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2010/01/03

明けましておめでとうございます

このサイトも、間もなく開設から9年を迎えます。
旧態依然、ダラダラと更新するスタイルはそのままに、
これからもキーボードを叩けるうちは続けていこうと思いますので、
これからも宜しくお願いします。

2010/01/04

あんたらに浪漫はないのか!?

NHKの「龍馬伝」・・・初回を居間でみていたら、嫁さんが「9時からどいて」という。
何を観るのと思ったら、T1号、2号を従えてお笑い番組。
仕方なしに、診療所のハイビジョン(19インチ)チビスピーカーで、毛布にくるまって最後まで観た。

成長した龍馬がムッチャいい男。
「おうおう!龍馬、むっちゃ福山顔やで、お前の好みの男優やで!」
教えに行ってやったら、温かい部屋のテレビでは、ウエシマが辛いものを食ってか泣いていた。

「ば〜か。それがマッさんよ。似てるどころか、本物よ。見逃すワケないじゃない ケッ!」
嫁さんは、自分の、ビデオでマッさんを録画しながら、温かいコタツで石油の暖房でお笑い番組。

俺は毛布に包まって正月の残りのカマボコ食いながら膝を抱えて幕末。
銃刀法違反の先祖の脇差を添えて・・・。

「パパァ〜石油が終わった〜!!」
泣きながら温かい部屋のファンヒーターのタンクを俺が補充した。
NHKだからコマーシャルがない。イイトコを見逃したぜよ。

ってか、坂の上の雲やら、これとか、NHK万歳〜〜!

2010/01/05

連鎖反応

洗濯機が突然壊れた。何の前触れもなしに・・・。
我が家の洗濯機は2槽式。洗濯物の量が半端じゃないから、全自動だと何回でも
最初からせねばならない。洗いながら、隣で脱水して、また次のを洗い始めて干しに行く。
柔道着なんか洗うのは大変だ。それが何着もある。

調べたら、買ってから7年。その前のが8年。ま、寿命か・・・。酷使してるし・・・。

たちまち、洗い終わった4回目、最後の洗濯物を脱水しようとした時、脱水槽が壊れた。
水がしたたる柔道着を始め、診療所のタオルもドボドボのまま。

ま、タオルやらTシャツなんかは俺が搾れば脱水機より固く搾れるが、柔道着はそうはいかない。
いつも見過ごすコインランドリィへ・・・。20数年ぶりのコインランドリィ。
いやはや、ハイテクになっている。洗剤も自動で出るらしい。
ってか、脱水専門の機械なんかあるはずもなく、また洗いなおさないと脱水までたどりつけない。
これが、柔道着1着だけだから一番小さい洗濯機で400円。高くなったんだなぁ。
乾燥機が9分で100円。こちらを選ぶ。300円入れて27分。ふっくら仕上げと書いてある。
除菌・ふっくら仕上げのフカフカ柔道着。大笑いしてしまった。

新しい洗濯機を買わなければならない。分解して裏からいじれば、延命はできるだろうが、
焦げ臭いにおいがしてきたし、コンセントを抜いた。
便利な世の中になったものである。インターネットでジョーシンのサイトを観たら、
「翌日配達対象商品」なるものがある。
洗濯機なんぞ、色もデザインもどうでもいいものである。回ればいいのだ。
T1号が柔道を引退したから、洗う柔道着の数も減ったし、嫁さんの希望で、
今回、初めて全自動洗濯機を注文してみた。

なんと、今まで買い物してきたカードにけっこうなポイントがたまっていたからそれも使う。
カートに入れて送ったら、30分もしないうちに、「明日お届けします」のメールがきた。
届けたら、壊れたヤツも持って帰ってくれるらしい。

これがテレビとかステレオだったら届くまでワクワクだが、洗濯機じゃときめかない。

明日届くということだから、掃除をしなきゃと婆さんが言いだす。
そりゃごもっとも。7年間分のホコリがたぶん下には積ってるハズだから。
壊れた洗濯機をどけて、ウヒョ〜こりゃヒドイと思っていたら、
婆さんがついでだから下のフロアカーペットも貼り替えようと言いだし、
早速 平和堂で切り売りのカーペットを買ってきた。

本格的なリフォームになってしまった。洗面台をどうにかしなきゃ古いカーペットが剥がせない。
試しに、その洗面台をゴィとしたら、腐食していたのであろう、壁から出ている水道管がポキリと折れた。

ブシャー〜〜と冷たい水が噴き出した。ヒ〜〜と、ずぶ濡れで外の元栓を閉めに走る。
どうみても、俺の技術では修理できそうもない。スポ少父兄の水道屋に電話したら、
家族旅行中らしく、誰も出ない。

インターネットで調べたら「年中無休24時間OK!」の「ヘル110番」というのがみつかった。
フリーダイヤルしてみたら、あなたの地域の営業所に転送します。と、最寄りの事務所につながった。

