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天壽録概要 |
安政4年大和の国五條に生まれた高橋直吉が綴った、生誕から63歳で亡くなるひと月前までの63年間の記録。
幕末の動乱期に始まり、天誅組の変の顛末も事変発祥に臨場した一人としてレポート。やがて維新を迎え、自らも村の諸役を通して地域の発展に尽くす一方で、自ら様々な事業を展開していく。
やがて、舞台は大阪の住友の支配人との交流、伊丹の小西家から会社買収の話、東京の安田財閥に対する鉱山の売却話、大分県の金山採掘権を購入、熊本の塩田に対する出資など携わった事業の数は100以上に上った。
事業の展開と併記して、十津川村をはじめ幾多の土地の数多くの人々との交流も語っている。
ここに記された人名は約2,000人に及ぶ。
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【巻の壱】安政4年(1歳)~明治8年(18歳)
○直吉の誕生
○桜田騒動
○天誅組
○兄、源十郎の結婚
○娼妓置屋の新設 |

五條市須惠
【統神社】 |
【巻の貮】明治8年(19歳)~明治18年(29歳)
○父久平衛の死
○活版印刷(聚珍社)創業
○金毘羅参詣の栞
○直吉の結婚
○朝日新聞売捌き競争
○兄の子、林山作の死
○牛乳配達販売業開始
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【多度津港から見た讃岐富士】

【書写山で昔弁慶が使った机】
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【巻の参】明治19年(30歳)~明治28年(39歳)
○宇智吉野郡庁舎の新築
○母キヌの死
○高橋直吉の北堂林氏の略伝
○高野山へ納骨
○十津川紀行
○祖母キミの死
○十津川大洪水と新十津川村への移住
○五條への遊郭設置運動
○長谷寺縁起・名筆額譜の謄写出版
○長女栞の死
○帝国海軍に吉野葛を献納
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【玉置山から見た十津川村】
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【明治19年6月9日の朝日新聞】 |
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【巻の四】明治29年(40歳)~明治38年(49歳)
○直吉を直方に改名
○栄山寺で遊覧船を開業
○操の妻の籍を除籍
○十津川郷友会を開会
○吉野山の花見
○吉野川の鮎狩り
○小島山での松茸狩り
○牛乳同盟会の開催
○熊本の塩田事業への出資
○?石鉱山の買収
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【巻の五】明治39年(50歳)~大正8年(63歳)
○松下医師山師に騙される
○佐古高英の結婚
○天川鉱区の試掘
○吉川文治郎の相続の争い
○坂井清民の死
○王子駅で事故に逢う
○湯川石灰山の業務開始
○大沢寺の瀧の冷泉でラムネ製造
○松下茂実の切腹
○西村皓平の死
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【鳥ヶ森の別荘から引っ越し】
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