手術の日

今日は首を長くして(首をけん引して)待った、折れた首の手術の日です。

と言っても何にも変わらないいつもの朝です。

それでもそれなりに緊張して少し早く目が覚めて柄にもなく心の中で気合を入れたりして、それなりに心の準備をして、でも意識していることを母親にけどられないように平静を装っていると母親もいつもより早く起きていて「いよいよ手術の日やなぁ」と冗談ぽく話しかけてきたので僕も余裕ぽく「そうやなぁ」と手術のことなんか全然気にしないようという雰囲気を出していたつもりですが、今考えればあの朝の僕たち親子の雰囲気は明らかにおかしかったように思います。

手術の内容は7つある首の骨の4番と6番目は亀裂骨折ということで、別にいじることもないのですが5番目の骨が粉砕骨折ということで、首の中でバラバラになった5番目の骨のかすを取り除いて、腰の骨を削りとって首の5番目の骨に移植するというもので結構大きな手術だったりします。手術の跡

手術の日というのは皆さん家族や親戚の方などいろいろと応援に駆けつけてくれるものなんでしょうが、僕の手術の日は母親以外誰もいませんでした。

というのも、父親は「行ってもどうせ何も出来ないし」みたいな感じで来ませんでした。
(もちろん家で寝ていた訳ではなく仕事に頑張っていたんでしょうけどね)

でもさぁそんなこと言ったら、お見舞いなんて何にも出来ない人の集まりじゃない!
最初に人が死にかけている時に馬鹿みたいに親せき呼んで、手術の日は誰も来ないって、どういうこと!ちょうどいいという言葉はないの親父?

だいたい母親も母親で「私ひとりで大丈夫」みたいな感じで、勝手に親父と決めたみたいやけど、入院してるのは俺やねんから俺に聞かなあかんやろ!

別にどうでもいいけど、ちょっとかっこ悪いじゃん(*^_^*)

とにかくそういうことで、母子2人きりで手術の朝を迎えました。

何とも言えない緊張感が漂う部屋の中いつもねようにノックと同時に看護婦さんが入って来て、でも、いつになく事務的な言い方で「今日は手術をしますので浣腸をします。」と言われてしまいました。

僕はこれを聞いた瞬間「これやもんなぁ」と思いました。

だって、生まれて初めての身体にメスを入れるという重大な日というのに、浣腸って・・・

ところで、浣腸というと小学校の頃取りつかれたように両手を重ねて人さし指だけを伸ばして周の友達の肛門めがけてやっていたアレの元になるものですよねぇ

実はこういうものが本当に実在するモノだとは今回の事故で入院するまで知りませんでした。

アレはTVで覚えたのか周のお兄ちゃん達がやってるのを真似していたのかよくわかりませんが気がつけば人が嫌がるのも全く気にすることなく無我夢中でケタケタ笑いながらやっていた、あのふざけたギャグですよねぇ

誰もが1度は通るうんこチンチンに類似する4歳ぐらいから小学校低学年ぐらいまで、どういう訳かやたらに面白く、そして少し大きくなって冷静に考えるとたいして面白くもないギャグをなんで、なんで今更やられなあかんねん!しかもギャグなしで真面目にやられて・・・かっちょ悪い(;;)

とにかく、僕的にはいつものようになすがままの状態で、それでも喋りは健常者並みに動くので看護婦さんに「痛い」「しんどい」「まだぁ」etcを連発して、普段なら軽く受け流す筈の看護婦さんが、この日は少しお怒り気味で「ちょっと待ってって言うてるやろ!」と結構な迫力。

後でわかったことですが、病棟の看護婦さん達にとって患者さんを手術室に送る日というのはそれはそれは気合の入るものらしく、段取りや時間が少しでもずれると患者や医者にはわからない看護婦さんルールではとんでもない事のようです。

でも、この時はそんなことを知る由もなく、僕はびっくりして「エ!?」という感じでしたが、看護婦さんの気合に押されてしまって、いつもならばすぐに切れる筈なのにこの時は思わず静かになってしまいました。

