103 しかし我々は、彼が非難する他の諸々の事柄を見よう。彼は、目下の諸々の教説が異教に由来すると述べている。しかし彼は、その判断の中で自分自身を断罪している。彼は、それらの教説を異教的であると言う。しかし彼自身がそれらを自分の諸々の作品の中に組み込んでいる。彼は、その点で間違いを犯している。とはいえ我々は、彼に手を差し伸べるべきで、彼をあまりにも遠くの方まで押しやるべきではない。なぜなら彼は、自分の能弁の翼に乗って世界から完全に舞い上がり、毒舌と悪態の高潮に乗って自分自身を忘れてしまい、その理性はみずからの場所を失ったからである。私の兄弟よ、あなたを自分を不必要に断罪するほど性急になるべきでない。あなた自身が述べたように、あなたが、神の正義を弁護するために、そして、万物は偶然と宿命によって動かされると主張する人々に応えるためにそれらの事柄を書いたのなら、あなたもオリゲネスも共に、異教徒の仲間だと見なされることはない。たとえばあなたは、次のように言っている:万物を支配する神の摂理が正しいことを示す熱意に駆られて、不平等の諸々の原因は、個々の魂が天において持っていた以前の生活の諸々の情念と諸々の思いとによって惹き起こされたと、あなたは言った。また、善である独一であり不変である三位の特質にしたがって、あらゆる被造物は、万物の終極には、それが元に造られた状態に回復されると、あなたは言った。そしてそれは、すべての代々と等しい長さの罰の後に起こる。しかしその罰は、神が怒りに駆られた者の精神においてでなく、強制する者の精神においてそれぞれの被造物に科すものである。なぜなら神は、不正を呈するほど極端な方ではないからであると、あなたは言った。そして、人間たちを癒すことが勤めの医者のように、神は彼らの罰に終わりを置くだろうと、あなたは言った。あなたが以上において真実に語ったかどうかは、神に判断してもらおう。とにかく、それらの諸々の見解は、神に対する不敬虔をほとんど含んでおらず、異教的なものではまったくないように私に見える――特にそれらの見解が、神の義を正当化するための手段を見つける願望と意図とによって提出されたとすれば。

 

前へ  次へ