症状を説明したら、1時間で駆けつけてくれた。すごい時代である。

「業者が来るんじゃキレイにしとかなきゃ」と、婆さんが隣の風呂を掃除しようとする。
元栓しまってるのに、先ず、風呂の栓を抜きやがった。
あ〜〜!慌てて栓を元に戻す俺。
直るまでは、トイレの水で困るやろ! 「あんた頭いいね〜。」暢気なものである。
診療所で患者さんがトイレを使うと、バケツに半分、風呂から汲んできて上から注ぐ。
同じ要領を子供たちにも説明して、使ったら補充させる。

カーペットを剥がそうとした時に、腐った床板も数か所一緒にくっついてくるし、
明日から、昼休みは大工やら左官やら・・・

しかし、客が帰ったあとで良かった〜 とんだお年玉をもらってしまった。

2010/01/06

やる時はやるよ。俺は・・・

施行後

緊急事態だから、施行前の写真を取り損ねた。
夜中の2時まで、ノコギリやらドライバーを振り回してデコボコの床をリニューアルした。
後は、届いた洗濯機を奥に据え付けるだけ。

2010/01/08

洗濯哀歌

↓の奥に最新式の我が家始まって以来の「全自動洗濯機」が届いた。
そりゃもう凄い。洗濯槽が、洗濯物を入れられた重さを測って水の量を決めるとか、
洗い終わったら、「大量の風を吹き込んで部屋干し時間短縮」とか、

が、婆さん「こんな難しい洗濯機・・・ヤダね・・・。」
昼飯時に、台所に重々しい物体が下げてある。タライで手洗いして、
己の手で搾って干したらしい。昭和初期に逆戻り。
干した洗濯物からポタポタ滴ってる始末。

見かねて、新型洗濯機「脱水コース」で俺が脱水して、干してやったもんだから哀歌

仕事から帰った嫁さん、「グッド・ジャブ!」これからは、パパに任せて安心ね。と来た。
しまい風呂の嫁さんが最後のパンテーを洗濯機に放り込んで風呂に入る。
「洗濯を体験してみろ」と言われて、重さに応じた粉を洗濯機の引き出しに。

粉の箱に入っていたスプ〜ンで山盛り装填してボタンを押す。

嫁さんが出てくる頃には洗濯が終わる。プレ洗浄とかフックラとか、説明書には色々書いてあるが、
ってか、おぅおぅ、泡があわが〜!あ、アブク・・コレどないしたろか・・!?
裸で風呂から飛び出してきた嫁が、粉の入れすぎだという。寒さに震えながら。

アンタには任せておけないと、仰せつかったこれからの役職は、「干し係

で、その干し係、やったらやったで、Tシャツの肩が伸びるとか、靴下がどうたらこうたら・・・。
「もう、しなくてもイイです。」と言われてしまった。  乾けばええんやろ?

床の大改修、それに伴う大出費は、誰も評価してくれなかった・・・。

2010/01/11

成人の日

T1号、2号、今年も村の若衆の新年会。2人とも 角入り、元服という儀式を終えたから、
今年はもう、俺は行かなくていい。ここ三年間はスーツ着て、ネクタイ締めて若衆の会長を前に、
大人の仲間入りさせてもらう挨拶をしに行ってた。中学生なのにもう成人扱いされる儀式。
酒も飲まされる。会長のトコには、中学校から「飲酒はほどほどにさせてあげてください。」というお達しがくる。

会長といっても、二十代後半なんだが、ここでは、頭を下げてお願いする。
まぁ、順番だからしょうがない。俺が元服したころは、その会長さんの親の世代が会長だった。
んで、俺が会長だったころ、今の会長がその親に伴われて入会してきた。
巡り巡って因果応報。

昔は入会の前日、当日、そして後日 若衆のいる家にあいさつ回りに行かなければならない。
その年に中学生になる、まだ六年生が・・・。
「明日、角入りさせてもらうTarouです。何もわかりませんが、これからご指導ご鞭撻のほどを・・・。」
と、親に書いてもらったマニュアルを何回も読み返しながら挨拶に回る。
すると、迎える家も、クソ早いのに起きてきて「それはそれはおめでとぷございます・・・。」と、
正座して迎えてくれる。
三日間、俺の時は入会が俺一人。さびしく朝の5時、雪をかき分けながら回ったものだ。
小学六年生から、三十代までの縦社会。上の命令には絶対服従。
「ウィスキーをオンザロックにするからツララをとってこい!」とか、
酒の燗が熱すぎるとかぬるいとか・・・。
用意すりゃ飲まされるし・・・。ゲロばかり吐いていた。

ところが、今は朝の9時、今日入会するハルが、回ってきた。もう太陽が昇っている。
それを当日の一回でいいことになった。
だいたい、会長にしても、あまり酒を飲まない。
こんなウザい行事はさっさと終えて、遊びに行かなきゃならないから・・・。

