その44 返事 ─ 知美

あれから一週間が経った。義直君からは未だ連絡はない。別に私から彼に電話をしてもいいのだけども、折角電話番号を教えてもらったというのに思い切ることができず、未だに一度も掛けられていなかった。だからあれから彼と会ってもいないし、声も聞いていない。ただその番号を眺めつつ、掛けようかどうしようかと悩む日々が続いていた。
心の整理がしたいだけ。彼はそんなことを言っていた。
義直君なら大丈夫。美由ちゃんはそう言っていたけれど。
八月二十七日、土曜日。
この日の午前九時前に一本の電話が入った。とはいえ、相手は義直君ではなくて美由ちゃんだった。
「あれから一週間経ったけどどう?」
「どうって言われても、全然連絡してないし……」
「じゃあ音沙汰なし?」
「うん……。私も電話番号は教えてもらったんだけど、なんだか掛ける勇気が起きなくて」
「よくあることだよ。私だってそうだったし」
「創英君と?」
「うん。まあ最初が最初だったから、無理もないと思うけどね」
「たしか加恵っていう人に結んでもらったんでしょ?」
「そうだよ。二人とも片想いだったんだけど、気を遣って両想いにしてもらって」
「じゃあ義直君は私をどう想ってるんだろう……」
「……」
「どうかしたの?」
「えっ、いや別に何もないけど……」
美由ちゃんはそう言っていたけど、なんだか違和感を得ずにはいられなかった。
午前十時半頃。
お待ちかねで、心底からドキドキの結果発表……っていうのだろうか。まあそんな感じの電話がかかってきた。
「もしもし、美倉さんのお宅でしょうか?」
「は、はいっ……」
気分はハイ。というより、完全に騰がってしまっている。
「……知美さん?」
「えっ、う、うん……」
なんだかとんでもなく恥ずかしい思いをしたような気がする。美由ちゃんのときも同じような出方だったし。もう、なんだか自棄になってしまいそう。
「どうかした?」
「い、いやっ、なんでもないけど」
「そうか? ならいいけど。とりあえず電話で言うのもなんだし直接話した方がいいかなと思って。今から出られる?」
「えっ、今から?」
今すぐなんてあまりにも突拍子で……。
「で、できれば午後がいいんだけど……」
少し時間を空けて、もう少し落ちついてから。
「午後? 別にいいよ。なら二時に……ええっと、何処に住んでたっけ?」
「第二小の近くだけど」
「なら午後にまたそこで」
「う、うん」
「それじゃ」
結局私からは電話は掛けられず終い、か。
午後一時五十分。
私は第二小の校門に軽くもたれかかって、彼が来るのを待っていた。運動場からはユニホーム姿の小学生が野球ボールを投げる音が響いてくる。校庭からは夏の終わりに近付いたためか、日暮(ひぐらし)が鳴いていた。とはいえまだ残暑で蒸し暑い日々が続いていたため、私は軽装だった。目の前の県道を自動車が忙しなさそうに行き来するのを見ながら、義直君が来るのを待っていた。
腕にはめた時計がちょうど二時を指した頃、彼は自転車に乗ってやってきた。
「よっ」
「う、うん」
「ここで話すのもなんだし移動しようかと思うんだけど、何処かいい場所知ってるか?」
彼は自転車に乗りながらそう言った。
「いい場所って言われても」
「喫茶店とか、公園とかそういうところ」
「そう言われても、この辺にはないし……」
「知美さんのうちは?」
「私の家? 今日は土曜日だし、みんないるから……」
第一、私の部屋には親と兄弟以外の男の人を入れたことないしな……。
「じゃあ俺のうちでもいい? 今は誰もいないし」
義直君の家?
「えっ、でも義直君ってここまでその自転車で来たんだよね?」
「別にここに乗っていけばいいだろ?」
そう言って彼は荷台に手を乗せる。荷台ってことは、つまり義直君の後ろに座るってこと? それなら腰に手を回すか、荷台に手を掛けるかする必要があるってこと? “腰に──”って、いや、なんだか、別に、まだ付き合ってるってわけじゃないんだし、それは……。
「……嫌か?」
「え、いやそういうのじゃなくて」
「じゃあ何だよ?」
「……」
「……。とりあえず早く乗ってよ。時間も勿体ないし」
「う、うん」
そう言われて、私はぎこちなく荷台に乗る。目の前には義直君の背中。いままで想像もつかなかった距離に、彼はいる。どれだけ手を伸ばしても、背伸びしても届かなかったのに、今は目の前にいる。遠い何処かの、見たこともないような世界じゃなくて、目の前に。軽く手を伸ばせば、簡単に届くところ。
「なぁ、乗っただけじゃ意味ないから、早く掴まってくれない?」
「えっ、うん。ごめん……」
私は恐る恐る義直君の腰に手を回した。なんだか妙に暖かい温もりが、服を通して伝わってくる。
「じゃ、行くよ」
そう言って自転車はゆっくりと前へ進んだ。
県道沿いにしばらく走り、川を幾つか越えたところに彼の家はあった。家は木造の二階建て。庭には大きな木が何本か植わっていて、池があり、その中では数匹の鯉が泳いでいた。入り口から玄関までは飛石があって、その周りには砂利が敷き詰めてある。庭にも同じように飛石があって、その周囲にも砂利がある。池には橋がかかり、木々は綺麗に整えられていて、日本庭園のようだった。彼はさっきまで私と彼が乗っていた自転車を玄関の横へ置いた。それから私は、彼に導かれるままについて行った。
彼の部屋は広くて、窓からはあの庭園が一望できた。こうして上から見ると庭はより一層引き立って見え、青々とした葉が太陽の光を反射しているのが綺麗だった。私は彼に薦められた椅子に座って、彼を待った。しばらくすると、彼はお盆の上にジュースを乗せて戻ってきた。彼はコップを目の前にある机の上に置き、お盆を横へ置き、向かいの椅子に座った。
「で、この間の返事……なんだけど」
「うん……」
外で蝉の鳴く声がするが、私の中では部屋は静まり返っていた。
「いいよ。でも……」
でも……?
「中学校卒業して以来、この間美由さんや創英によってああして神社で会うまで一回も会っていないわけだろ?」
「うん」
「それに中学校で同じ班になったからといって、大した付き合いもしてなかったから、俺にとって知美さんはクラスメイトだったっていうだけなんだ。だからあの頃のことはあんまり覚えてないと思うんだけど。それでもよかったら」
「いいよ、別にそんなこと気にしてもらわなくても」
「ごめん……」
「いやそれよりも謝るのは私のほうだよ。あれからもう三年も経っているのに今更こんなこと言って……。それに義直君はあの頃美由ちゃんと付き合ってたから、私のこと、好きだってわけじゃないんでしょ? それなのに私、無理言っちゃって……」
無理だって分かってても、自分に対してきちんとけりを付けてすっきりしたいってそう思ったから、二人の協力を得て告白した。でも結果的にそれは義直君に対して無理をさせてしまって……。好きだなんて、私は何を言ってたんだろう。
「別にいいよ。俺が付き合うって決めたんだし、今更どうこう言ったって何かあるわけじゃないんだから。それより俺に告白するって決めて、告白したんだったら、きちんとそれに自信を持てよ? いまさらどうこう言わないでさ」
「うん……」
「俺だってOKしたけど、知美さんの言うとおり好きだなんて言い切れないんだ。でもなんだか心配で」
彼は語尾だけ小さくなって言った。
「心配って何が?」
「えっ、いや、別に、なんでもないって。気にしなくていいから」
告白して、上手くいったけども、やっぱりなんだかすっきりしなかった。

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