その48 予想と結果と類推 ─ 美由

記憶をなくす前の彼と、記憶をなくした後の彼。それがまるで洗濯機か台風にでも放りこまれたかのように、くるくると回り始める。そして次第に混ざってゆき、互いの区別がつかなくなる。やがて双方は同一のものへと変化し、それらは一つになる。つまり、別々の人格が存在するとは思えなくなる。同化するとでもいうのだろうか。あの彼はあの彼で、この彼はこの彼なのだという感覚は次第になくなりつつあるような気がする。今の彼に慣れすぎたのだろうか。大した時間も経っていないというのに。
昨日、知美から結果の報告があり、それから幾らか時間の経った頃。電話は再び鳴り出し、私の勉強を妨げた。
「もしもし、杉並ですが」
「美由さん? 俺だけど。明日空いてる?」
「明日? 何かあるの?」
「“何か”のというか、どうせなら直に会って、その、この間のお礼が言いたくて。それで創英も誘ってきてもらえたらなと思うんだけど」
「私は暇だけど、創英君がなんて言うか……」
「じゃあ俺から掛け合ってみるから。あの神社に、ええっと二時集合で来てくれないか?」
「うん、分かった。もちろん知美も来るんでしょ?」
「知美さん? 言うまでもなくね。そういや、“俺が美由さんに会うから心配だ”とか言ってたけど、何かあったのか?」
「さ、さあ……」
多分、知美も少なからず感付いているんだろうな。義直君が本当はどう思っているのか。まあ義直君も、そういつまでも想ってはいないだろうけど。私? 私は友達……ってところだろうか。あの頃の気持ちを忘れたわけではないけれど、かといってどうしようもないし。
「俺だって忘れたってわけじゃないから、知美さんの言うことは尤もなんだけど……。しかし、気にされてもなぁ」
「なら早く心配だなんて思わせないようにしてあげなよ。私だっていつまでも創英君に焼きもちなんて焼かせるわけには行かないからさ」
「うん……」
「私は別に義直君がどう思っててもいいんだけど、創英君がね……」
「あの、今の創英って、そんなにやきもち焼くのか?」
「何も言っては来ないけど……。義直君の話をすると、いけ好かない顔するしね」
そう言って、私は苦笑いをする。
「そうか。まあとりあえず、明日はよろしくな」
「うん」
そう言って、電話は切れた。
そしてその翌日、つまり今日。私は午前中に電話した通り創英君と途中で落ち合い、あの神社に着いた。社に対して左側にある道から中央の社のある広場へ入った私たちは、ベンチに座って二人が来るのを待った。それから数分経って、あの二人は私たちが来た方とは反対側から、なんだかぎこちなく、互いに少し距離をおいてやってきた。
「よっ」
義直君は、そう言いながら真向かいのベンチに腰を下ろした。創英君は、わざとらしく義直君から目を背けて、遠くを見ている。知美は、義直君に少し距離を空けて座り、創英君に何か言いたげにしている。でも創英君も義直君もそんなことには気付いていないらしい。私は、そんな微妙な空気の中、義直君の挨拶にぎこちなく答えた。
「直接会うのは一週間振り?」
「まあそうだな。でも電話はそうでもないけど」
「別に私から掛けたいと思って掛けた覚えはないからね」
「ああ。俺の事情だしな」
「電話って?」
知美がそう訊く。
「義直君が一人で決められないからって、私に電話かけてきてね。仕方ないから喝を入れてあげたってわけ」
「……喝か」
そう言って、義直君は苦笑した。
「まあ喝って言えば喝なんだろうな」
「喝……?」
「優柔不断な義直君に、きつい一言を言ってあげたの」
「何て?」
「何てって言われてもな……」
と、義直君が答えにならない答えを言う。まさか、あんなことは本人に言えたものではないし。ああ、そうだ。
「『お姫様は大切にしろ』って言ってやったの」
そう言うと、義直君はすかさず、あたかもふと思い出したように同調した。
「ああ、そうそう……」
「何それ……」
一方の知美は、すっかり呆れていた。するといままで黙って遠くを眺めていた創英君が、知美をちらっと見て、
「まあ無理もないかな」
と、ぼやいた。
「……」
知美は、そう言われて増して赤くなり、黙って俯いた。創英君は、何事もなかったかのように、また空を眺めている。義直君は、そんな創英君をちらっと見てから隣にいる知美と私を見比べた。
「……何?」
私は、凄みも利かせるつもりもなく、なんとなく義直君を眺めた。
「別に……」
それに対して義直君は、少し恐縮してそう答えた。少し気に障るが、ここは無理に放っておくことにする。
「それより、先週はありがとな。わざわざあんなことしてもらって」