今年は神社の春祭りで神輿の当番が当たっている。
二基あるうちの 卯の鳥 、もうひとつの 擬宝珠より倍ほど重い。
若衆がメインになる行事です。
が、今回、ハルが入会するし、サダ、T1号、2号、柔道の力持ちが四隅を荷う。(ことになるであろう)
もう若衆をとっくに卒業した俺なんか、ぶら下がっていればお旅所まで行ける^^

合併後、どちらかというと都市部の地区のスタイルにに合わせて、
神輿を台車に乗せて引っ張ろうという声もあるが、
神様の宿った重い神輿を担いでナンボやろ。と、こっち、農村部は、
神輿で練り歩く。血沸き肉躍る。

前回はまだ2人とも子ども神輿の五年前。

2010/01/12

やっと平常の生活・・・

まぁ〜暮から新年、で、成人式まで、一年で一番苦しい時期が終わった!
客呼びの囲炉裏から自警団年末夜警、洗濯機ぶっ壊れ、リオフォーム、
嫁さんにそれぞれ命令される。「めんどくせぇ〜」とか言ったくらいなら、
「出ていってもらうよ!」とか言われてしまう。
こんな寒空に追い出されたら行き場もないし、ごめんなさいと謝り指示に従う。

でもな、ファンヒーターの油がなくなったら、そんなもん、昔は子供が給油の仕事だったやん。
(我が家では)
その灯油がなくなったら、セルフの店に、ポリタンクで灯油を買いに行く。
「そんなもん、ガキを連れていって、やらせて車に積ませりゃいいじゃん。」
「みんな忙しいのよ!グダグダ言ってると出ていってもらうよ!」

それを言われちゃたまらない。追い出されたら行き場がない。
柔道で挑んでも、たぶん嫁さんには&子供達には勝てない。

泣く泣く、ポリタンクにセルフで給油して、家のストーブに移して、
が、嫁も平常通勤、子供も新学期、また診療所で王様になった。

ってか、ストーブの給油とか、自転車の外れたチィェーンのハメ方とか、
囲炉裏の火の起こし方とか、水道の栓のパッキンの交換方法とか、
若くして成人を迎えてるガキ共に伝えようとしても、
ガキも嫁さんも、どこ吹く風状態、。

俺なんか、幼いころ、親父に刀の研ぎ方から教わったのに・・・。
で、格は下がるが包丁の研ぎ方を教えようとしたら、
県大会が近いのに、手を切ったらどうするの?とか怒られる。

くやしいから、家じゅうの刃物を、寄らば切るのごとく研いでやった。
包丁なのに、カッターナイフより鋭く切れる。
婆さんが何も知らず赤カブらを切り刻む。
「この包丁、今日は機嫌がいいねぇ〜〜。」

また今年も追い出されなくて済みそうだ。

2010/01/14

我らが消防自警団

もう、人生の半分ぐらい自警団。なんせ小さい集落だから、最低人数を維持せねばならない。
よその在所は5年も勤めりゃ勇退なのに、ここでは、冗談で「自分の、倅と交代だ。」と言われてる。
それも冗談ではなくなってきた。
規約 (いい加減なものだが・・・)もうとっくに卒業の年齢なのに、下が入ってこない。
抜けたら、消防ポンプの操作もわからないようなペーペーが班長になってしまう。

留年組三人で話し合って、それぞれであと3年班長をして、その間に下を育てよう。ということになった。
ん・・・そしたらT1号が18歳やん。就職ともなれば、たちまち入団年齢だ。息子と交代にもなりかねない。

自営業でいつも村にいるのは、俺ともう一人の2人だけだし、
イザとなったら、消防署が来るまでの間近所の老人、女を指揮して初期消火活動せなあかん。
俺なんか、真っ暗闇でも手探りでポンプ操作できるぞ。

と、若い子に、この前の出初式の後、ポンプの操作を教えるのだが、
みんな自働車にも乗ってるくせに構造がわからない。
キーを回せば動いてくれるわけではない。寒い時はチョーク。
真空をかけて水利から水を揚げる。給水圧、送水圧も調節しなきゃ筒先の人が跳ね飛ばされる。
筒先が、ホースを放したぐらいなら、真鍮の重い先端が怒り狂った龍のごとく暴れまわる。

エンジン音、騒音で、人の声なんか聞こえない。手信号で「送水始め!」とか、
実際、何十回も現場も体験してきた。

行方不明の人を探しに山にも入った。腐った死体も何個も見てきた。
野獣の捕獲とかも・・。

さて・・・今の子らに・・・どうやって伝えて引退していこうか・・。
なんか、3番員(機関員)の俺は、引退してもハッピだけは残されそうだ。
自営業である限り、足腰が立たなくなるまで自警団。

