その5 一方通行の知人 ─ 義直

あの電話には驚いた。それは美由さんにしても同じだと思う。俺と彼女の久しぶりの電話がそんな内容になろうとは、あのときは思ってもいなかった。でも隣にいたあいつが次の彼氏だったなんて。記憶が戻ったときどんな顔をすればいいのだろうか。
七月二十八日木曜日。
夏休みに入ってしばらく経ったこの日、俺は衝撃の事実を知ることになる。
その日の昼前、十時ごろだっただろうか。夏休み真っ最中のこの日、俺は自室に篭っていた。何も嫌なことがあったとかそういうことではない。ただ、一心に勉強をしていた。俺にしてみればそんな自分は珍しかったのかもしれない。ただ、朝から何もすることがなくて暇つぶしにこうしていただけだった。
そんな時、電話が突然鳴り響いた。俺の家は父と母が二人とも働いているために、この時間は家に誰もいない。だから電話が鳴ると俺がそれを受けることは必至だった。机に向かっていた俺は部屋から出て、電話へと向かい、受話器をあげる。
「もしもし、須木流(すきる)さんのお宅でしょうか?」
電話からは聞き覚えのある女性の声がする。でもそれが誰なのか、俺は最初思い出せなかった。
「はいそうですが……。どなたでしょうか?」
「義直君? 私だよ、私」
と、言われても思い出せないものは思い出せない。
「と、言われますと……?」
「美由だよ。忘れたわけじゃないでしょ?」
「えっ、美由さん?」
まさか彼女から電話がかかってくるなんて思いにも寄らなかった。第一、彼女とは中学校の離任式以来会ってもいないし、気まずくなるからと結局連絡を絶ったままだった。何故気まずくなるのかというと……。
「うん、久しぶり。中学校以来だよね」
「う、うん……」
「あのとき別れてから、一度も連絡なんてしてないもんね」
「そうだけど……。またなんで電話なんか?」
「えっ、ちょっと事情があって……。今から会えない?」
「今から? 留守番してるから出られないんだけど……。家に来てくれるなら」
「なら、今すぐでも構わない?」
「うん」
「じゃ、ちょっと待っててね」
そう言って電話は切れた。
俺は中学校のとき、今の電話の相手、美由さんと付き合っていた。なんというか、中学二年生の夏休み前に彼女を呼び出して告白したところ、見事成立ということになったのだ。
それからというもの僕は彼女と付き合っていた。でも、色々あって三年生の卒業式前日、お互いの了承の元で別れたのだ。
結局、卒業式は中学校から離れるということもあったけれども、こっちの方面の意味合いでも泣いていたのはとてもではないけど人には言えない秘密だ。
第一、俺はそれほど涙脆いわけでもなくて、どうかというと泣くことなんて滅多になかった。それに生徒会副会長まで務めていたのに、卒業式の場で泣いたなんてとてもじゃないけど言えはしない。
まあ、ともかくそんなこんなで彼女とは別れて、それ以来連絡すらしていなかったのに、こんな何でもない大学一年目の夏に突然電話がかかってくるなんて何事だろうか。確かに今は俺だって一人身だけども、今更になって元になんてそんな話があるはずもない。
じゃあ……何?
それから十分ばかり経った頃。チャイムが家の中に響く。二階で先ほどの勉強の続きをしていた俺は階段を降り玄関のドアを開けた。
「やあ……」
なんというか、中学校の時の面影は残しているものの、また一段と凛々しく……って違う、そうじゃなくて。
「久しぶりっ。義直君、全然変わってないね」
「そう? まあとりあえずあがれよ」
「うん」
そうして彼女を自室に案内して、二人でカーペットの上に腰をおろした。
俺は今更になってドギマギしていた。全く、どういうことだ。高校の三年間、恋においては縁などなかったから、彼女は俺が唯一好きになった人だ。でも中学校なんて三年以上前で、今更になって彼女が目の前にいるからといって何もそうあがることもないのに。
「あのさ、義直君の友達に創英君っているでしょ?」
「えっ、創英? たしかにいるけど……。その創英がどうかしたのか?」
「実は私、今彼と付き合ってるんだけど……」
あの創英が美由さんと付き合ってるって? たしかにあいつは彼女がいるとは言ってたけど……。
なんでその相手が美由さんなんだ?
それなら、中学卒業して以来美由さんとは同窓会くらいしか縁がないものだと思っていたけど、大学入ってからずっと繋がってたということか?
「えっ、なんでまたあいつと?」
「それはまた時間があれば話すよ。そんなことより、実は彼、夏休み入ってすぐに事故に遭って……」
「それで、大丈夫だったのか?」
多少、創英に焼きもちなど焼いていたけども、友達として、その安否を確認する。
「意識はあるんだけど……打ち所が悪かったらしくて、事故以前の記憶がないみたい」
「ないみたい……って記憶喪失?」
「うん……」
あいつが事故に遭って、しかも記憶喪失か……。夏休み前なんてピンピンしてたのに今じゃ病院のベットに横になっているということだろうか?
そんなこと言われても、実感なんて湧かないし……。
「それで、その創英君に会ってくれない?」
「別に構わないけど……」
「すぐにとは言わないけど、また時間があるときでいいから」
「お、おう」
そして八月二日の火曜日。
ちょうどこの日は予定がなく空いていたので美由さんが言ったとおり病院へと出向いてみる。彼女が言うには橋田病院の203号室に彼がいるということだった。
病院につき、エレベータで二階に上がり、部屋の前で名前を確かめる。
『石野 創英』
たしかにここで間違いはない。病室のドアを開けると個室であったその部屋に先客がいた。創英はベッドの上でその先客である彼女と何やら話している。その女性は美由さんではなくて、いままで俺があったこともない人だった。
「どうも」
俺はベットの向かいにいた彼女に軽く会釈をし、近くにあった椅子に座る。
「えっと……あなたは?」
創英が俺に尋ねる。いや、記憶喪失になったのだから、名前を知らなくて当然なわけで、訊かざるを得ないのか……。
「同じ大学の須木流義直だ」
「何大学?」
「帝典大学だけど……」
「そう……」
なんだか創英と話している気がしない。姿はそのままなのに中身だけ変わってしまった──記憶喪失だからそう言えないことはないが──ような感じだ。夏休み前の創英はもっと元気があって、常々テンションも高くて、カラオケなんか誘ったらすぐに乗ってきそうな感じだったのに、今の創英ではこの暑い最中、泳ぎに行こうと言っても絶対に来ないだろう。性格なんてまるで正反対でどうも馴染めない感じになってしまっている。
「私はそろそろ帰るから」
「うん」
創英が先客にそう返す。
「ではお先に」
「ああ」
それから馴染めなくなってしまった創英に、今までの大学でのことを話した。そして気付けば外はすっかり真っ暗になっていた。

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