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2005年5月31日(火)
うーん、先週の仕入れは

先週は比較的たくさんの車が買えた。
自画自賛できるほどどの車の程度もいい。しかも値段が安い。
日曜日から今日にかけて一気に入ってきたので仕上げとHP更新が大変。
当社の場合は1台につき10枚以上の写真をHP上にUPする。
10枚の写真をチョイスするのに100枚近くの撮影を行う。
おまけにオプション装備の価格や後付の装備を調べて
プライスボードを作成して行くと1日に5台のUPが限度である。
昼間は接客や仕入れ、保険の他、車やさんの仕事をしているので
おかげさんでいつも日付がほとんど変わる近くまでPCの前に座っている。
仲間の車やさんは言う。
「そこまでしてもいっしょや、GOO−NETやカーセンサーでも
売れる車は売れるし、売れへん車は売れへん」
確かに僕もそう思う。
でも、僕はこのプライスボードとHP更新にこだわりたい。
僕はメカ的なことはそんなに詳しくは分からない。
また、オーディオやドレスアップに関しても素人に毛が生えた程度。
でも、そんな僕からも車を買ってくれるお客さんがいる。
遠方から現車を見ずに、HPの情報と僕が送るメールを信頼して購入してくださるお客様がいる。
そういうお客様が要る限り、僕はこの売り方、この仕入れ方をやめない。
だから僕はこのホームページはやめない。
だから僕は1台1台にこだわりたい。
そして何よりも中古車のプロでありたい。
そしてもっとエキスパートになって、僕から車を買ってくれるお客様は
いつまでも笑顔でいて欲しい。

2005年5月30日(月)
運動会

昨日は完全休養。
朝からメールチェックだけして申し訳ないけど久しぶりのお休みでした。
というのも、子供の校区の連合運動会があったからです。
自治会ごとに得点を争うこの運動会、毎年行われております。
当然、僕も某自治会に所属してチームのメンバーとして活躍します。
でも、年のせいか、毎年、参加する種目が少なくなるのは少しさびしい。
ところがその分、うちの嫁さんが縦横無尽に活躍してくれます。
昨日はうちの嫁さん、なんと6種目ぐらいに出場していました。
体が大きいので綱引きはもちろんの事、体力系の種目には全部出ていました。
本人は「えー?またー?」とか言って、さも控えめのように見せていましたが、
出場を要請されるとまんざらでもないようで、
種目ごとにもらえる洗剤やお菓子をうれしそうに袋にためていました。
中でも、タイヤ転がしリレーという種目に出場したときは
全身にため込んだ脂肪をゆすりながらタイヤを転がす姿が可笑しくて
会場の爆笑を誘っていました。
太っているとしんどいのか「よしっ、痩せよ」と、今年に入って50回目の決意をしていました。
朝の9時から夕方4時まで競技や子供のブラスバンドが続くのですが、
さすがに昨日の大阪は29度もあったので、暑いし、しんどいです。
おまけに昨年からは校内でビールなどのアルコール類が飲めなくなったので
毎年、缶ビールを一箱持込む我が家としてはちょっと退屈です。
でも、この運動会、後半になると以上に盛り上がります。
中でも最終前の綱引き決勝などでは出場している男性の奥さんが
「死ぬ気でやれ〜、負けたらしばくどぉぉぉっ」と必死に応援なのか
単にビビらせているだけなのか分からないような声援を送っていたのは
とても頼もしく見えました。さすが大阪のおばちゃんです。
最終種目の混合リレーは各地区の小学生男女から大人の男女までが混じって、
行うのですが、それはもうえらい騒ぎです。
「がんばれ〜」とかだけならいいのですが、ライバルチームの選手には
「こけたらええのに」とかしゃれにならない事を言っています。
おかげさまで僕の住む地区は久しぶりの優勝、大いに盛り上がりました。
でも、最後の閉会の挨拶の人の話は長かった〜。
途中で、朝礼のときに倒れる小学生のように僕も「倒れよかな」と思いました。

運動会を終え、我が家は家族全員で焼肉を食べに行きました。
運動をした後なので、嫁も子供たちも次々に肉やご飯類や冷麺をおいしそうに食べていました。
嫁は生ビールをガブガブおかわりしていました。
家に帰ってからも、嫁は缶ビールと鮭茶漬けを食べていました。
「よしっ、明日から痩せよ」
食い終わってから言うなって・・・・・・