2010/01/17

鎮魂歌。あの朝も寒かった・・・

15年前の今日の明け方・・・。「ドゴッ!!」という突き上げで目が覚めた。
生後数カ月のT1号を挟んで、親子三人で川の字に寝ていた時・・・。
頭の上にあるデカイ洋服ダンスが暴れて両開きの扉がパカ〜〜ン!と開いた。

下の階にダンプカーでも突っ込んだのかと思い、凍るような階段を裸足で駆け降りる。
んで余震・・・。階段でもみくちゃにされながら寝ぼけながら無事に階下へ・・。
ダンプはいないし、夜空には満月。積雪は堅く凍りついてる。

何が起こったかわからない。
寝ぼけたのかと思い、また寝ちゃう。

七時に起きて、テレビを点ける。速報が・・・。
何ぞ!!信じられない光景が・・・。
「た、ただいま確認されているだけでも四百数十名の死亡が確認され・・・」
アナウンサーがアタフタとしゃべってる。ヘリからの画像が写る。街が燃えてる。
どこや!これどこの街や!?

「三ノ宮からの中継です。無残に駅舎が倒壊し・・・」
その後、仕事しながらテレビに釘付け。
「死者が六百数十名・・・。」とかいいながら、ポートピアの液状化をヘリが写す。

こりゃ普通じゃないぞ!! 初めて明け方の突き上げが夢じゃないと気がつく。
時間がたつにつれテレビの速報が信じられない画像を映す。
阪神高速が裏返っている。千切れた道の縁にバスが引っ掛かってる。
「ただ今の情報では確認されてるだけで死者は八百数十人・・。」

なんか、えらいことが起きてる・・・。テレビに釘付けになってたら朝一の患者さん。
「あの揺れで飛び起きて、外のプロパンの元栓を締めに出たら、
凍った路面ですっ転んだ・・・。」
もう、名誉の負傷である。俺なんか、自警団のくせに、二度寝決め込んでた。
仕事そっちのけで、みんなでテレビを見る。ビルが倒れている。長田区が燃えている。
駅が潰れている・・・。
死者が千人を超える・・・。

戦争を知らない子供達である俺たちが、初めて見る異様な風景・・・。

・・・続く。

2010/01/18

鎮魂歌。あの朝も寒かった・・・U

ふと思い、 過去のTop Mail を調べたら、
同じような日記?が書かれていた。

02/01/17
阪神大震災から7年・・・。早いものである。我家も結構揺れた。
寝ていた部屋の洋服ダンスの扉が「バカーン!」と開いて、大きな地響きがこだました。
さすがの俺も目を覚ました。収まると同時に、また寝てしまったが・・・。
その日の朝、何人も新しい患者さんが来た。
地震で飛び起きて、外のガスボンベ(田舎は、未だにプロパン)の元栓を締めに走り出て、
凍った地面で滑って転んだ英雄達である。
日ごろ、自警団として訓練されてるはずの俺が、暖かい布団にしがみついていた時間だというのに・・・。
自警団=飲み会ではいかんのだ。
最初、テレビも、死者約400人と言ってたが、時間を追うごとに、映像も激しくなって、
倒れた阪神高速を見た時、事の重大さがようやく分かる。ただ事ではない・・・。
何日か後、県から要請が来て、医療品を積んで、単車で現場に行かされたが、
まだくすぶるガレキの山、地割れからはみ出した赤土、
目にも鮮やかなブルーシート。不気味な静けさとは裏腹に指揮系統が混乱していて、何もしないで帰ってきた。
単車で乗り越えたガレキの下に、下敷きになった人がいたかも知れない。いかにも無力である。
あの時の寒さは忘れはしない。忘れられない。
あれから7年。俺が暖かい布団にくるまってヌクヌクしている時、多くの人間が死んだ。
多くは、苦しむ間もない圧死だと聞くが、或る時、突然に生命を絶たれた者達に対して、
果たして、生き残った者は、如何に報いるべきか・・・。

八年前に書いたもの・・・。表現には多少違いはあるが、昨日の作文とほぼ同じ内容。
文章力もまったく進歩してないのがわかった。

ってか、バイクで物資を運んだのだ。
県から、単車に乗れる者に要請が来て、乗れるもんだから名乗りをあげたら、
草津(滋賀県の)のレンタルバイク屋にオフロードバイクが用意されてるから、
大津の会館で物資(包帯やら、水、消毒薬etc・・・を受け取って走れ・・・。
回線も途切れがちだし、もちろん携帯電話も普及していない(俺は持っていなかった)し、
わけもわからず電車で草津に行き、バイク屋で250tのオフロードバイクを受け取り、
大津で大きな重いダンボール箱を受け取り、荷台に括り付けて、イザ西へ・・・。

耐寒ツーリングの経験あるから、装備は万全。キルティングの下着2枚、トレーナー2枚、
MA-1も2枚、その上に皮ジャン2枚・・・。
身体が細いから重ね着は得意中の得意。

