こんな病院では手術なんて出来ない!!(母親)

事故を起こして入院してから20日ぐらいが過ぎ、そろそろけん引期間も済んで手術が出来る状態に成って、ここの無茶苦茶な病院のドクターがそんな(手術をしましょう)ような話を最初に父親にしたのかな?そして父親が母親に「手術せなあかんねんて」言うと母親は「こんなところで手術するなんてとんでもない(怒)」母親からしてみれば(申し遅れましたがこの病院は近所でも有名なヤブで)噂を遥かにしのぐ恐るべし病院でしたから無理はありません。

初日の誤診に始まって、ベニヤ板の上に寝かされて体が褥瘡で腐り始めて、導尿(チンチンに太さ2ミリぐらいで長さ33cmぐらいの管を入れておしっこを出す事)では下手くそのくせに無理矢理入れやがって尿道に傷を付けてチンチンの先からウミが出て来た。

なんてことを聞いた時僕は思わず恥ずかしい病気と思ってしまいました。(なんねやねん(-_-)/~)

でも、マジでこのことを聞いた時は失神しそうでした。

男にとってこれはあまりにも酷い仕打ち、なんかイヤな事したんか?バカ看護婦。

まったくおかしな話やでTVでやってる[緊急病棟24時]の看護婦さんはエライ頑張って働いてるけどなぁ〜

あのダメダメ病院はほんの一部なのかな?それとも氷山の一角か?どっちにしても下手なのはまだ仕方ないと思えるけど無理矢理は確信犯やからなぁ( ̄。 ̄)y-。oO

ウンコも殆ど出してくれず看護婦さんが浣腸を持って来て素人の母親に「はい、お母さんこれお願い」当時まだ体重があって太くて重い足を母親1人で持ち上げて、でも絶対安静って言われてるから強引に動かす事も出来ず少しでも触ると僕が怒るし父親も最初の5日程は仕事を休んでいたのですが休んでいても何にも出来ないし、そんな事より働かないと医療費も払えないし、個室(ここに入ると死ぬ)の使用料だけで1日8千円とか言われてて(金だけはしっかり取りよんねん)父親が無理して買った建て売りの家のローンも有るしで、だから母親は1人で絶望と落胆と現実と戦っとてんなぁ〜凄いなぁ〜などと今更ながらに改めて考えると、たいしたもんやなぁ〜なんて思ったりして、それとも・・・ここは素直に母親凄いということで、(^^;その戦いの中バカ医者とバカ看護婦ときたらまったく(ぎゃふん)全国てえめら人間じゃねぇ大会有ったら大阪大会でベスト8には入れるな!!

そんな事より何処で手術をするかという事が問題で母親が思い切ってダメダメ病院のドクターに「何処か良い病院ないでしょうか?」みたいなことを言うと、罪悪感があったのか面倒臭ったのか直ぐに紹介してくれたそうです。

その日のうちに紹介状を書いてもらってレントゲン写真を持って枚方の厚生年金病院に母親が行ったそうです。

枚方の病院は脊髄損傷では関西でもトップクラスで「なかなか入院出来ない(順番待ちが多くて)かもしれない」とダメダメ病院のドクターに言われていたので、かなり緊張して行くと、整形外科部長さんが会ってくれてレントゲン写真を見せると直ぐベットを手配してくれて「明日にでも入院して来て下さい」みたいなことを言われて、ダメダメ病院のドクターに「二ヶ月、三ヶ月待ちは当たり前、運が悪ければ半年待ち」などと言われていたので凄く嬉しそうにダメダメ病院の個室で父親に話していたような気がします。

だいぶ後からわかったのですがこれは運良いのでは無く脊髄損傷という怪我は病院経営としては駄目(儲から無い)で、その上に殆どの患者さんが手術は他の病院で行って来るという状況で、また手術をしていない僕は当然のマッハで入院できるという事です。

枚方の厚生年金病院がする処置としては褥瘡のガーゼ交換(消毒)1日1回褥瘡の治りは遅いので当然1回の入院が長い、褥瘡を有る程度直してからリハビリテーションこれもまた時間がかかるということで、患者さんの回転は悪いたまに出来る手術が褥瘡の移植手術、しかし僕はこの手術を断った。

理由は失敗して移植した皮膚が上手く付かず中から腐って大量のウミが出てきた。

なんて話を聞いてしまったから、成功したとしても無理矢理直して早く退院してもまた直ぐ帰って(入院)こなくてはいけないと思うと時間をかけても自然に直すのが1番だと思ったから。(どおりで入院が長引く)

その割に神経が切れているので体温調節が出来なくて訳のわからない熱を出してみたり肺活量が殆ど無くタンを詰まらせて窒息死なんてことも十分あり得るし、殆ど体は動かず食事・排便・排尿は全く自分で出来ないし唯一感じる所をカク事すら出来ないので、この完全看護の時代にあって付き添い(身内orプロ)の人が24時間体制で付かなくてはいけない(付き添いは簡易ベットで6人部屋に患者さんと合わせて12人で暮らします)ので、病院側としても面白く無いけれど仕方が無い、という病院にとっても患者さんにとっても地獄絵巻のような状態(そういうことで私立の病院ではさっさと手術だけして厚生年金病院に送る。

名付けて最終処分場、姥捨山が天国に感じられる場所「姥捨山行った事ないけど・・・(^。^)y-。oO」

でも、当時のダメダメ病院に入院していることを考えれば、地獄に仏、渡りに船、とにかく1日でも早くダメダメ病院を脱出したかったので、出れる、それだけで嬉しかったのだと思います。

当時の僕にとってはどうでもいい事ですけど両親にとっては一筋の光明を見いだした!そんな感じだったと思います。

まだまだ地獄のプロローグとも知らずに・・・(ところで、プロローグってなに・・・(^^; )

次の日ぐらいにダメダメ病院から枚方の厚生年金病院に救急車で行きました。

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