2005年5月28日(土)
今週は・・・・

しばらくの間、中古車と関係のない話をだらだらと書いてしまった。
今日は車の話です。

今週はいい仕入れが出来た。
木、金、土の3日間で下取車を含めて13台ほど仕入れできた。
大規模なセンターでは13台の仕入れなんて少ない数だが
極々零細企業の当社にとってはまあまあいい数字だ。
その中でも特筆すべきはインプレッサのSTIだ。
以前からずっと、GDBのA,B型(丸目)を取り扱いしたいと思っていた。
インプレッサ通の人に言わせれば唯一、不人気の型らしいが、僕はそうは思わない。
以前のGCのモデルに比べれば車重は増えているが、格段に剛性が上がって安全に飛ばせる。
とは言ってもSTIは渋滞ではクラッチが重くてしょっちゅうエンストするし、
ファミリーユースでは硬すぎて使えない。
しかし、高速道路や山道を走ると車屋でもほっぺたが落ちそうになるぐらいイイ。
では、なぜ、このSTIを扱わなかったかというと、答えはカンタン。
「中古車相場が高すぎたからです」
新車で標準のオプションが装着されてくるまでも320万そこそこの車が
程度のいい車があると、4年落ちでもつい最近まで200万以上していた。
しかし、先週ぐらいからの相場を見ていると若干、下がっているような気がする。
いよいよ、時機到来か?
早速、選りすぐりのものを何台か仕入れようと注目してみた。
でも、注目すると、やっぱりいいのがあまりない。
兵庫で1台、名古屋でもう1台程度が良くて安そうな車を見つけた。
が、残念ながら名古屋の物件は価格が折り合わず、見送った。
西宮の物件は無事、仕入れる事が出来た。
早速、掃除して撮影した。
「うーん、惚れ惚れする」
この、相場、一時期的なものでないことを祈ります。

2005年5月27日(金)
前の仕事2つづきのつづき 東北完結編

ちょっと話を引っ張りすぎたので今日で終わりにしますね。

取りあえず、口約束だが引き受けてもらったので安堵して現場への帰路に着いた。
帰りの電車の中で食べた「鮭はらこ飯弁当」のなんと美味かったことか。
ご飯の上に鮭のほぐした身とイクラが散らばっただけの単純な弁当だが
「生まれてこの方、こんなうまい飯は食った事がない」と
思うほどそのときの僕には美味かった。

現場について上司に事の一部始終を報告した。
事前に許可を取って行った訳ではなかったので、
むちゃくちゃ怒られるのかと思いきやそうでもなかった。
相変わらず、他の区画の工事は順調に進んでいる。
内装工事を終えて後は商品の陳列を待つばかりの店も多い。
工事が完了していない店は夜中じゅう、業者が入っている。
僕は、その日、何日かぶりに眠ったような気がする。
翌日、わりと早く目が覚めてはやる気持ちを抑えながら現場に向かった。
僕が無理に頼んだ業者はまだ来ていなかった。
それは無理もない。昨日の今日で色んな手配が着くはずもない。
施主はやきもきしている。
ややこしい話だが工事が遅れると全体のオープンにミソをつけるばかりか
デベロッパーとテナントの損害賠償の問題にも発展する。
「大丈夫です。間に合います」
施主に説明しながらも実に不安だ。
その日も他の区画は無事に工事が進み、1日が終わった。
翌日、オープンまでとうとう1週間となった。
ほとんどの区画が最後の仕上げにかかっている。
相変わらず、僕が頼んだ業者は来る様子がない。
心配になって何度も電話したが、専務につながらない。
当時は携帯電話も普及していなかったので連絡をする方法がない。
夕刻近くになると、施主に呼び出され、事務所で今後の工程の説明を求められた。
専務と連絡が取れず、僕自身がその後の工程を把握していなかったので
施主に説明できるはずもなかった。床に正座を強要された僕は
ただ、ひたすら「大丈夫です。間に合います」と繰り返すのみだった。
その日もとうとう業者は来なかった。
工事の進んでいない区画に座ったまま、絶望感に打ちひしがれた。
その日は他の区画の仕上げもあったので現場で一夜を過ごした。
「もう、だめだ」
口から胃が出てきそうな、頭がおかしくなりそうな、
自分を見失いそうな、そんな苦渋が重なったその朝、
ガタイのいい、あのいかつい専務が現れた。
「お待たせ、お待たせ」
専務の後ろから約30人ぐらいの職人さんが大きなパネルと家具を持ってきた。
職人さんは二手に分かれて2店舗の工事が同時に進められた。
パネルはそのまま床や壁に貼り付けられた。
家具やハンガー類も即座に据え付けられた。
モザイクタイルを施した床や壁もシート状にして短時間で施工が終わった。
1店舗が出来あがると次の店舗に入って同様の作業が進んだ。
なんと8時間ぐらいで造作の工事がほとんど完了した。
専務は説明してくれた。
「あんたに頼まれてからすぐにあんたの会社の調査をした。
それから、現場施工ではとても間に合わないので、
事前に製作をしてから出来上がった物を据え付けれるように、
昨日まで突貫で製作していたんだよ」
そして、連絡が取れなかった事を詫びてくれた。
そして、翌日、最終の仕上げとクリーニングをして工事は無事に完了した。
仕上がりは通常の工程のものと遜色がなったといえばうそになるが
ショップデザイナーに合格点はもらえた。
次々に商品が運び込まれ、各店舗でオープン前のロールプレイングの声が響く中、
僕たちの会社のスタッフはボロボロになった体を引きずって
雪の中、滞在先のビジネスホテルに帰った。
風呂に入ってから泥のように眠った。
翌日、全員がスーツに着替え、オープンを迎えた。
仕事で泣いたんはこの時がはじめてちゃうかな?
でも、やり遂げたという、満足感はなかった。
施主やその業者をはじめ、いろんな人に迷惑をかけ、
また、いろんな人に助けられている事と自分が半人前なのを思い知らされた現場だった。
僕は今でもあの現場とあの会社の専務の顔は忘れない。