そのいでたちでJRに乗る。もうムッシュ・ビバンタムである。
足には自警団の鉄板入りの長靴。
でも恥ずかしくない。東海道線は京都より西には走れないから、往復運転。乗客は少ない。
他の人もポリタンクを3個も持っていたり、米袋を担いでいたり、
なんか戦後の汽車みたいだ。

草津で降りてバイクを受け取る。大津で物資を受けとり、荷台に括り付ける。
アクセルをラフに開けるとたちまちウィリーしそう。

西に向かう。テレビで見た光景はホンマかいな?と思いつつ走る。
が、大阪を過ぎるとアワワワワ・・・。
遠くに煙が立ち上っている。車はギッシリと渋滞している。
人なんかいないハズの道を行列が右往左往歩いている。
更に西に向かう。橋を渡れば目的地・・・。
が、橋が無い。
迂回して他の橋を探す。あったあったと車をすり抜けて近づくと、
なんと段差が50cmぐらいある。

でも、物資を運んでると見られるから、道行く人がみんなで、
俺のバイクを段差に押し上げてくれる。
その繰り返しで指定場所に辿り着いたけど、
キャンプは混乱してるし、指揮系統もメチャクャ。
そりゃ仕方がない。被災から数日してるのに素足の子供がブルーシートにくるまって、
寒さをしのいでいる。その親はまだ寝巻姿のまま、ダンボールをかぶっている。

しかしやっぱり日本人。そんな状態なのに、みんなが俺のバイクを押したり引いたりして、先へ進めてくれる。
荷台の救援物資を奪おうなんて人は一人もいない。
バイクに積める物資なんかタカがしれてる。
その場その場で、固形燃料やら水を渡してたら、目的地に着いた時には包帯しか残っていなかった。

帰り道、所々で停まり、バイクにブルーシートをかぶせて、
排気ガス臭いけど簡易温室を作ってエンジンの熱で子供達を温めて、
ガソリンの残量が怪しくなってきたのでリザーブに切り替えて、泣く泣く帰ってきた。

探したら、当時の号外が出てきた。まだ関西大震災という名前だったんだぁ〜。

同時期、ヨルダン川西岸、パレスチナなんかじゃ、小学校の授業で、
「ここにユダヤ人が8人います。5人殺したら残りは何人でしょう?」
と、先生が算数の時間に問題を出す。
は〜〜いと、手を挙げた子を先生が指名すると、
「僕だったら皆殺しにします。」
「ハイ。よくできました。正解です。」ってなもんらしい。

日本人でよかった・・・。

続く・・・。

2010/01/19

鎮魂歌。あの朝も寒かった・・・V

すぐ近所に、スマート・インターチェンジができることになった。
名神高速では、この彦根〜八日市 間が、21.3Kmと、もっとも長い。
すぐ近くを走ってるくせに、乗るには十数キロ走らないと、上りも下りも入れない。
ついこの前起工式。完成は3年後!!?
なんやねん!パーキングにETCで入れるようにするだけで3年!?
しかも、計画から30年・・・。企業誘致に失敗するわけよ。

神戸を見てみろ。一ヶ月で、倒れた高速も撤去されたし、仮設住宅だってあっという間に建てられたじゃん!
やる気があれば日本の技術はすごいのに、ゼネコン汚職やら、手抜き工事やら・・・。

しかし神戸はすごい。その後何回も行く機会あったけど、道路やら歩道に、
ここに水道管がありますとか、都市ガスはこの下とか、
ライフラインの場所がすぐわかるようにマーキングされてる。

高齢者の仮設住宅での孤独死とか、問題も騒がれたけど、
被災者に怒られるかもしれないけど、
もう、あれはあれで、最善の処置というか、行政、国民の共同作業だったと思う。
近所のホームセンターなんか、在庫のポリタンクを全部飲料水用に寄付しちゃうし、
もう我々が買うポリタンクがどこにもない。
2個しかないポリタンクで、買い置きもできず、しょっちゅう灯油を買いに行った記憶がある。

向こうに見える名神高速、望遠鏡で見ると自衛隊の車両やら、
いかにも、救援に向かうっぽい車が往復してる。
ウチも新しい毛布10枚と、T1号のための買い置きのオムツを全部送った。
そしたら、T1のオムツがどこにも売っていない。みんな神戸に行ってしまったらしい。
お婆さんが晒で、昔の布おむつを作ってくれた。
日本中の人が、関西に、神戸に力を分けてくれました。ありがとうございました。
あれから15年、オムツのT1号も、腹の中にいたT2号も、とうとう婆さん、母さんを追い抜いて、
俺に迫る高さになってきました

