母親の長い時間

検査は検査で大変なんですが、もうひとつ、1日1回のガーゼ交換(褥瘡)というのが意外に大変で、ガーゼ交換の内容は傷口にイソジン(消毒薬)を塗ってガーゼを交換するだけなんですが、どういう訳か看護婦さんでは駄目でドクターが行うことになっています。
 ドクター達が外来を済ませてから病棟に上ってくるんですが(昼から)この人達がガーゼ交換の為に上がって来ると看護婦さん達が、急に気合が入って張り詰めた空気が病棟を駆け巡ります。(ほんまに病院か!)
 ガーゼ交換の時に患者さんが散歩にでも行っていようもんなら犯罪者並みの扱いになって、これでもかという程怒られた後にイヤミをいっぱい言われます。
(僕はまだ、この時点では散歩には行けませんでしたが、後に知ることになります。)
だから付き沿いの人達は「ガーゼ交換」の言葉を聞くと背筋がピンと伸びる感じで、まるで、キツネリスのようにおびえています。
 僕が死の淵を這いずり回っている間に母親はこうやって病院の掟を少しずつ教えこまれていたのかと思うと、なんだか笑ってしまいます。(あの頃はまだ可愛かったなぁ)
 僕のガーゼ交換はいつも3時ごろだったと思います。
どうして、記憶力の悪い僕がこんなことを覚えているのか!それは、母親が3時近くなって看護婦さんが廊下をガチャンガチャンいわせながら「ガーゼ交換ですよ〜!」と病棟中に響くような声と音が聞こえはじめるとソワソワし始めて、僕に「3時やで、ガーゼ交換やで」と毎日僕を起こすので、「だからなんやねん」と怒っていました。
だって僕が起きていても寝ていても体中どこにも力が入らないので意味ないんです。
それにしても、今思えば「結構酷い事を母親に言っていたなぁ」なんて思ったりします。(今でもちょくちょく言っていますけどね)

 このガーゼ交換は太ったドクターだけでなく他の整形外科のドクター達が全員で、(部長は除く)順番にガーゼ交換をしていました。
ここでも、相変わらずステンレスの台をガシャンガシャンいわせながら「ガーゼ交換ですよ」と、凄い勢いで入って来て、(ナースコールで呼んでも落ち着き放っているのに・・・)
この間恐るべし看護婦さん2でお話ししたようにズカズカと入って来て!

看護婦さん「北嶋さんは・・・先生どうします?」
ドクター「そうやなぁ・・・僕が頭持つから看護婦さん肩と腰持ってくれるかなぁ」
看護婦さん「はい!わかりました!」

テキパキとしていて、看護婦さんの仕事ぶりには頭が下がりますが、それにしても、納得のいかないシステムは、看護婦さん達にとってドクターは神様扱いとう言う事です。
どういう事か!ドクターが何かしようとすると、看護婦さんは全力でアシストします。例え、それで患者さんの容体が変わるようなことがあっても、猪突猛進、一心不乱、狂喜乱舞、違うか?(^^;とにかく必死なんです。

 僕と母親がいろいろな試行錯誤の上、工夫して左手の痛いところの下に、バスタオルをやっとの思いでベストポジションを見つけて、苦労して痛い腕の下に敷いたバスタオルをドクターが 「何これ?何のためにしてんの?」と母親に問い掛け、母親が、腕を痛がる事や工夫して少しでも痛くない方法を説明していると[ドクターの処置の邪魔になる]とでも、思ったのか、看護婦さんが横から入って来て「お母ちゃんこれ取ってもいい?」と聞かれて母親はその勢いで反射的に「はい」と、言ったか、言わないかのタイミングで看護婦さんは痛い腕の下に敷いてあるバスタオルを鷲掴みにしたかと思ったらダルマを落としでもやっているかのように勢いよくバスタオルを引いて、そのままソファーに投げやがった。(なんちゅうことをしてくれねん)
せめて、
ゆっくりと置いてくれればガーゼ交換が終わった後すぐに元に戻すのに・・・。
綺麗に僕の痛い腕の形にちょうどいいように重ねたバスタオルを投げするんですよ(;;)あの形を作るのにどれだけ親子喧嘩をしたことか(;;)それを一瞬で、無茶苦茶にして、ゆっくりそのままの形で、何処かに置くのに何秒掛かるでしょう(;;)看護婦さん達は、ドクターが居ると、天下御免なの?