すいません。ずいぶんとだらだらとした文章になりましたが
これは僕が学校を出て2年目の23歳のときの出来事です。
昔の事なので言葉などは記憶に基づいて作文しています。
僕はその会社を翌年の4月に退職しました。
退職した理由は
1番目は金の事、ずっと上記のような調子でろくに遊べもしないのに
借金ばかりが増えました。
2番目は自分の時間が持てなかったこと。
3番目は将来の事を考えてです。
でも、今こうやって経営者の一員になるとあの時のことが冷静に考えられます。
辞めてよかったけど、あの会社の社員でよかったです。
考え方を変えれば給料をもらって勉強させてもらっていたようなものです。
あの2年間で何でも最後までみんなで努力すれば、100%の結果は出なくても
それに近い結果が出て、将来につながるという事を学びました。
だから、前の会社とその社長、当時の上司には今でも感謝しています。

「頑張ろう」って言っても「頑張られへん」ことも多い。
けど、後ろを向くとよけいにしんどいから、とにかく前を向いて生きましょう。

2005年5月26日(木)
前の仕事2 つづき

僕は心臓の鼓動を抑えるために懸命だった。
なにせ、アポイントをとっていない。
その上、不可能に近いお願いをしに来ている。
通常、発注する際には必要な金額、工程の打ち合わせも時間的に出来ない。
おまけにお願いしている区画はその時代では有名なDCブランドのショップで
デザイン、造作などが非常にややこしい。

会社のロビーに座って次々に出社する人を見ていた。
すると、貫禄はあるがいかにも「たたき上げ」といった感じの
ガタイのいい人が現れた。
(この人が専務だ)一瞬で直感した。
僕「すみません、○○専務ですか?」
専務「はい、私が○○ですが、失礼ですがどちら様ですか?」
僕はその場で床に頭を擦り付けて
「東京から来た○○という会社の○○と申します。(その頃は東京勤務でした)
本日は突然申し訳ありませんが、御社にお願いがあってやってまいりました。」
専務は驚いていたが、「まあ、座りなさい」と言って話を聞いてくれた。
僕は今回のいきさつを懸命に話した。
しどろもどろでとても下手な説明だったに違いないが、聞き終わった専務は
しばらく黙った後、「話は分かりました。図面は持っていますか?」と言って
手渡された図面をもったまま、別の部屋へ行った。
「どないなるんやろ?」
頭の中を悪い考えばかりが駆け巡る。
もう、すがる事が出来るのはこの人しかいない。
専務は30分ほどして再び僕の目に姿を見せた。
「引き受けましょう。実はこの現場のうわさは事前に聞いています。
このファッションビルを穴あきのままオープンさせたら東北の恥だ。
施工費は出来上がった後からの話だ。」
僕「あ、ありがとうございます。よろしくお願いします。」
感動した。僕は専務の手を握りながら何度も何度も頭を下げた。
「男や、この人は男の中の男や」