そう、被災地で震災の前後に産まれた赤ん坊が、今、高校受験だったり、高校生だったり・・・。
不良なんかいないんだろうなぁ〜。   阪神淡路震災シリーズ 完

2010/01/20

涙 ながすときには
ひっそりと 戸を閉めて
でも ながした 涙のぶんだけ
戸のなかで
大きな人になって
戻っておいで (杉本深由起)

その通り・・・。涙は見せたくないけど、
人知れず流した涙が人を強くする。

昨日、やっちゃいかんと思いつつも、
珍しくT2号がスポ少に顔を出したもんだから、乱取りをしてしまった。

そりゃもう強くなったのはうれしいけど・・・。

我 布団にひれ伏し ひとりかもねむ

スポ少の先生を、なにも 父兄の見てる目の前で、小学生の見ている前で
投げんでもええやろが!嬉しいやら悲しいやら・・・
このKYめ!空気を読め!

その辺はまだガキやな・・・。今日はこのへんにしといTarou・・・

2010/01/23

見切り発車

1日に滋賀県北部で、市町村合併があった。
長浜市を中心として、北のはずれの町、村まで。
が、もう不具合。
先の大雪で、「長浜市柳ヶ瀬で積雪86cmとか報道するもんだから、
市街地の観光スポットに次々にキャンセルが入った。

で、これからは、長浜市余呉柳ヶ瀬で積雪が・・・と報道しろと苦情が出て、
そうすることに決めたらしい。

だいたい、合併もいいが、喜んでいるのは地名表示を作る看板屋と、
ゴム印作るハンコ屋だけちゃうけ!?

隣の東近江なんか、琵琶湖のほとりから、鈴鹿の山奥までがひとつになってしまった。
「東近江市綾瀬の交差点で渋滞が何キロ・・・」とかの交通情報が流れてもドコだかわからない。
もうちょっと地名を考えて命名すりゃよいのに・・・。

お上は、そういうことがわからないんだな。長浜も同じ轍を踏んだ。
ウチなんか、合併の時、住所が一文字変わっただけで、事務用のゴム印、全部作り直しだった。
役場は支所と名前を変えて、大事な手続きはそこじゃできなくなるし、

街灯の球が切れても、いつまででもそのままだし、名付けて平成の大合併ならぬ「平成の大失敗」だ。
広域消防も管轄がメチャクチャ。
あそこに煙が見えていても、本部に尋ねると「管轄が違うから出動要請はありません。」という。

東南海地震が叫ばれてる今日、逆行してるとしか思えない。

2010/01/24

なにもない日曜日

去年の暮から続いて、初めて訪れた何もない日曜日。
嬉しくて朝の7:30に起きてしまった。
家じゅうの乗り物を磨き洗い、掃除機をかけまわり、
撮りだめした映画を見て、お昼寝もして・・・。
嫁さんと婆さんは、婦人会とか老人会で一日いないし、
T2号は部活だし。
T1号とセブンイレブンで、一番高いカップラーメンを買ってきて、
下手なラーメン屋より旨いのを食って、T1が焼いた目玉焼き食って。
そりゃもう、これ以上はないという優雅な日曜日。
午後6時には、もう、することがない。
女が帰ってきたら風呂を用意してもらって入って寝るだけ。
これじゃもったいないから、写真を撮ってみた。

あちこちに散らばっている楽器を集めて・・・。
時計回りに、連合艦隊旗艦の「すずらん」、「バンジ男」、「H&K PSG-1スナイパーライフル」、「クロンボ」、
「イカロス」、「アダマス」、「もらいもの」、小さいけど「コニシキ」、「マンドリル」、「MX-177突撃銃」、
「粗大ごみハミングバード」、「春日」・・・。

もうちょいあるが、ピアニカとか、キーボードとか、
貸したまま帰ってこないエレキギターとか、拳銃各種とか、
並びきれないのでこれだけ並べてみた。おお!総額数百万!

と、カメラで構えていたら、婦人会で疲れ切った嫁さんが帰ってきた。
怒る怒る・・「私が婦人会でど〜たらこ〜たら・・・」
「それをパパはこんな遊びして・・・」

「い、いや・・遊びっていうか、久々のお休みやし、掃除がてらにチョィと・・・」

「この前は電車並べて遊んでるし!」
「あ、あれは、電車じゃなくて蒸気機関車でパンタグラフがなくても・・・」

そんな話は通じない。ただの「オモチャ」だとぬかしやがった。
あの人は、オタク族がこういうアイテムで癒されるのを知らない・・・。

こんなもんで亭主が至福を感じてりゃ喜べ!
パチンコも競馬もしない、宝くじも買わない堅実家のささやかな・・・

そんなもん買うお金があったら、乾燥機買ってヨ!」

そう。我が家ではこの前から連鎖反応で床が抜け、洗濯機が壊れ、
ガス湯沸かし器が壊れ数日前には乾燥機が壊れた。
私はどうしたらいいんでしょう?

