その39 理由の模索 ─ 義直

探す。詮索する。そのわけを。
到底、見つかりもしないのに。
翌日。
俺は一人、電車に揺られながら昨日のことについて考えていた。窓の外には幾らかの夕焼けに照らされた民家がぼんやりと映っていた。車内には、ガタンゴトンという単調な音が響いている。
俺からすれば、知美さんは単なる昔のクラスメイトであって、それ以上の何人でもない。故に、俺は彼女に関して殆ど何も知らない。知っていることといえば、中学校のときに眼鏡を掛けていたということぐらいだろうか。所詮は、それくらいの関係でしかなかったということだろう。付き合うのなら、まずお互いのことをほぼ一から知っていかなければならないわけだ。
ところで、俺は今誰とも付き合っていない。つまりフリー。だから一定の人と付き合うことに関して、とくに障害はない。ただ普通に承諾しさえすればいい。でも俺は彼女のことを何も知らないし、彼女に対して特別な感情を抱いているわけでもない。単なる昔のクラスメイト。ただ、それだけのこと。しかしながら、彼女は俺のことが好きだという。それも中学生の頃から。かといって俺自身の決断は、単なる同情心の上に成り立ててよいものではない。たとえ彼女が中学校という五年以上前から俺のことを好きであったとしても、“そんなに長い間……”などと思うと後悔するだろう。きちんと相手の気持ちを理解して、その上で付き合っていくことができると判断して、後悔しないように判断すべきだ。後悔あとに立たずというのだから、付き合う前にきちんと考えておかなければならない。
俺自身は今付き合うことに対して何かしらの抵抗を感じることはないから、別に付き合うのはいいと思っている。でも好きでもない相手と付き合うということはどうなのだろうと考える。
それはその相手にとって幸せだといえるのだろうか。
それは俺自身にとっても幸せだといえるのだろうか。
それはその相手にとって楽しいといえるのだろうか。
それは俺自身にとっても楽しいといえるのだろうか。
恋愛感情のない付き合いは、何か意味を持つのだろうか。男として好きでもない相手と付き合ってそのままで終わってしまうのは、女たらし以外の何物でもない。きちんとけりをつけなければならないのは、付き合うときも同じだ。
家に着いてから、俺は一枚の紙を手にして電話の前へ向かった。紙には十桁の数字が丁寧に書かれている。果たして、この相手に電話することが正しいのかは分からない。それでも、共通の知人として頼れるのは彼女しかいなかった。
受話器を手にした俺は、電話へその十桁の番号を入れていった。入れ終わると、電話からコール音が鳴り出す。しばらくして受話器をとる音がし、声がした。
「もしもし、杉並ですが」
「美由さん? 俺だけど」
「義直君? どうしたの、こんな時間に」
「実は折り入って相談があって」
「相談?」
「うん。知美さんのことなんだけど」
「知美のこと? まさか突然告白されたからどうこうとか言ったりしないよね?」
図星だ。
「えっ、そ、そんな感じ……」
「そういう相談はあんまり乗り気じゃないんだけどな……。それで突然告白されたからどうって?」
「いや、俺は今付き合ってないから彼女と付き合うのは支障ないんだけど、好きでもないのに付き合うっていうのはどうなのかなと思って……」
「ふ〜ん……。じゃあ義直君は知美のことを何とも想ってないんでしょ?」
「う、うん……」
「ならわざわざOKしなくてもいいじゃない」
「でも……」
俺はその後に続く言葉が見つからなかった。
「“でも”のって何? 何かそうすることに躊躇いでもあるの?」
「……」
「私は義直君が知美と付き合おうが付き合うまいがどっちでもいいんだけど……。昨日、彼女に『一週間くらい』って言ったんでしょ? 期待だけさせておいて軽くふるなんて、私が許さないから。受けないなら受けないなりに、きちんとけりを付けておくべきだからね」
「うん……」
「はあ……。結局誤算か。上手くいくと思って知美にあんなこと言っちゃったのに、どうしようかな……」
そのセリフは、俺には遠くに聞こえていた。
「……」
「とりあえず、一週間あるんでしょ? その間にゆっくりしっかり考えてよ」
「うん……」
「私も何かと忙しくて、そんなに時間がないから。頼られてもそれに応えられるか分からないから、そのつもりでいてね」
「うん……」
「それじゃ、私は用事があるから切るね」
そう言って電話は切れた。
