その42 Only Two Persons' World ─ 信彦

夏休みも残すところ一週間を切った。でも僕らは夏休みが終わろうと、互いの交流において特に言うほどの大きな支障はない。大学は違えど乗り降りする駅自体は一緒で、互いにさほど遠くもないから時間さえ合わせれば一緒に行き来できる。ただ終わってしまえば自由な時間が少なくなるというのはあるだろう。だから“今しかできないこと”も沢山あるというわけだ。時間があるからこそできること。ならば、やらねば損だ。
誕生日といえば、プレゼントはつきものだ。それは当然の如く颯爽と現れ、あげる人に対して様々な悩みをもたらしてゆく。
例えば、
一、何をあげれば良いか。
──相手の好きなもの? 自分の好きなもの?
二、どれくらいの値段にすれば良いか。
──懐に余裕があれば、もちろん奮発して?
三、どのような形でそれを包み込むか。
──何色の包装? リボンもつける?
四、いつあげれば良いか。
──朝時? 昼時? 夕時? 就寝前?
五、どうやって渡せば良いか。
──率直に手渡し? それとも、手の込んだことをする?
六、どんな言葉を添えるか。
──意志の再確認? それとも“おめでとう”に尽きる?
とか。僕もそういう悩みに散々悩まされていた。
まず[一、何をあげれば良いか]
いままで十八回、そのうち何度あげたのかはあまり覚えていない。でも少なくとも十回以上はあげているだろう。つまり、十個のものをあげてきたということ。過去とあげるものが被るのは、あまり好ましくはない。だから今までとは違うものを探すべきだ。そういえばいままでアクセサリの系統はプレゼントとしてあげた記憶がない。そんなことが過(よ)ぎって、僕はアクセサリを買うことになった。
次に[二、どれくらいの値段にすれば良いか]
今回は、奮発したつもりでいる。財布の中身はそれほど多いわけではなかったのだけども。元々アクセサリ自体が高いものなので、致し方ないといえば致し方ない。
そして[三、どのような形でそれを包み込むか]
水色の水玉柄の包装紙に、映える赤いリボン。緑色のストライプ柄の包装紙に、同系色の黄緑色のリボン。この二択で迷っていた。包装自体は僕がやったわけではなくて、お店の人に頼んだものだけども、まず見栄えから大切だろう。一目見て、印象を受ける包装。これこそ、プレゼントの顔ではないだろうか。
それから[四、いつあげれば良いか]
予め、予定を組んでこうしてここへ誘って、あの場所で渡そうと決めていた。でも……、予定は未定であって決定でなかった。思わぬ誘いで見事に予定は狂い、仕方なく夜になってしまった。
さらに[五、どうやって渡せば良いか]
予定が崩れてしまったため、手の込んだこともやりようがなくなった。本当は、夕日のあたる丘の上で。それが手の込んだことのはずだったんだけど。
最後に[六、どんな言葉を添えるか]
そういえば、クラッカーを開けた時以外“おめでとう”と言った覚えがない。渡すときは、大したことを言っていなかったような気がするし。とくにこれは問題でもなかったのかもしれない。
八月二十五日木曜日。
二人で近くの公園を放浪としていた。とくに行く宛もなく、ただ一緒にいたいがために。時刻は三時を回った頃。昼下がりの茹だるような暑さの中、部屋の中で涼むほうが明らかに居心地がいいのに、僕らはこうしていた。手には団扇をもって、頭の上には軽く帽子が乗っている。まるで絵描きのようなお洒落な帽子を乗せているわけでもなかったけれども。二間で交わされる会話は他愛もないもの。とくにまとまった話をしているというわけでもなく、まるで連想ゲームのように話題はころころと変わる。テレビのニュースがどうだとか、いま流行りの曲がどうだとか、昨日今日は何してたかだとか。そんな取り止めのないようなことを、飽きもせず、ずっと。途中、木陰のベンチで一休みをした。
僅かながら吹く風に、木々はさわさわと音を立て、それに合わせて僕らを包む陰も揺れていた。木の葉の隙間から太陽が見え隠れして眩しい。日光によって煌びやかに光る黒髪が軽く風になびく。ぎこちなく距離を縮めてみると、それが頬にあたってくすぐったい。いつの間にか軽々と抜かれてしまった背丈を微妙に意識しながら、僕は会話を弾ませていた。
僕と加恵の家族は、いろいろなところへ行った。
例えば海水浴、温泉、観光、山登り、森林浴、ドライブetc
まだ恋や勉強という題目も知らない無垢な子ども時代に、二人で隣り合って座り、はしゃぎながら行った記憶がある。その頃は、誰それなく隔たりを持って接するようなこともなかった。些細なことで喧嘩をして、今となっては理解もできないような理由を立てていた。大した自粛もできずに、ただ自己主張と自己煩悩を最優先していた。そんな頃も、それ以前も、それからも、僕らはこうして。尤も、最近は二人だけで行くことが多いけれども。あの頃は、大して意識もせずに、ただ一人の友達として僕は過ごしていた。好きだとか、嫌いだとか、そういう概念は人よりも寧ろ物や食べ物が対象だった。その頃の僕にとって、加恵は友達であり、家族であり、姉弟みたいな感じだった。いつからだろう、それが好きだという想いに変わっていったのは。
僕らは公園から出たあと、あの神社へと再び向かった。境内のベンチへ腰を下ろして、しばらく雲が空を横切る姿を眺めていた。風はのんびりと吹く。雲はのんびりと行く。風に煽られ、次第に風下へと流されて行く。ゆっくりと、しかし確実に。入道雲が空に迫り出し、綿雲が空に舞い、うろこ雲が群れをなして泳いで行く。空はまるで海のようで、白と青のコントラストが海の波と海の色を連想される。空と海は地平線の彼方で繋がっているんじゃないだろうか。そう思わせるかのようだった。
小学校時代の僕らを顧みる。その時分は、別に集団で行う決まりもなかったし風習もなかったので、僕らは自由に帰っていた。各人が赴くままに、好きな時間に好きなように。もちろん、あまりにも遅いと先生が催促するけれど。放課後はしばらくサッカーなんかをしている人もいたし、教室で雑談をする人もいた。僕らは二人で階段にでも座りながら、分かるような分からないような会話をしていた気がする。内容なんてちっとも覚えていない。ただそこにそうしていたという事実だけ。その光景は昨日のように脳裏によみがえる。入学したての頃は十分に僕の背の方が高くて、エスコートするかのようだった。でもそれは小三、四年くらいのときには並び、さらに五、六年の頃にはすっかり抜かれてしまった。それから僕らはずっと加恵の方が高い状態だ。今ではまるで僕がエスコートされているかのような印象を受けるような感じになっている。軽く見上げて話す分には大したことはない──さすがにこれも慣れてしまった──のだけども。加恵自身は、その高い背丈をコンプレックスだとか自分の長所だとも思っていないらしい。ただあるがままを受け入れているだけのよう。だからそれがどうしたというわけでもないらしいのだ。なんだかそれが、少し羨ましくも感じ、少し妬ましくも感じるのは気のせいだろうか。

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