その29 協力要請 ─ 創英

逢いたい。突然そんな衝動に駆られた。別に何か逢わなければならない理由なんかがあったわけではない。ただ、純粋に逢いたいとそう思った。何故だろう。僕にもその感情の理由が分からなかった。突然その場所に現れて、僕にそう働きかけた。僕はそのよく分からない感情に導かれ、美由さんに電話をした。この日、どうやら友達が来るらしい。僕は相変わらずそれを聞いても、なお逢いたいとそう想い続けていた。それで彼女に少し無理を言った。
それから僕はこの間加恵さんに案内された道を同じようにたどり、美由さんの家に着いた。彼女の部屋に入ってからしばらくして、知美さんが来た。僕は彼女に挨拶をしてから、しばらく漫画を読んでいた。時々何やら知美さんが怒っていたように聞こえたけど……。
「あの……創英さん」
突然呼ばれ僕はその声の主、知美さんの方を見た。
「えっと……その、初めてなのになんですが、一つお願いしていいですか?」
「お願い?」
勿論、僕と彼女は親しいわけではない。何を言おうと、今さっき会ったばかりだ。何をお願いされるようなことがあるというのだろうか。
「その……、創英さんの友達に義直君っているでしょ?」
「うん、いるけど……彼がどうかしたの?」
彼のことは君で呼ぶのだから、知美さんは彼とそれなりの付き合いがある人なのだろうと思う。
「彼を、案内してきてくれませんか?」
「案内……ってどこに連れていけばいいの?」
「えっ……」
知美さんが、言葉に詰まり、美由さんが見兼ねて言う。
「創英君の住む町の隣町の神社だよ。あとで場所教えるから。そこへ義直君を案内して欲しいの」
一体神社なんかに義直君を呼んで何をしようというのだろうか。それも初見の知美さんがわざわざ頼んでくるし。それなりに何か事情があることだろう。僕はそう思い、あえてその理由には首を突っ込まないことにした。
「別にいいけど……。いつの話?」
「いつ……って、いつがいい?」
と、美由さんは知美さんに問う。まだ決めてないのか……。
「えっと……美由ちゃん、義直君に連絡したときに次の土曜日か日曜日の空いている方、聞いてくれない?」
まあ土日は暇だけど……。
「うん、いいよ。そういうことだから、あとでどっちにするかは電話入れるよ」
「うん」
土曜日か日曜日に美由さんに教えられた神社へ彼を連れていけばいいということか。
「それより何だか喉が乾いちゃって。何か飲み物持ってくるから、ちょっと待ってて」
そう言って美由さんは部屋を出ていった。部屋には僕と知美さんの二人きり。だからどうだということもないけれど。
「……」
沈黙が辺りの空気を覆い尽くす。外では蝉の声がする。
「ごめんなさい。会うの初めてなのに変なお願いをしてしまって」
それからしばらくして、彼女は丁重にそう言った。
「えっ、別にいいよ。どうせ土日は暇だし」
「そうですか?」
「うん。要するに僕は義直君を連れて来ればいいだけでしょ? そんなこと、お安いご用だって」
「どうもすいません。ええっと、一応彼を連れてくる理由を説明しておいた方がいいですよね?」
「いや、別に干渉しようとは思わないから、言わなくてもいいけど」
「でも……一応言っておきます。なんだか連れて来ればいいだけだなんて役回りでは悪いですし、私も申し訳ないので」
「そう言うなら……」
「ええと、元々彼とは同じ中学校でした。私は二年生のときと三年生のときに彼と同じクラスだったんです。彼は二年生の最初のホームルームで班を決めるときにいきり立って班長に立候補してくれて……。他にも色々あったんですが、私はそんな彼に段々惹かれていったんです」
要するに知美さんは義直君のことが好きだったってことか。
「でも……、二学期のときには、彼は美由ちゃんと付き合っていたんです」
……義直君が美由さんと?