負けた。とは思いたくありませんが、この時は手術の日だったということと入院してまだ間がなかったということでしょうか、でも、やっぱり看護婦さんの気合勝ちかなぁ。

改めて、人生には気合が肝心だと思い知らされる出来事でした。

それにしても、看護婦さん達の世界に何があるのか!そしてそれはどういう意味を持つのか!それは女の世界なのか!白衣の天使の裏に隠される秘話とは!(それではいったんCMで〜す BYタモリ)

やっとの思いで便出しも終わり次は術着(手術室に行く時の服)を着せられるのはいいのですが、これがまた大変で、大勢の看護婦さんに持ち上げられたり横にされたり、首の骨が折れたままだけに命がけで着せられたのですがその理由が手術室に入るときは清潔しなくてはいけないという事でしたが一ヶ月以上もお風呂に入っておらず当然頭はフケだらけなのに・・・清潔って何(菅原文太)

それが終わったら今度はストレッチャーへの移動、僕が寝ているベットの横にストレッチャーを横付けして、ストレッチャーと僕が寝ているベットを両側から2人ずつ計4人で挟んで「いちにーのさん」で例のごとく空中に浮いたと思ったら、次に大きな衝撃が!これでベットからストレッチャーに乗り換え成功!それが終わったらいつもより無造作に布団を掛けられて、僕の痛い腕なんかお構いなし!

とにかくこの時は看護婦さんたちが異常に忙しく動き回っていて「レントゲン持った?」と遠くで聞こえたかと思ったらドスドスという音とともに看護婦さんが走ってきて「ここ置いとくからなぁ」ストレッチャーの下に置く音がガシャとしたと思ったら違う看護婦さんが「麻酔がよく効くお注射しますねぇ」と言いながらせっかく落ち着いた痛い腕の方から布団をめくって体の殆どが感じないにもかかわらずわざわざ感じる肩のところにグサッ!「お母ちゃんちょっと揉んどいて」と母親に言うと母親は慌てて「はい」と言って注射の跡を揉み始めました。

でも、僕としては左腕が痛いので母親に「腕痛いからもう揉まんでもいい」と小さい声で言うと母親は「何言うてんのん揉まなあかんて言うてたやないの」と小さい声で看護婦さんがドタバタしている中言っていました。

母親としては、何をどうしていいのかわからないという雰囲気の中、仕事を言い渡されたので必死でした。

でも、そんな必死の注射の跡を揉み揉みもむなしく、1人の看護婦さんが「もうそろそろ行った方がいいんちゃう?」と言うと違う看護婦さんが「そうやなぁもう行こうかぁ」と言って母親を突き飛ばすように「お母ちゃんありがとう」と言って無理やり布団を掛けました。(だから、左腕が痛いんですけど・・・)

ストレッチャーの方向を変えながら「それじゃ北嶋君行こか」と僕に優しい感じで話しかけると他の看護婦さんが「忘れもんない〜」と大きな声が少し離なれた所から聞こえてくるとストレッチャーを持っていた看護婦さんが僕の耳もとで、これまた大きな声で「ないと思う〜エレベーターの中とかでチェックするからもし気づいたら持ってきて〜」と脳みそがマックシェイクにするような声出しやがって、何考えてとんねん(怒)

おまえの声が大きいのはわかったからあっちイケと腹の中はむかつきるまくっている僕に向かって「じゃ北嶋君行くで」と優しい声でささやいたと思ったらストレッチャーを握りしめてまたまた大きな声で「じゃあ行くで〜」というと「待ってぇ」とストレッチャーの足の方を持つ看護婦さんが走って来て、他の手の空いている看護婦さん達がおのおの「頑張ってなぁ」「待ってる〜なぁ」「行ってらっしゃい」などそれなりに送りだしてくれました。

そんな物凄い空気に圧倒されていた母親は看護婦さんをかき分けて僕のところに寄ってきて心配そうな必死な顔で「頑張ってなぁ」というので僕も思わず「うん」と自分の中で重い返事をしましたが急に声を出そうとしたのでスカシッペのような声になってしまって、もう1度返事をしようとしたら、看護婦さんが「はい、頑張ってきます」と僕の代わりに返事をしてくれました。(お前は俺か!俺は看護婦さんか!)

