その46 理屈で持っては語れず ─ 美由

海岸道路。そこは潮風の吹く眩いばかりの海が広がり、広大な海と空に己の悩みのちっぽけさに気付くところ。……かといって、悩みなんて早々簡単になくなるものではない。なくなるわけじゃなく、さして気にしなくなるだけともいうべきだろうか。いや、単なる姑息に過ぎないかもしれない。影響だけで、綺麗さっぱりなくなるなんてことがあるのだろうか。やはり、時間と原因を解消する努力が必要だと思う。
かくして、悩みなんてものは簡単には消えてくれないものだ。もちろん私にも悩みはあって。何やら最近、創英君が悩んでいるようなのだ。その趣旨は分からない。私の悩みというのは、彼が悩んでいることだ。単に誕生日のプレゼントを何にしようかとか、ある程度予想がつきそうな悩みならいい。でも彼は何も言ってはくれない。私の分からぬ悩みで悩んでいるみたいなのだ。それがなんとも気掛かりでならない。打ち明けられないような、私に秘密にしておく必要があるような悩みでなければいいけど。
午前八時四十五分に、私は自転車で家を出た。
それから九時前に創英君と合流し、九時十分くらいに海岸へ出た。
それからしばらく海岸道路を走っていた。潮風が気持ちいいのも然ることながら、そうして創英君と一緒にいれることの方がよかった。
そうして、私たちはあの場所に着いた。“あの場所”というのは、もちろん加恵や信彦と会った場所だ。夏休みも始まって間もない頃、私が半ば無理矢理誘ってサイクリングに来た。昔の創英君はあまりデートとかに誘ってはくれなかったので、そうやって誘う他なかった。そしてそこで、同じように信彦を誘った加恵に会った。それは偶然だったのだろう。そんな偶然のあった場所だ。私はそれに期待を寄せていた。願いは必ずしもかなうとは限らないということは知っていたのに、それは必然だと思っていた。
「ここが、あの加恵や信彦に会ったところ」
私は自転車のスピードを緩めながらそう言った。
「へぇ……」
創英君は、まるで昔住んでいたところを紹介されたような反応をした。
「あれはほんと偶然だったんだよ?」
私は自転車を止め、スタンドを立てながら話を続ける。
「この海岸へサイクリングに来て、ここで休憩しようって思ったら見たことのあるような後姿を見つけて」
「それが加恵さんと信彦君だったってこと?」
「うん。それからしばらく話してて、あとは一緒に走ってたんだけど」
そう言って、あのベンチへ歩いていく。創英君もその後ろに続く。
「一列で?」
「いや、並んでたと思うけど?」
「どういう風に?」
「どうって訊かれても……。たしか加恵と信彦が前にいて、後ろに私たちが続いていたと思うけど。それがどうかしたの?」
「えっ、ちょっと気になって」
「ふ〜ん」
「別に、気にするようなことじゃないから」
「そう」
私はベンチに腰を下ろして、目の前に広がる大海を眺めた。しかし並び方なんて訊いてどうするんだろう。それが一体何のためになるんだか。
「ここにこうして二人が座っててね。そこへ私たちが来たってわけ。まあ、会ったからどうってことでもないけど」
「それで?」
「加恵は信彦が行きたいって行ったから来たって言ってたけど、実際は加恵の方が誘ったみたいだったよ。信彦が言おうとしてたのを止めてたし……」
「へぇ」
「ああ、そうだ。ごめんね、この前ここに来たときは、実は私の方から創英君を誘ってきたんだよ」
駄目だな。創英君の入院中に、ここのことを話したとき、創英君が誘ったって言ってたし。それこそ知美が言ってたように刷り込みになっていた。なんていうか、あれは照れ隠しっていうか……。実際ここへ来たときも加恵と同じように隠すようなことしてたしな。
どのみち、二人ともそんなことくらい分かっているだろうけど。
「そうなの? 僕はすっかり僕が誘ったものだと思ってたけど」
まあ、私がそう言ったのだから仕方ない。
「いや、あれはちょっとね……」
「……」
「だって、昔の創英君ってデートなんて滅多に誘ってくれなくて……」
「でも付き合ってたんでしょ?」
「うん。それはそうだけど。なんていうのかな。クールだったというより、シャイな感じ?私も人のこと言えないけど」
「……美由さんってシャイなの?」
「えっ、いやそういうわけじゃなくてっ。私も昔は自分からデートなんて誘うようなことはできなかったって言うだけ」
「ふ〜ん」
「何?」
「別に……」
「ともかく、私は創英君が全然誘ってくれないから仕方なく無理に誘って……」
「そのときは美由さんもシャイじゃなかったってわけか」
創英君はまだそんなことを言ってる。
「で、ここまで来たってわけ」
「つまり、美由さんが昔の僕をリードして来たってことでしょ?」
「もう、そういうことでいいよ」
私は投げやりに言う。でも、間違えても、自分から私のうちへ来たいなんて言い出すようなことはなかったから。
「まあまだ夏休みに入って間もなかったから、二人とは夏休みどんなことしようだとかそんな話をしてたと思うよ」
ダブルデートとか、山行こうとか、海行こうとか。秘密裏にスケジュールを組んで驚かせてやろうとか。みんな予定のままで終わってしまったけど。
「それも意味がなかったのか……」
「別に落胆しなくても。私はこれでもよかったような気もするし」
「でも本当は戻って欲しいんじゃないの?」
「何が?」
訊くまでもなくあれしかないけど、そうだと認めたくない。
「記憶だよ」
「ああ。でもここに来ても何も思い出さないんでしょ?」
「それはそうだけど」
「ならもういいよ。このままだったらそれでもいいし、途中で思い出したらそれでもいいし」
私はそう言って立ちあがり、自転車へと戻ろうとした。
「本当に?」
そう言われて、振り返る。
「うん。別に夏休みが終わるからって悔いなんか残らないよ」
私は自然と、真にそれが現のように、力をこめて言っていた。
「それより、そろそろ帰ろうよ」
私はまた、自転車のほうへ向き直る。
「建て前なんていらないから、ちゃんと本当のこと言ってよ」
背後で創英君が叫んでいる。私は足を止めはしたが、振り返る気にはなれなかった。本音を言ってしまえば、元に戻る方がいいに決まってる。けど、でも……。
「僕は……、本音を言えばここに来ることは気乗りしなかったし、記憶が戻って欲しいとは思ってない」
やっぱり、無理してたのか。
「でも。美由さんにはちゃんと応えたいって思ったから」
「別に何も無理してここに来てくれなくてもよかったのに」
背を向けたまま、ぶっきらぼうに言った。
「……」
「……」
「とりあえず、ここへ戻ってきてよ」
「戻ってどうするの?」
振り向きながらそう問うと、創英君は海を見ていた。まるで、海でも見ようと言いた気に。

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