「えっ、美由さんって義直君と付き合ってたの?」
「あれ、もしかして知りませんでした?」
「いや……、全然」
そんなことは一言も聞いたことないけど……。
「そうですか……。じゃあ今のは忘れてください。私もあんまり勝手なことは言えないので……」
忘れろって言われても……。
「それから私はただそれを見ていることしかできなくて……。結局二人は卒業式の前くらいに別れたみたいなんですけど……」
彼女は話を続けた。彼女が言うには、義直君に会って告白するらしい。知美さんはただ美由さんの友達でしかないわけで、僕からすれば何の関係もない。でもここで会ったのも何かの縁だし、一応陰ながら応援していようと思う。
それよりも、美由さんが義直君と付き合っていたってどういうことだろう。美由さんは知美さんの友達で、知美さんは義直君のことが好きで、義直君は美由さんと付き合っていた。つまりは三角関係。それに美由さんも義直君も知美さんの気持ちなんて知らなかったらしい。ああ、これでは知美さんの立場なんてない。
義直君は僕の大学の友達らしい。美由さんは僕の彼女だそうだ。その二人が元々付き合ってただなんて、まるで知美さんの立場と僕の立場は三角関係という上では似ている。ただ、立たされている状況は違うけれども。
しかし、あの義直君が美由さんと付き合っていたっていうのは……。
それからしばらくして、美由さんが戻ってきた。
「家に何もなくて……。買いに行ってたら時間かかっちゃった……」
この美由さんが義直君と……か。
「わざわざありがとね」
「いや、私が飲みたかっただけだし、そのついでだから礼なんていいよ」
僕は美由さんが買ってきてくれた何の変哲もないペットボトルのジュースが微妙に酸っぱく感じた。
僕と美由さんは知美さんと別れたあと、僕の町の隣町の神社へと向かっていた。義直君のことは問うのも気が引けたので、しばらく黙っておくことにした。
「ごめんね、突然あんなお願いして」
「いや、別にいいって」
「そう? それならいいけど。それより今日は突然逢いたいだなんてどうしたの?」
「どうしたって訊かれても困るんだけど。何だか急に逢いたくなったって言うのかな。そんな感じがして……」
「急に?」
「うん。急に」
「そう。じゃあ別に記憶が戻ったとかそう言うわけじゃないんだ……」
期待されても、美由さんに関しては何も想い出さない……。
「うん……。こうして生活してて幾つか思い当たることはあるけど、どれも美由さんに関係ありそうなことはないし……」
「例えばどんなこと?」
「家庭の味っていうのかな。ああいうのを前にも食べたような気がしたり、病院のベッドじゃなかなか寝つけなかったのに、初めて入ったはずの自分の部屋のベッドですんなり寝られたり」
「確かに私とは何も関係ないことばかりだね」
「うん。一体どうしたら思い出すんだろう……」
「別に無理して思い出そうとしてくれなくてもいいよ? ゆっくりでも、何ならこのままでも構わないから」
この前にも、そんな台詞を聞いた気がする。でも、さっきの発言は明らかに僕に期待していたような内容で、とてもこのままでいいような感じではなかった。
「それって本当に美由さんの本音? 本当は思い出して欲しいんでしょ? 今のこんな僕より、以前の僕のほうがいいんでしょ?」
「……」
美由さんからの答えはなかった。彼女はただ地面を空ろに見ていた。
「ねぇ、記憶が戻らなければ、こんな僕では美由さんにとって意味ないんでしょ?」
僕がそう言った次の瞬間、美由さんの平手が僕の頬を掠めた。
「もっと自分に自信を持ってよ! たしかに私は創英君の言うとおり、記憶は戻って欲しいと想ってる。でもそんなに弱気になって欲しいなんて思ったことなんてないよ!」
「……ごめん」
僕は、なんだか一瞬にして極地に立たされた気分だった。

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