電話が終わったあと、既に夕食を済ましていた俺は自室へと入り、ベッドの上にうつ伏せになった。昨日のあれからずっと、こんなことばかり考えているような気がする。それなのに結局何の解決もできていないような気がする。元々人に聞くようなことじゃないのはわかっているけれど。
例えば、付き合っていて自然に好きになっていけるのなら、たとえ付き合うときに好きでなくともやっていける。でもそれがそうはならなかったら、ものすごく申し訳ないことをしたなという気分になる。俺には付き合ったら好きになれるという自信も、好きになれなかったらそのときにどうすればいいのかも分からない。だから付き合う前にきちんと想いを整理しておかないと、知美さんを傷つけかねない。こうなったらどうするかでなくて、こうならないように努めるべきだ。
それから風呂に入った。風呂の空気はなんだか冷めているようで、こんな夏だというのに、汗は沢山出てくるのに、あまり暑いとは感じなかった。五分ほど湯船に浸かって、その間もずっと考えていた。
好きでない人と付き合うってどんな感じなんだろう。隣にいるのは自分の彼女。俺は彼女に対し、精一杯の作り笑いを見せる。彼女はそれに対し、円満の笑みを投げかける。……ああ、それではなんとつまらない。
風呂をあがって、再び自室。ベッドの上。今度は仰向けになり、また一枚の紙を眺める。そこには十桁の番号が随分雑に書かれている。
……はぁ。この電話番号の先に電話をかけるのは気が引ける。何と言っても、相手は創英だ。俺としては記憶をなくしてからの創英の方が以前に比べて数段怖い。ああ、怒ってしまえば何が起こるだろう。ともかく、今電話をかける相手ではない。エアコンの風に煽られて、紙がひらひらとはためいた。俺はその紙を机の引出しの奥の方へしまった。
……はぁ。
布団を被って、ベッドの中。部屋には、仄かに橙色の光が掛かっている。カーテンは閉めきっていて、外の様子は確認できない。傍にある目覚まし時計は、十一時を指している。上に乗っている布団はなんだかずっしりと重く感じる。部屋はうっすらと認識できるくらいだった。俺は横向けになって、さっきと同じようなことを考えていた。
一:一体、どうして知美さんは俺が好きになったのだろうか。
確かにあの頃は、副会長とか班長とかいろいろやっていた。でもあれはどう見ても、美由さんの気を惹くためだ。事実、周囲の女子は話し掛けてきたかと思うと俺にそのことばかり尋ねていたし。それくらいのことは感付いていたと思う。だから俺が美由さんを好きなことくらいは分かっていただろう。ならば、何故……?
二:一体、どうしてこんなに長い間も彼女は俺が好きでいられたのだろうか。
彼女とは御無沙汰で、中学校の離任式以来会っていない。最後に会話を交わしたのはいつだろう。そんなことは覚えていない、それほど過去の話。中学校を卒業して三年とちょっと。確かに俺も美由さんに対しては未だにすっきりしないけれども……。それと同じような感覚なのだろうか。何となく、無理と分かっても諦めきれない。言ってしまえば単純に諦めが悪いだけなんだけど。
三:一体、どうして告白するのが今なんだろうか。
中学校の時分、美由さんと知美さんは仲がよかった。それなら、いつでも俺と会う機会はあったはずだ。美由さんには申し訳ないけれど、高校入った直後でもできないことはなかっただろう。こんな夏休みの真只中。何故、今なのか……。きりが良い訳でもないのに。俺はひたすら彼女のことを考えてみた。
中学二年生。
おそらく始めて同じクラスになったのはこの時のはずだ。それ以上は覚えていない。俺はその夏に美由さんに告白したのだから、俺と美由さんは同じ班だっただろう。知美さんと一緒に掃除をしていたような光景もあるので、何処かで彼女とは同じ班になっているはずだ。
中学三年生。
どうだろう。彼女とこの時同じクラスだったかどうかは覚えていない。卒業アルバムを見ればわかることだから、また起きてから見ておけばいいだろう。ベッドに入ってしまっているのに、わざわざそこから出て見に行くほどでもない。彼女の映っている光景。一緒に掃除をしている姿、おそらく廊下。美由さんもいたような気がする。ならば俺と美由さん、知美さんは同じ班になったことがあるということか……。班として、話し合いをしている最中、教室で。俺が意見を聞こうと周囲を見回しているとき、目が合って彼女が俯いてしまった光景。あの時から既にそうであったわけか。
本当に、俺は鈍い男だと改めてそう思……。

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