2010/01/25

お父さん〜〜

「お父さん〜〜、髭剃り貸して・・・。」
おおぉ!
チンコの毛がポヤポヤは知っていたが、髭か!
お父さん大喜び。BRAUNの凄いのを貸してやった。

台所で使っている。陰で音を聞いていると「ピン   ピン・・・」

「お前なぁ、鏡を見ながらやるんだぜ。」

「あ、なるほど〜」 洗面所に移る。

ピン   ピン・・・でもやはり、音は情けない。
俺が使ったくらいなら、周りに新聞紙を置いて、
飛び散らないようにして剃らないと、アスベスト公害みたいになる。

嫁さんの靴下を突き抜けて足に刺さったり、
婆さんが外した入れ歯の隙間に刺さっていたり、

この前、実験した。
左の顎の下の髭を剃り残して1cmまで育てて抜いた。

それをつまんで、おもむろに消しゴムに突きさしたら、見事刺さった。
T1、T2が、こんなんになったらイヤだ。

ってか、あいつらがまだまだ小さい頃、髭グリグリでいじめたのが悪いのか、
なんか俺を避けている中学2、3年生。
嫌われついでに、今度、寝技でこの顎鬚を奴らのお腹にグリグリしてやる!

地獄絵図 なんの因果で この親に 父に乗られて 顎攻撃

2010/01/26

久しぶりに叩き起こされる

「パパ〜!パパ〜!」
頭をガシガシと嫁さんに叩かれて目が覚めた。枕元の目覚まし時計はもう鳴り終わっていた。
「ここは誰?私はいつ?」 状態。
起きた時の体勢が、下を向いて丸くなったアルマジロ。
しかも、ケラケラ笑っていたという。

そりゃ、この大男が下を向いて丸くなって、大いびきではないにしても、ケラケラ笑っている。
クモ膜下出血とか疑ったのであろう。

そしたら、叩き起こされて飛び起きた俺の第一声が、
「あのホタテ、普通じゃ考えられないヤロ!」  らしい・・・。
聞いて、思い返しても、夢が思い出せない。
丸くなって、ケラケラ笑って、普通じゃないホタテ・・・。

もう一度丸くなって、布団をかぶせてもらい、ホタテをイメージしたが、
答えはナッシング。
夕べ、寝る前に掲示板に北海道に関するカキコしたから、
その余波であろう・・・。
しかし・・・「普通じゃ考えられないホタテ」って・・・。
笑っちゃうようなホタテを目の前にして、身体を折り曲げて大笑いしてたのであろう。
と、プロファイリング。

・・・幸せなんでしょうね・・・俺って・・・。

※追記
思い出した。学生の頃、網走から紋別に向かう途中、
長距離トラックしか停まっていない大衆食堂。
店先でオバチャンがカニをゆでてる。のれんをくぐって、
写真も何もない、メニューもない、壁に筆書きで品が書いてある。
「ホタテラーメン」450円
これを頼んだ。そしたら、普通じゃ考えられないホタテが乗ってきた。
直径7pぐらいの貝柱がドンブリ一杯に並んでる。麺が見えない。
そしたら、外でカニをゆでてたお婆さんが、俺のドンブリに、
タラバだか、花咲だかわからないけど、その足を20本ぐらい投げ込んだ。
普通じゃ考えられない・・・。
割りばしで、筋の最後までほじくり返して、汁も数十個のホタテも、
死に物狂いで食った。で、450円。当時は消費税もない。

その後クルクル周って、知床で、驚異のイクラ丼@500円で、
死ぬほど食わされた。飯よりイクラのほうが3倍多い。
店を出るときに、1メートルぐらいのワカメを5枚渡された。

そりゃもう、ケチな関西感覚では、土産品の押し売り。
「いくらでっか?」と聞いたら
「たくらんけ!ぺったらこいほろうみったくないほれむりくりまるまんまうるかすだはんこくでね・・・。」
その時のお婆ちゃんの言葉を書きうつしたメモが出てきた。

誰か訳をお願いします。

が、自分なりに訳してみた。
「企んでいるのけ!甘い恋見たくない ほれムクムク丸出しだハンコくれ。」
ん〜腰の曲がった婆さんが客に言う言葉じゃないな・・・・。

2010/01/27

「睡眠」を考察する

だいたい人生の三分の一、もしくは四分の一寝てる。
楽しく寝なきゃ損である。夕べの俺がそう。笑いながら寝てた。
んで、考察してみた。
4時間も寝れば、俺の場合睡眠時間は充分。
ほとんど夢を見ないか、見るとしたらたいがい楽しい夢。

ところがここ数日、明け方とか真夜中に寒さで目を覚ましていた。
寒がりになった俺の為に嫁さんが、上等の毛布を買ってきてくれたのが始まり。。。
下から順に上等な毛布、今までの毛布、そして掛け布団になるわけだが、
寒さに目を覚ますと、上等毛布が左に、今までの毛布が右に逃げてる。
毛布の毛並みの関係でお互いが喧嘩するようだ。
二枚をを逆にしてみる。今度は上等が右に、普通毛布が左に逃げて、寒さに目覚める。

