10‐4 したがって私は、それらのことであなたを過剰に悩ませたくないし、あなたを不必要に悔悛や断罪にさらせたくない。しかし、私にはあなたを容赦することも弁護することもできないある本当に重要な事柄がある。それは、私が上に言及した論文の中であなたが表明した発言で[1]、異教的であるばかりか、一切の異教と不敬虔を越えている発言である:すなわち、神は義理の母を持つという発言である。これほど冒涜的なものがあるだろうか。それほど不敬虔なことが、かつて異教の詩人たちの誰かによって一度でも言われたことがあるだろうか。その種の事柄を聖なる諸文書の中にあなたは見つけるか否かと尋ねることは、愚かな質問だろう。私は、ただ次のことを尋ねる:あなたのフラックスやマロー、プラウトゥスやテレンティウス[2]、あるいは、諸々の風刺の作家の誰かが、彼らのあらゆる不浄で下品な一切の発言の中で、神に対してそのような暴言を一度でも述べたことがあるだろうかと。疑いもなくあなたは、あなたが論文を宛てた少女がキリストの花嫁と言われていたことに惑わされた。それで彼女の肉による母は、神の義理の母と呼ばれるだろうと、あなたは考えたのである。あなたは、そのような事柄が肉の秩序に従って言われるのではなく、霊の恵みに従って言わるものであることを忘れていた。なぜなら婦人がキリストの花嫁と言われるのは、神のみ言葉が一種の神秘的な結婚において人間の魂に結ばれるときだからである。しかし、もしもいま話題になっている少女の母がその霊的な結合によってキリストに結びつけられているなら、彼女自身がキリストの花嫁と言われるべきで、神の義理の母と呼ばれるべきではない。ところがあなたは、その少女の父を神の義理の父と呼び、その少女の姉を神の義理の姉と呼び、あるいは、その少女自身を神の義理の娘ととで呼ぶところまで進んでいるようなものである。実のところあなたは、プラウトゥスやキケロの雄弁を完全に所有していると見せかけようとしたあまり、使徒が教会全体を、親たちと子どもたち、母たちと娘たち、兄弟姉妹たちのすべてをひとまとめにして、一人の乙女あるいは花嫁と言っていたのを忘れたのである。使徒は、「私は、まさにことのと、すなわち、あなた方を純潔な乙女として、キリストである一人の男に献げることに決めた[3]」と言っている。しかしあなたは、パウロの手引きではなく、ポルフュリオスの手引きに従っていることを自慢している。そしてポルフュリオスが、キリストと神に対する不敬虔で神聖冒涜的な数々の書物を書いたため、あなたは彼の手引きに従って、この冒涜の深淵に落ち込んでしまったのである。



[1] Ep. xxii. c. 20.

[2] Flaccus, Maro, Plautus, Terentius:既述の人物もいるが、委細省略。各自で調べよ。

[3] 2Co.11,2.

 

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