その26 見舞い ─ 信彦
ここにこうして、居るのが当然。そういう存在が、加恵だった。いない世界など、この世になかった。ありえなかった。想像することもなかった。寧ろ、できなかったというべきだろうか。それほど僕にとって加恵の存在は大きかった。 ところで、愛する気持ちは特に努力しない限り三〜四年しか持たないらしい。つまり、それ以上持ち永らえているときは当人の努力があってのことであるらしい。愛を五年以上続けるのは、マンネリという言葉があるように難しいことだそうだ。 でも僕らは幼いときからずっと一緒にいる。それにお互いの気持ちが分かったのも中一のときだから、随分経っている。でもマンネリだとかそういう雰囲気は一切感じられない。いつもが新しく、鮮やかな気分だ。逢うことが新しい発見で、より一層深め合ったような気がする。 僕は加恵と気楽にいるつもりだ。元から一緒にいたわけだから、今更緊張したりだとか、包み隠したりだとか、そんなようなことなんて何もない。お互いの過去も知っているし、人に言えないような秘密も知っている。声変わりする前がどんな声だったのかだとか、昔の顔だとかそういうことも知っている。それでも毎回が新しい気分でいられるし、何かを発見したような気分でいられる。加恵といることに対して、神経質になる必要も、緊張する必要も、気遣いする必要も、何もない。元々お互いに許しあえる仲だったし、何でも話せる仲だったからだ。 幼馴染からこういう仲になるのは、極々自然に移行して、その違いはあまり分からなかった。だから接し方もそんなに変わってないし、話し方も何も変わっていない。変える必要がなかったというほうが正しいかもしれない。 普通の格好で、普通の気持ちで、普通の接し方で。 それが僕らの仲だった。 一昨日、加恵から電話があって美由ちゃんが夏風邪をひいたとのことだった。それで、お見舞いに行かないかと提案があった。まあお見舞いといってもそんなにひどそうでもないから、遊びに行くくらいの気持ちで。そんなことを言っていた。 昼過ぎに行くから。そう言い残して電話は切られた。 かけた人から切るのは当然だけど、僕に発言の余地を与えずに切られた。要するに一方的だったのだ。まあ僕はそのことは構わないんだけど。それに加恵にはよくあることだったし。 一昨昨日、八月十日の水曜日に、この前言われた通り泊まりに行った。 もちろん加恵の家にだ。 まあ過去にも何度かお泊り会みたいに泊まりに行ったことはあるけども、学校へ行くようになってからは初めてだろうと思う。別に二人で何かやろうって魂胆ではなくて、加恵のお父さんに誘われたというか何というか……。 ともかくお呼ばれに行ったわけで、夕食をご馳走になった。記憶の中に薄っすらと残っていたような感じのしたリビングで、四人で一つのテーブルを囲んだ。元々加恵のお父さんと僕のお父さんは同級生で仲が良かったらしいので、加恵の家族も見慣れた顔ぶれだ。僕に言わせれば、良きおじさんとおばさんである。晩餐の会話も弾んでいい感じだった。 「こんにちは〜」 相変わらずの元気な声が家中に響く。まあ、家の中には僕しかいないのであんまり大きな声を出しても意味はないけど。自室にいた僕はそれを聞いて、玄関へと出た。 「さ、行こ」 「うん」 それから僕は加恵と家を出て、美由ちゃんの家へと向かった。 水曜日、夕食を食べ終わった後、僕らは外へ繰り出すことにした。近所の家並を抜け、その先にある神社を目指す。この時期なら蛍が沢山いるだろうなと、そう思って。しばらく歩いて着いた神社には、まだ明るかったけれど早くも蛍たちがダンスをしていた。 僕らはあれから駅へ行き、電車に乗り、バスに乗り、それから少し歩いて美由ちゃんの家に着いた。僕がそのチャイムを押すと、家の中から物音がしてドアが開いた。 「あれ、信彦じゃない。それに加恵も。どうしたの?」 何、もしかして加恵って連絡もいれずに来たわけ? 「どうしたって……、えっと昨日の話の続きを……ね?」 「えっ?」 それは僕にもよく分からなかった。 町はすっかり暗くなり、蛍の光もより一層目立ってきた。それに数も増えてきたように感じる。僕らはそんな中、境内に設けられたベンチの上に腰掛けて、蛍を眺めていた。 「ねえ、蛍の光の中にいるのってなんだかロマンチックじゃない?」 「……ロマンチック?」 「うん。なんだかいい雰囲気っていうか」 「そう……?」 「分かんないかなぁ。まあ、別にいいけどさ……」 僕はその意味について、考えてみる。カメラアングルはこのベンチの後ろ側、二メートルくらいの位置。満開の梅よりも少し低いくらいの密度で蛍が飛んでいて、カップルがそれを眺めている。そんな二人の周りを蛍は回ったり、飛んだり、止まったり。 それから二人は自然に軽く口付けを交わして……。 「ごめん。すっかり連絡するのを忘れてたよ……」 「特に用がなかったから別にいいけど……」 「それで、どうだったの? あれから」 「どうって、あれから本屋に行って一緒に買ってきたんだけど」 「へぇ。それで?」 「それでって?」 「他に何かなかったかってこと」 「別に何もなかったけど……」 何の話なのかいまいち見えてこないけれど、加恵が美由ちゃんの煮え切らない態度に小首を傾げていることだけは分かった。 「そう。別に創英に対して怒ってるわけじゃないんでしょ? 一昨日だってああして私に電話してきたんだし」 「うん。怒ってるつもりはないよ。ある程度予想してたことだから、それなりに覚悟してたし」 「予想してたこと……って?」 「例のあれのことだよ」 と、いうと創英君が加恵を……ああ、あんまり思い出したくない。できることなら、誰かそれを夢だと言って欲しい。 「それにしても創英は私なんかの何がよかったんだろ……」 なんか……って、じゃあその加恵を選んだ僕はどうなるんだろう。 「さあ……。そんなこと訊かれても何とも言えないよ」 美由ちゃんが妬ましそうに言う。まあそれも無理はないと思う。 「ねえ、信彦。何がよかったんだと思う?」 「えっ、そんなこと言われても……」 突然そんなことを訊かれても、ただただ慌てふためくしかない。 「まあ理由なんてどうでもいいけどさ。私もなんで好きだって思えるのか、よく分からないし。信彦だってそうでしょ? なんで好きかなんて、言える?」 「え、いや……」 「ね、好きだから好きだとしか言えないよ」 「私も……そうかな」 美由ちゃんが加恵に重ねて言う。 「まあ創英のことはよく分からないけど。あいつも戻したいって、頑張ってるからさ」 「うん。今度一緒にあの場所へ行ってみようと思うんだ」 あの場所……? 「そう。まあ何かのきっかけになれたらいいよね」 「昨日あんなこと言ったけど、あれは強がりで……。本当は戻って欲しいんだよね、記憶。別に今の創英君が嫌いってわけじゃないけど、なんか違うっていうか……」 「私もそう思うよ。あんな調子じゃこっちの調子が狂うっていうか……。いままではあんまり美由と喋らなかったのに、今創英はよく喋るでしょ?」 「うん。まあ仕方ないんだろうけどね」 確かに昔の創英君とは大分違うけど……、僕は彼にどうあって欲しいのだろうか。 |