。そして、周囲には悲しそうな声が響き、無数のガラスはまるで圧縮機にかけられたようにひとつになり、光を放った。気がつくと、俺の口は何かに阻まれていた。俺の手は何かに乗っていた。俺が恐る恐る目を開くと、目の前には“彼女”がいた。目は軽く閉じているけども、その目は幸せに満ちていた。俺はまた軽く目を閉じ、いっぱいに感じようとした。
馬は高らかに鳴き、木々は風に揺れていた。
目が覚めると、そこは神社の境内だった。つまり、夢だったらしい。傍らでは、相変わらず知美さんが寝ていて、その肩には俺の手が置かれていた。俺の肩に頭を預けた彼女の顔は相変わらず幸せそうに見える。それに対して、俺はどんな顔をして寝ていたのだろうか。あの先客は相変わらずあそこに座っていて、話している。もちろん、こっちのことなど気にしている様子でもない。だから誰にも聞きようのない自分の表情。なんだか夢自体もすっきりしないものだった。今思うに、なんでカウボーイのような格好をしていたのか、わけが分からない。俺がキスした相手は誰で、俺を責めた声は誰なのだろう。何かこのしがらみから逃げたいような感覚だったけども、全くもって不可解な夢だった。
「ん……、ごめん……。寝ちゃったみたいで……」
と、知美さんは目を擦ってそう言い、俺の肩から頭を上げた。
「そんなこと、気にしてないから。それより、俺の肩でいいならいつでも空いてるからな」
「うん……、ありがとう」
そう言った彼女は、寝ていたからか悲しかったからか区別のつかないような涙を浮かべていた。
「なんか恥ずかしいな、涙なんか見せちゃって……」
彼女はそう言いながら、涙を拭った。でもそんな行為とは裏腹に、涙はしばらく止まなかった。俺は彼女の肩に乗せた手で、彼女を引き寄せた。彼女はその手に気付いていなかったらしく、一瞬きょとんとしていた。でも、それから俺との距離を少し詰めて、俺に軽くもたれ掛かってきた。
「昔飼ってた犬が死んだときの夢で……」
と、彼女は涙声で言う。俺はそんな彼女の横顔を見ながら、彼女をより強く抱き寄せた。
俺は彼女から涙が止まるのを持っていた。泣き声なんてものはなかったけれど、泣いているのは確かだった。それに対して、俺にはただこうしていることぐらいしかできない。視点は定まらず、くるくると弧を描くだけ。おまけに東側の入り口からはまた誰かここに来る……って、もしかしてあれはあの二人ではないだろうか。あの病室で出会った人は、あそこにいたからには創英と関わりのある人だ。つまり、あの人はここであの二人と待ち合わせをしていたということか。どうやらまだあの二人は俺たちがここにいるということには気が付いていないらしい。俺が挨拶に行った二人の方へと歩を進め、軽く挨拶をしている。今のうちにここから立ち去った方が無難ではないだろうか。俺はそう思い、知美さんにそのことを伝えようと、した。したけどできなかった。
なぜなら、
「あれって、義直君じゃない?」
と、創英が大声で叫んでしまったから。それを聞いて、美由さんは創英に何か言う。創英はそれに軽く受け応えしてから、こちらへと来る。俺は知美さんをひとまずベンチに残して、創英の方へと歩いた。
「こんなところで何してるの?」
「昨日は散々だったからな。もう一度来ようってことになったわけだ。ここにいるからって気にするなよ。わざわざ関わりに来なくていいからな」
「美由さんは放っておいたらって言ってたけど。あれからどうしてるか気になって……」
俺にしてみれば、今こんな状態だし、昨日喧嘩した身だからその方が助かる。
「それより知美さん泣いてない?」
「ちょっと事情があって……って、そんなこと創英には関係ないだろ。早く戻れよ」
「まあいいけど。お姫様を泣かすようではいけないよ」
そう言って、創英は戻っていった。なんだか無性に腹が立ったけども、それを無理矢理押えて、俺は知美さんの座るベンチへと戻った。

←その50  その52→

タイトル
小説
トップ