僕の頭を持つのも最初はかなり気を使ってくれていたのですが、だんだん回数を重ねるごとに、首の骨がまだ折れたままの、大事な頭をもつのポジションを「先生私が持ちましょうか?」と必要以上にドクターに気を使ったりして・・・、でも、流石にドクターも大切な頭は、看護婦さんに任せへんやろうと思ってたら「じゃあお願いしようかなぁ」て、(お願いするんかい!)「要するに首が回らんかったらいいねん」て、(そういう問題か!)看護婦さんは待っていましたかのように「ここを持つんですね」と張り切って僕の頭を持つのをドクターと交代しました。(大丈夫なんか?お前訳解ってのか?)
これが、また悲しいことに看護婦さんの方が、ドクターよりもスムーズに行ったりして、(どういうことやねんドクター!)看護婦さんは現場の中の現場です。(ご苦労様です。)
それから他のドクターがガーゼ交換をする時も[頭を持つのは看護婦さん]となるのに時間は掛かりませんでした。

こんな風に検査の生活が1週間ほど過ぎて、僕的には結構忙しい毎日というより落ち着かない日々が続きました。

いよいよ首の手術です。

首の骨には1番から7番までありまして、これらを頚椎(けいつい)といいます。
僕の場合4番6番が亀裂骨折、5番が粉砕骨折ということで、5番の骨のかすを取り除いて、腰から少し骨を削りとって、それを5番の首の骨に入れると言う手術(固定術)だそうです。

例の太ったドクターから、そんな説明があったのは手術をする3日ぐらい前で、特に改まった様子もなく、何かのついでに軽く説明された記憶があります。
患者の精神的な心配よりも手術室の予約が取れた事の方が重要そうで、説明が終わると、太ってるくせに軽い足取りで足早に去っていきました。
(このブタマジで大きい手術初めてやったんちゃうか!なんか嬉しそうやった気がする)でも、あまり驚きませんでした。

 理由はダメダメ病院で説明を受けていたからです。でも、違う意味で驚いたのはダメダメ病院と同じ説明をされてしまったという事です。
 当たり前といえば当たり前なんでしょうが、散々酷い目にあって来たダメダメ病院と同じなんですよ(;;)でも、太ったドクターに「やり方間違ってない?」なんて聞けませんしねぇ(変に喜んでるし)でも、こうなると不安が不安を呼んでいろんな事が心配になって来ます。
 例えばダメダメ病院で頭に俸を刺されて重りを吊されて20日ぐらいけん引をしたのに、この病院に来て、「これじゃ意味がない」とダメダメ病院で刺された棒を抜かれて新しく2本俸刺されて、新しく頭に俸を刺す必要があったのだろうか?僕の感覚としては殆ど同じ感覚なんですが違うんでしょうか?1週間で大丈夫なんでしょうか?ダメダメ病院の時にすでにけん引出来ていたのではないのか?いや!ダメダメ病院でも20日もけん引に時間を掛けたのに、ここの病院は少し早すぎるのでは?

と、いろんな思いか交錯して、母親ともいろいろ話をしたのですが、素人の二人が話し合っても答えが出る訳でも無く、心配は募るばかり、しかし当時の医者と家族の関係ではそんな失礼なことを聞ける空気でもなく(違うな、少なくとも俺は言う勢いはあった!でも、今嫌われて、手術無茶苦茶されたら・・・と思うと、やっぱり言えませんでした。メス持ってる奴はつよいのー(T_T))母親はただうなずくだけで、手術の説明をされても「はい」の連発で(うちの母親は、はいはい教の信者か!)インフォームド・コンセントなんてとんでもありません。
だいたい頭に俸を刺す時も何も言わないで無理矢理力ずくでドクターのなすがままに・・・。でも、やりながら母親に書類のサインを求めたりして、違うんじゃないの!
だからといって、ちゃんとインフォームド・コンセントを受けていたとしても結果は同じなんでしょうね。(違うかな?)

