その33 古き良き日の私たちに ─ 美由

須木流義直。
私はその名前を聞いたとき、変わった名前だなと思った。それは誰にしても同じだろう。須木流なんて苗字、人に言ったところで無難に理解してもらえるとは到底思えない。わざわざ一字一字、説明しないと分かってもらえそうにない。もちろん、今までにそんな苗字を聞いたことも目にしたこともなかった。それだけで、彼は特別な存在のように思えた。それからは、思うだけでなく実際にそういう存在になっていった。
八月二十日。
今日は加恵の誕生日だ。
朝方に電話を一本入れて、彼女におめでとうの一言とその他諸々の近況を話した。今頃は、信彦と祝っていることだろうと思う。彼女への電話の後、続けざまに知美へと電話を入れた。もちろん今日のことだ。先日、土曜日か日曜日かの確認が取れたので彼女と創英君に連絡をいれておいた。だから今日は確認だけ。
誕生日といえばこの間の私の誕生日、七月十二日なんかは創英君がうちに来た。恐らく、彼がうちに来るのはその時が三度目だったと思う。でも一度目は学校帰りで、しかもお母さんは会社に行っていたので誰にも会うことはなかった。二度目は休日で、家にはお母さんがいた。お父さんは病院の不定期な勤務によって、彼とは夜に少し顔を合わせたくらいだった。そのときは、両親には単なる友達だと説明しておいたけれど。だから私の家族に彼がまともに接するのはそのときが初めてだったと思う。
彼は最初、十日に買い物に行こうと言っていた。でも二人の予定が合わなくて、あえなく中止。仕方なく、彼は十二日の当日の夕食に参加することになった。ケーキをカットして、盛って、食べて……。毎年繰り返されるその行事は年に一度の特別な日であって、一度しかないからこそ大切な日だった。そんな日をああして好きな人と共有できることは嬉しいことだと思う。家族には、そろそろバレているだろうけれど。
午後二時過ぎ。彼女はうちへやってきた。今頃、創英君の家に義直君が行っている頃だろうと思う。私たちは、目的の場所を目指しながらそこがどんなところなのか、そんなことを話していた。
「ねぇ、その神社ってどんなところ?」
「えっと……社の前が小さい広場になっていて、その周りには木が沢山植えられていて。広場からは社の左右の方へ道が伸びていて、その先も小さな広場になっているんだ。それからその広場にはそれぞれベンチが一つずつ置いてあって。社の裏には綺麗な川が流れていて、メダカとかいるんだけど」
「へぇ……」
「蛍が多いのは、その裏にある川が綺麗だからだろうね」
夏──ちょうど今頃──に、川のせせらぎを聞きながら夕涼みだなんて、いいと思う。用が済んだら創英君とその辺をぶらぶらとして、また夜辺りに戻ってくるのもいいかもしれない。
目的地である神社に到着した私たちは、社から見て左側の東にある広場にいた。創英君と、この神社に来ることを約束した時間まであと二分。私たちはベンチに座って、彼らの到着を待った。
五分くらい経っただろうか。まだ創英君の姿は見えない。おかしいなと思っていると社の方から声がしたので、知美をベンチに残して一人で中央の広場へと行ってみた。でもそこに彼らはいなかった。まだ来ていないのかと、軽く辺りを見回すと西側の広場に人影を見つけた。もしやと思い、西側の広場へと歩を進める。すると、向こうも気付いたのか二人いたうちの一人がこちらへ駆けて来た。近付くにつれ、それが創英君であることが確認できた。
「あれっ、今来たところ?」
創英君が息を切らしながら、おかしなことを聞く。
「えっ、ずっと前から向こうの広場にいたけど……」
「なんだ、向こうにいたのか。僕らはここでずっと待ってたんだけど」
「私、東側だって言わなかった?」
「そうだっけ……」
「まあいいよ。それより義直君呼んで来てくれない? 私は知美呼んでくるから」
「うん」
そして私たちは各々がいた広場へと駆け戻った。
「ごめんね、義直君。理由が言えなかったって言うのは、こういうことだったから……」
「こういうことって? ……それより、この人は?」
義直君が知美の方を見て私に聞く。知美は真っ赤になって、下を向いたままだ。中学校のときは眼鏡も掛けていたし、分からないのも無理はない。
「知美……だけど」
「えっ、ホントに?」
「うん。あのときは眼鏡掛けていたけど。今はコンタクトだったよね?」
「えっ、う、うん」
「そうなんだ。久しぶり」
「うん……」
「それで、結局何の用だったんだ?」
「知美に聞いてよ。私たちはただの案内役だから。それより創英君。しばらく二人の邪魔にならないようにその辺りを歩かない?」
「いいよ」
そうして、私たちは神社に義直君と知美を取り残した。
「あの神社、夜には蛍がいっぱいいるんだって。だから今夜見に行かない?」
「えっ、今夜?」
「うん」
「用事はないけど……、また急だね。じゃあ夕飯食べ終わった後くらいなら」
「なら九時くらいに神社に集合ね」
「うん、分かった」
よって、今夜はロマンチックな雰囲気を満喫……できるのだろうか。何と言っても、今の創英君はムードだとかそういうものが似合いそうにないし。まあ、どうにかなるでしょ……。
義直君と付き合っていたときも、もちろん誕生日はあった。付き合ってから、もうすぐ一年になるという頃。私たちはすっかり町の風景に溶け込んでいて、一カップルとして決して浮くような存在であるとは感じなかった。もう義直君とこうしていることにすっかり慣れてしまっていて、そうであることが普通で一人きりでいるときが異常な感じがした。それほど彼といることは日常の大半を占めていて、私にとって必要不可欠な存在になっていたのだった。
そんな日常の中で、誕生日の日も同じように彼と町を歩いていた。何かしら目的があったというわけではない。ただ、お互いに一緒にいたいとそう思っただけ。私自身はこの日が誕生日だからと言って、彼に何かをねだるわけでもなかったし、彼に幾度と誕生日を訊かれたけれど私は教えようとは思わなかった。ただ彼にあまり負担をかけたくなかったからだけども、それにはどうやら気付いていなかったらしい。私は彼に何も物は望んでいなかったけれど、誕生日の日にこうして一緒にいたいと思った。そこで彼に少し無理を言って、この日の予定を空けてもらうようにしていた。その日、私たちはただ単に町を歩き、途中公園で休んで、駅前の広場で長く語り合った。
私たちが町をぐるりと回って神社に帰ってきたところ、そこにはまだ二人がいた。彼らは社の段に軽く腰を下ろして、何か話しているようだった。私たちはそれを邪魔しては悪いと思い、先に帰ると声をかけて前を通りすぎた。

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