と、義直君が知美を代弁してそう言った。いや、すっかり内輪的なことなのかもしれない。
「いや、別に大したことしてないって。ね、創英君」
「えっ、う、うん。あれくらいお易いご用だって」
少しあたふたして、創英君はそう応えた。
「そうか? まあ二人みたいに仲良くやっていくから、期待してろよ」
「うん」
私は、義直君に威勢よく返事を返した。知美は、そんな義直君の言葉を聞いて、頭を上げて義直君の顔をまじまじと見つめた。
「ん? なんかついてるか?」
「いや、そういうわけじゃないけど……」
「じゃあなんだよ?」
「別に……。ちょっと気になっただけだから……」
「……」
やはり、相変わらず義直君は鈍いなと思いつつ、私は二人を見ていた。
「あの、知美さん。あとでちょっといい?」
「えっ?」
私も、創英君の突然の誘いに知美と同じように“えっ”と、言いたくなった。もちろん義直君もきょとんとしてる。
「ね、どうかしたの?」
と、私は創英君を肘で突きながら囁き掛けた。
「いや、さっき何か言いたそうだったから……」
「別に今、直接聞いたらいいじゃない」
「義直君がいるから言い辛いかなと思って」
「よく言うよ。呼び出したりしたら余計に義直君がおかしく思うでしょ?」
すると創英君は何かの確信を得たかのように、
「そう言われればそうか」
「……」
義直君だけがそうであるというわけでもないらしい。
「私は別にいいけど……」
と、知美は返事した。
「……」
今のは義直君の沈黙。
「じゃああとで」
と、創英君は言う。それに対して、義直君はどちらに言ったとも、つかない言い方でこう言った。
「なら今行って来いよ。どうせ暇だし」
「行く……って何処へ?」
と、私は些細な質問をぶつけてみる。
「俺らがいたら邪魔なんだろう?」
義直君は、知美が焼きもち焼いていることも忘れてしまったのだろうか。
「じゃあお言葉に甘えて」
そう言って、創英君は同じ広場内にある別のベンチへと歩き出した。でも知美はこの場にいて、義直君の様子を窺っている。
「……行かないのか?」
「って、言われても……」
そう言って知美は私をちらりと見た。警戒のし過ぎだと、私は思う。
「知美さん、早く」
創英君が、向こうのベンチから知美を呼ぶ。知美は軽く創英君の方を振り向き、それから私と義直君を交互に見た。私は何とも言えない気分になる。
「知美、気にし過ぎだって。私は義直君のこと、何とも思ってないんだから」
私がそう言うと、義直君は横目で私をちらっと見て、知美にこう言った。
「美由さんもそう言っているし……」
少し残念そうに聞こえるのは、きっと私の思い過ごしだろう。
「うん……」
そう言って、知美は創英君の元へとゆっくり歩いていった。
「……」
義直君は黙ってその後姿を見つめていた。
「ねぇ、どうして知美にOKしたの? 好きでもなんでもなかったんじゃないの?」
「そうだけど。でも放っておけなくてよ」
「心配だったって?」
「うん、まあそんな感じ……」
その辺りのことだろうと思っていた通り、間違いでもなかったらしい。
「じゃあ知美のことはどう思ってるの?」
「どうって、別に美由さんに言わなきゃならないことでもないだろう?」
私はそれを聞いて、危うく眉間にしわでも寄せるところだった。
「……まあ、そうだね。わざわざ私に言う必要もないか」
確かに義直君が言うことにも一理あるので、ここは譲っておく。
「俺は、やるって決めたらきちんと最後までやるから。別に心配してくれなくてもいいよ」
「私は義直君じゃなくて、知美が心配なの」
「一年以上も俺と付き合ってたんだから、俺のことくらい分かってるだろう? なら信用してくれてもいいじゃないか」
「……」
それに対して私は反論できなかった。私たちが別れたことに関しては、義直君に非があったわけではないのだ。ここで信用しないにも、その理由がない。たとえば二股が発覚して別れたというのなら、信用しないのも筋が通るというわけだ。でも私たちは私が無理を言って別れたのだから、彼を信用しないというのはどう考えてもおかしい。
「知美さんのことが心配だっていうのは分からなくもないけど、その相手は俺なんだから」
「ん……そうだね。ごめん……」
「お姫様は俺がちゃんと護るから、心配要らないって」
そう言うと、義直君は創英君と知美の方を軽く見て、
「しかしホントにお姫様みたいに見えてくるから不思議だよな」
そんなことを言いながら軽快に笑う義直君は、なんだか私の付き合っていた義直君とは違うように見えた。

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