長いので再び明日に続きます。
明日は東北完結編。

2005年5月25日(水)
前の仕事2

前の仕事では色んなエピソードがあった。
今日はある東北地方のショッピングセンターのリニューアルの時の話をする。
プロジェクトはいわゆるスーパーマーケットをファッションビル化するというものだった。
フロアの売り場構成、各店舗のデザインも決定し、いよいよ大詰めの工事だ。
僕の受け持ちは確か10店舗ぐらいだったと思う。
時期は12月、東北の冬は寒い。
各店舗の工事も順調に進み、売り場が次々に出来ていく。
オープンの10日ぐらい前の日の事だ。
僕の担当のうちの4店舗に、始業の時間になっても工事業者が来ない。
電話をしてもつながらない。
「単に遅れているだけなら良いのだが・・・・」
不安に駆られて必死に電話をしまくった。でも、つながらない。
その日も午後遅くになってようやく社長と会えた。
社長「実は・・・・・・資金繰りと造作の段取りが付きませんのでもう無理です」
不安は最悪の形で的中した。
そ、そんな、もう無理ですって、あんた・・・・・・
その業者はオープンの10日前になってバンザイしたのだ。
目の前が真っ暗になった。
周りの店舗が出来上がっていく中、僕の担当の4店舗の遅れは非常に目立つ。
施主に呼び出された。
「○○君、今日は工事進んでないけど大丈夫?」
「は、はい大丈夫です。」後はしどろもどろ(こんな感じの会話だったと思う)
現場事務所に戻って取引業者に片っ端から電話した。
それから、タウンページに乗っている地元の業者に片っ端から電話した。
でも、どこも引き受けてくれなかった。
当たり前の話だ。
当時はDCブランド全盛で店舗も凝りに凝っていたので短い工期では無理なのだ。
おまけに、途中で手を上げた業者の後を引き継ぐのはいろんな意味でリスクも高い。
とうとう、行き詰って途方にくれてしまった。
いろんな考えが頭の中をめぐった。
「もう、クビや、大阪に帰ろう」
でも、取りあえず、この現場をそのままにしておくわけには行かない。
他の店舗を工事している業者に東北で一番大きな業者さんはどこか聞いた。
その業者が教えてくれた会社は現場から200KM以上はなれた場所にあった。
「よし、取りあえず行こう。やるだけやってみよう」
僕はある業者さんの4WD車を借りて雪の中を出発した。
目的地までの間には峠をいくつも越えなければならない。
都心から30分も走ると山間が深く、大阪育ちの私は非常に不安になってきた。
あたりは真っ暗だ。それでも気合で峠道に入っていった。
行く先に明かりがぽつんと見えた。看板には「稲庭うどん」と書かれていた。
その日は何も食べていなかったので、取りあえずそこで食事をとることにした。
あったかい稲庭うどんは本当においしかった。なんとなく勇気もわいてきた。
お店の人に「○○までは車でどれぐらいかかりますか?」と聞いた。
「え?今から行くのですか?それは絶対に無理です。地元の人でも行きません。
危ないから止めた方が良いです」という旨の返事がやさしい東北弁で返ってきた。
それでも朝までには絶対に着かなければならない。
お店の人の制止を振り切って車に乗り込んだ。
でも、やはり雪がどんどん深くなりとうとう車は進めなくなってしまった。
僕は泣きたい気持ちで来た道を引き返した。
稲庭うどんの看板の明かりはすでに消えていた。
現場事務所まで戻って電車の時刻表を見た。
すると、なんと朝一番に僕が目指す地域に到着する電車があった。
はじめからこうすればよかった。
翌朝、目的の会社に到着して受付の人に
「○○の△△と言います。今日、出社される一番偉い人はどなたですか?」
と、聞いた。受付の人は一瞬びっくりしていたが、
「それは専務の○○です。もうすぐ出社します。」と教えてくれた。


長いので明日につづく・・・・・・・・