その47 結果を知らせて ─ 知美
相思相愛という言葉がある。心から想える愛なら、長年の想いが実を結んだといえる。でも、それが人としての愛なら。気遣いとか、心配りとか、そういう類のものも当然一つの愛だ。そういう愛なら、相思相愛といえるだろうか。相愛の愛は、愛するの愛で、恋したり好きになったりということだ。一方、気遣いや、心配りは、大切にするということだろう。恋したり好きになったりするわけじゃない。だから相思相愛は、互いに想って互いに恋しているということだ。それには、まだまだ遠い。
その日、私は彼の家族が帰って来る直前まで、彼の家にいた。彼は別に家族が帰ってこようと構うようでもなかったけれど、私としては顔を合わせ辛いので、帰ることにした。彼の家を出たとき、彼が送っていこうかと言いだし、結論として私はまたあの自転車の荷台に乗ることになった。私は軽く、また彼の腰に手を回して、風に髪をなびかせながら。今度は少し、心にゆとりを持たせて、切る風を楽しみながら。ゆっくりと流れていく、その風景に色んな想いを乗せながら。 でも、かといって私は満ち足りた思いであったというわけではなかった。なんだかしっくりこない、イマイチ実感の沸かない、どこかすっきりしないという感覚だった。もちろん叶ったことが嬉しいことには変わりない。でもその実感がなかった。目の前には彼がいて、背後にいる私に話しかけてくる。そして私はそれにぎこちなく答える。私はこの白馬──いや自転車に乗った、王子様──いや義直君に、想いを馳せていた。今は馳せるまでもなく、ここにこうしている。手の届いているところに。夢でも幻でもなくて本当にそこにいるのに、私には遠く、まだ馳せているような感覚だった。 彼は私の家のそばまで送ってくれた。私は小学校の前までで構わないと彼に言ったのだけども、私だけが義直君の家の場所を知っているのでは何かと不都合だと彼は言いだし、結局家のそばまで送ってもらった。自転車を降り、彼にお礼とさよならの挨拶、それからあとで電話をするとだけ言って、私は背を向けた。後ろで自転車を出す音がする。 数歩歩いた私は、軽く後ろを振り向いて彼の後姿を眺めていた。私は彼が見えなくなったところで、再び家を目指して歩いた。 家に着いたのは五時過ぎだった。夏なのでまだ外は明るく、五時なんて印象はなかった。私は部屋に持って行っていたトートバッグを置いて、電話の前に立った。そしてプッシュホンのボタンを押し、美由ちゃんに電話をかけた。 「もしもし、杉並さんのお宅でしょうか?」 「あっ、美倉さん? 美由でしょ? ちょっと待っててね」 ちなみに、美由ちゃんのお母さんとは顔見知りだ。 「もしもし知美?」 「うん。今回は結果発表をと思って」 「いや、聞かなくても分かるよ。長年の付き合いだからね」 「そう? まあ察しの通りOKだったんだけど。でも少し引っかかることがあって」 「引っかかることって?」 「いや……、なんだか義直君が心配だとか言ったような気がして」 「心配か。ははは、義直君なら言いそうだよ」 「何がおかしいの?」 私は少しむすっとして聞いた。もちろん、顔など見えるわけもない。 「えっ、いや別にぃ〜。まあ、少なくともあの今の能天気でお気楽な創英君はそんなこと言わないだろうね」 ああ、ひどい言われようをしてるよ。 「とにかく、それは彼が優しいってことだよ」 彼が優しいから、心配……? なんだかあと少しのところまで来ていそうなのに分からない。 「ねぇ、心配ってどういうこと?」 「つまりね、義直君が『姫は俺が護らないと』って、思ったっていうこと」 美由ちゃんが、口調を真似てそう言った。 「べっ、別に私はお姫さまとかそういうのじゃないからっ」 『白馬に乗った王子様』ならぬ、『自転車に乗った義直様』……って。 「まあそう言わずに。せっかく義直君が護ってあげようって言うんだから、そこは甘えておくべきだよ」 「で、でもっ。別に私はそんなに華奢なわけでもないし、まさか自分がお姫様だなんて言えたようなものじゃないから!」 「そういう知美が、義直君がすれば『護ってあげたいお姫様』なんだって」 彼女はそう言うが、私は『義直君にとってのお姫様』だなんて微塵も思えなかった。 「そういや、中学校のときって義直君と目が合うたびに逸らしてなかった?」 「えっ、そうだったけど……。