問題なのは脊髄に通っている中枢神経が切れてしまったことなんです。

長い長いとてつもなく長い入院生活の始まりに母親は言われたそうです。

ドクター: これは救急隊員が間違った運び方をしたとか運ぶのが早ければ、とか最初に行った病院の処置が悪かったとかそういうことは首の骨折に関しては一切関係ありません。
すべては首の骨が折れた瞬間に決まります。
グチャグチャになった豆腐(中枢神経が切れた例え)がもとに戻らないのと同じで、現代医学ではどうしようもありません。

ダメダメ病院に紹介状を書いてもらって、藁にも縋る思いで、この病院に1人で来て外科の部長に最初に言われた言葉がこれだったそうです。

母親はこのことを「ここに来て最初に言われた。!」などと何度も僕に話していましたが、よく考えれば整形外科の部長がなにゆうとんねん!何もする事が無い、TVも無い、目的もよく分からない、どうしようもない時間を過ごす母親にとって、[たら、れば]ぐらいさせて、くれたって、罰当たらんやろうに、なんでこんなに酷い事を最初に言わなあかんかったんやろう?落ち着いてからでいいやろ!ボケッ!
患者やその家族の精神的なことも考えろや!国家試験に出てなくても、幼稚園で習ったことを思い出したらいいねん!

このことを母親が興奮気味に僕に何度も何度も話すんです。
「何時?」と聞けば、いつのまにかこの話、食事をしながら、いつのまにかこの話、何度も何度も、よっぽど悔しかったんでしょうね。

母親的には最初のダメダメ病院でもう告知は終わっていると安心して話していたんでしょうけど僕的には少しでも、自己逃避というか現実逃避というか、とにかく誰かの何かのせいにしたいのにこんなにはっきり何回も何回も、だめを押されるなんて、・・・心の中で思いながら冷静を装っていました。

でも、今になって考えてみれば僕は意識があまりはっきりしない1カ月間だったけど母親にとっては何もすることのない考えれば死にたくなるような事しか思い浮かばないとてつもなく長い時間にこれを言われたんじゃ話し相手のいない個室ということも考えれば当たり前かなぁ(偉そうなんじゃ(-_-)/~~)

希望って大切ですよね。患者だけでは無く、家族も、付きっきりで付き添っている家族にはなおさら、あの時、狭い個室で2人きりで何をすることもない時間が、延々と続いて、ちょっと間違えば母親の手が僕の首を絞めても、誰も責められないと思います。(点滴の針から空気を入れれば・・・という事をあの時知っていれば・・・(^^;)

僕は僕で、自分の身体が動かないことや頭がかゆいことに、いらだち、母親の顔の拭き方に腹を立て、あたり散らす毎日、「食事の食べさせ方が悪い!」「ビニールをごそごそうるさい!」夜中に「左腕が痛い、ナースコールを押せ」(一晩30回以上)3回目ぐらいからなかなか来なくなって看護婦さんが来たら「なんとかしてくれ!痛いんじゃ〜」看護婦さんは「朝になって先生が来るまで待って」とまだ、納得していないのに、お茶を濁して出て行くから「看護婦呼んで来い」(20回以上)ナースステーションに行きづらかったでしょうね(母親)「医者呼べ」「腕を切り落としてくれ!」「できへんねやったら殺せー」などと叫びまくってどうしようもない奴です。

よく殺さなかったもんです。(殺人犯になるのは嫌やったんかな?)

希望があれば・・・、我慢すればどうにかなるとも、思えるんでしょうが、それどころか、一生こんな生活が続くと言われれば、多少のわがままは許して欲しいです。(ちょっとあまえてみました。(*^_^*))

希望があれば・・・。リハビリも頑張るでしょうし病院食だってたくさん食べれるんでしょうけどドクターがその希望を絶望に変えてくれました。(ありがとうございます。)
でも、殺しません。でも、治しません。現状維持(中途半端やねん)

今、世間で話題の常盤貴子さんが車椅子の少女を演じているドラマが、終わりましたが、(ぉぉぉ終わったんかい)車椅子の女の子ということだけで車の運転も働くことも出来るようです。でも、恋愛は・・・というドラマみたいですが、これはこれで大変みたいです。

僕からすれば上半身が動くだけでもまったく生活が違う!と、言いたくなりますが、ひょっとしたら彼女の方が少し希望が残されているだけ精神的には残酷なのかもしれません。
愚問なんでしょうけどね。あっちがいい、こちらいい、貴方は、まだマシ、俺の方がつらい。・・・m(__)m

尤も介護をする家族にとってはなるべく動ける方がいいんでしょうね(淋)ぼけ老人は動けない方がいいみたいですけど・・・。

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