午後1時、いざ、手術室に出発です。

手術室に向かうストレッチャーはどういう訳かエレベーターを支配できます。

そういう訳なので他の階に止まっても「手術で〜す」とエレベータを待っていた患者さんや看護婦さん達を乗せないで我がもの顔で乗っているので、僕は心の中で「乗せたったらいいやんけ」と思いながらも手術のことで緊張していると看護婦さんが〇〇さんがどうとか××さんがどうとか僕のこととは全然関係のない他の患者さんの話をしていました。

この人たちのこういう態度は今に始まったことではないので、どうでもいいのですが思い出したように「北嶋君まつげ長いなぁ」などと言ってくるので普通の顔をして無視していると「いいなぁ私なんか短いから大返やわぁ」と勝手に会話を成立させやがって、なんやねん
頼むからほっといてくれ!と思っているとエレベーターが止まっていよいよ手術室のフロアに着きました。

大きな鉄の扉を看護さんがノックすると中から覗く感じで手術室の看護婦さんが「はい」と出て来て病棟の看護婦さんが「6東の北嶋司さんです」と言いながらストレッチャーを中に入れようとすると手術室の看護婦さんがストレッチャーを奪い取るような感じで無理矢理中へ入れようとすると病棟の看護婦さんも抵抗してストレッチャーを離そうとしないで、ここまでは殆ど無言の戦いでしたか流石に手術室の看護婦さんが「こちらでやりますので、もういいですよ」と言うと悔しそうに病棟の看護婦さんも諦めたのか「お願いします」と言いながら!なかなか離そうとしません。

しかし中は清潔な空間なので病棟の看護婦さんは入って行く事が出来ず仕方がなく離す形になりました。

最後の最後に病棟の看護婦さんは「頑張ってね。終わったらすぐ迎えに来るからね」という声がフェードアウトしながら鉄の扉が閉まりました。

(女の戦いは他の時にしてくれ!)

鉄の扉の向こう側は意外にも普通の廊下でした。

そこを少し行くと事務所のようなところがあって、僕はそこで少し待たされました。

待っている間にも人がバタバタとと往来して僕はストレッチャーに寝ている状態なのでほとんど天井しか見えませんから詳しいことわかりませんが看護婦さんでも、ドクターでもない人がたくさんいたような気がしますが気のせいでしょうか(^^;

しばらくして看護婦さんが「北嶋司さんですね」と聞いてきたので、少し焦って「はい」と答えたらストレッチャーについている名前を確認して腕に名札のようなものをつけられました。

今思えば、アソコで待たされていたのは、少し前に流行った患者さんを取り違えないようにとマニュアル通りに進めていたんですね。

僕は内心「何やってんねん!なんでほったらかしやねん!大きな手術やねんぞ」などとちょっとお怒りながら待っていましたが、患者さんにとっては一生に1度有るか無いかの手術でも病院側(手術室)にとっては毎日同じように運ばれで来る患者さんですから間違えそうになっても仕方がないですよねってダメダメ!

名札をつけられて、しばらくして「北嶋さんもう運どいた方がいいんちゃう?」という声がどこからか聞こえてきて、違う声が「そうやなぁ、6番やったよなぁ、ほんじゃ行こうか!」そんな会話の後、目線は常に天井の僕の目線に急にアップで登場して優しい営業用の声で「それじゃあ北嶋さんいきましょうかぁ」ってそんな適当でいいのか!

でも、大きな手術をすること自体初めてなので「こういうものなのかな」と思っているとストレッチャーが奥の方に動き出したと思ったら10メートルほど行って左に曲がりました。

曲がりきって少し横を見てみると左右にいくつもの手術室入り口があって、思わず「すげぇ」とつぶやいてしまいました。

さすがはでっかいだけの・・・、そうじゃなくて、大きい総合病院です。

そんなこと思っているとたくさんある入り口の中のひとつに入っていきました。

手術室に入るといつものようにストレッチャーを横付けして「イチにのサン」で手術台に乗せられました。

手術台に乗るとすぐに麻酔の先生が「マスクをつけますよ」というので少し焦って「はい」
と答えて、そうしたら少しいい匂いがする気体の出るマスクをつけられて「数字を数えて下さい」という優しい声のままに4ぐらいの記録とともに記憶がなくなりました。

お昼の1時に病棟を出て、帰って来たのは夜の8時ぐらいだったそうです。

結構、大きい手術でしょ(^^)

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