それがどうかしたの?」 「それも理由だと思うんだけどな」 目を逸らしたことが? だって、あれは恥ずかしかったからで……。別にそれ以上の大した理由もないし。何故それが護ってあげたい理由なのか、さっぱり分からない。 「なんで?」 「かわいかったから……じゃない?」 かわいい? 「誰が?」 「誰がって、知美以外に誰かいる?」 「……」 「そういうことだよ。だから護ってあげたいんだって」 「で、でもっ……」 「別にかわいいことは悪いことじゃないでしょ? 私が人にかわいいなんて言うのも変だけどね。まあ義直君は言わないだろうから、代わりに言っとくよ」 「……」 私は異様な感覚の中で、少し呆れていた。 「まあ、彼なりの優しさだと思うし、頑張ってよ。応援してるからさ」 「う、うん……」 「じゃ、また何かあったら言って。力になるから」 そう言って電話は切れた。お姫様が可愛いのは分かるが、私をどうすればそういう存在になるのか不思議でならなかった。 よく考えれば、“あとで電話して”ではなくて、“あとで電話するから”と言って別れた。つまり感情の起爆スイッチを押すのは私自身だ。今日出掛ける前にあんな電話の出方をしたのに、今度は自分から電話を掛けるわけだ。しかし有言実行、言ってしまったことはちゃんとしなければならないわけだ。 私は美由ちゃんとの電話を終えたあと一度部屋へ戻り、あの紙を持ってきた。常時、机の引出しの中に入っている、その紙を。私は紙に書かれた十桁の番号を一つ一つ何かの思いを込めながら慎重に打った。電話のコール音が鳴る。耳もとの受音機からただひたすらそれが繰り返された。 何度鳴っただろう。そろそろ諦めようかと思ったとき、受話器を取る音がした。 「もしもし、須木流ですが」 「義直君……?」 「ああ、知美さん? ごめん、少し取り込んでて出るの遅くなって」 「えっ、じゃあ後で掛け直したほうがいいの?」 「別に構わないよ。テレビ見ながら少しはしゃいでただけだから」 「はしゃいでたって?」 「いや、ナイター見てて……」 野球は、私には縁がないからよく分からないけど。 「へぇ」 「それで家族で盛りあがってたから」 電話に気付かなかったと。 「そう……」 「ごめん……」 「いや、いいよ。それより、一つ訊きたいことがあるんだけど」 何より、直接本人に聞く方がより確証を得られる。 「えっ、俺でよければ何でも言ってよ」 「“心配”ってどういうこと?」 「ああ、まだ気にしてたのか? 別に大した深い意味もないって」 「じゃあどういう意味?」 「どういう意味って訊かれても……」 彼は少し思案して、こう言った。 「なんて言えばいいんだろうな、一週間前に神社で会ってからどうするものかとずっと考えてて。その時ふと、もし俺がふったとしたらどうなるんだろうって考えたら、なんだか段々心配になって」 美由ちゃんが言ったのとは少し違う“心配”。でも、“段々心配に”って何。 「別にふられたくらいで屈するほど、か弱くなんてないからね」 「まあそう怒らないでよ。こうしてOKしたからには、きちんと責任持って護るから」 責任って、そういうものなんだろうかと、私は少し呆れていた。 「『姫は俺が護る』って言うだろ?」 彼は、美由ちゃんが言ったのと同じことを言う。 まだ何処かで繋がっているんだってことが、なんだかつまらないなって。 「あれ、どうかしたか?」 「別に。なんともないけど」 単に美由ちゃんに少し嫉妬しているだけだ。 「そ、そうか?」 そんなことは、義直君は知る由もないけども。 「まあともかくな、心配っていうのはそういうことで……」 「そう……」 悔しいけど、大方美由ちゃんが言ったことと同じか。 「それより、明日暇?」 「暇といえば暇だけど……。どうして?」 「いや、あの二人に後で電話して、明日会おうかなと思ってるんだけど。どう?」 「会ってどうするの?」 「どうするって、まだ二人に礼も言ってないから。どうせなら会って言おうかと思って」 「そういうことなら行くよ。私も心配だから」 「心配って、何が?」 「美由ちゃんと会うんでしょ、だから……」 「何言ってんだか……。俺がそんなことするわけないだろ。それに創英だっているから」 ああそうか、創英君にもお礼を言わなければならないんだ。一週間と一日前、あれから一言も交わしてないけど。 |