今度は上下を逆さまにしてみる。
寒さと息苦しさで目が覚める。一枚の毛布は下にずり落ちて足より外にいる。
もう一枚がずり上がって顔に巻きついてる。その暗闇の中でもがいている。
身体にかかっているのは、布団一枚。

んで、いっそのこと、上等毛布一枚にして、布団の上にもう一枚、
我が家で一番古い重たい重たい布団をかけてみた。当然丈は短い。
春の粗大ごみの日に出そうとしていたやつ。
いまの布団より25pぐらい短い。俺の身長だと脛から下がはみ出す。でもそんなの関係ねぇ。

これがよかった。この重さ・・・なんという安心感。亀の甲羅を背負ったような信頼感。
試しに中で二転三転してもまったく動かない。
まるで母に抱かれし赤子のように眠る。室温2度でも、お布団中は春の暖かさ。
そりゃいい夢見るよな〜。
嫁さんは羽毛布団派だけど、あんなもん、信用できない。どこに飛ぶかわかりゃしない。

今朝は目覚ましが鳴る前に目が覚めた。布団がしっかり俺をくるんでいてくれた。
中から手を伸ばし、外に並べたズボンやら白衣を引きずりこむ。
中で動き回っても、一番上の重たい布団がガッシリとポジションを崩さない。

ノホ〜んと10分間、手の届くとこにあるCDラジカセにスィッチを入れて、まどろみタイム。
今朝は、ケニー・ロギンスに送られて、通勤時間10秒の仕事場へ・・・。

次回予告。
日記的なトップページも飽きてきたので、社会問題から・・・
って、難しい国会答弁のような猿芝居じゃなく、偉そうに語っていこうと思う。

2010/01/28

成長という物語・・・愚痴シリーズT

T1号。間もなくお受験だ。自分が高校受験の頃どんな精神状態だったか・・・。
たぶん何も考えていない。バブルに突入の、世の中が浮きに浮かれた時代だし。
のほほ〜んと普通科を受けて、普通に合格して、自由な校風が自慢の高校で、
のらりくらり生活して、バイトで金持だし、なんでもできる気がしてた。

それがT1号。工業系が第一志望。「物を創りたい。」という。
なんとも頼もしい。
が、慢性の不況、政治不信、失業者の自殺、そんな記事ばかりが新聞に載る。
受験生だから、それらも目を通せと言われてるらしい。

自分の将来に不安を感じているはずだ。
俺の仕事は一子相伝だし、無理に勧める気もさらさらない。
気が無い者が無理やりやらされて勤まるものでもない。
「電子工学科」かっこいいじゃありませんか。頑張ってほしい。

ということで、本題。
俺たちバブルに弄ばれた85年革命の生贄たち

価値観逆転の時代に”旧世代”精神を担わされた悲劇の子供たち。
その年は、精神史上、一大転換期になった時代。
国家より個人、心よりモノ、仕事より趣味、愛より快楽。

世間がそのような風潮。国自体がが浮かれて若者をあおった。
戦後の苦しい時代を生き抜いた親たちは面白くない。
己の子供たちを親が、また社会が「三無い主義」 無気力、無責任、無関心、
はたまた、 無感動、無抵抗、無批判、無能力、無作法、無学力
無教養、無節操、無定見、無思想・・・きりがない。

いざなぎ景気に浮かれて、蝶よ花よで育てておいて、
親の手の届かないトコに子供が成長したならば、

自分の頃は、食えない、物ない、遊べない だったとか苦労話を聞かせる。
バブルに浮かれて、内定をいくつも貰い、
選んで入った企業からは、バブリー社員とか言われて邪魔者扱い。
上司と、やる気のない部下との狭間であえいでるのが俺たち85年革命の生贄たち

安田講堂で大義名分を唱えてゲバ棒振り回して正義を主張していたような上司、
下手に怒ると辞めちゃう部下、挟まれて、みんな泣いている。

それが、これから子供に金がかかるようになるんすよ。
それを政治家ときたら何千万とか何億という金を・・・「知りませんでした。」
んじゃ、知ってる金はナンボやねん!!

次回は、流行した音楽にからめて社会を愚痴る。

2010/01/29

悪代官・・・愚痴シリーズU

T1号。この前俺が時代劇を見ていたら、

○沢にこの変なヘルメットかぶせたら、そのまんま当たり役やな・・。という。

お決まりの、「お主も悪よのう」という 夜、悪代官の屋敷において悪徳商人(ほとんど廻船問屋)との企みに、
悪徳商人から袖の下を詰めた菓子箱を渡された状況。「これはこれは旨そうな饅頭よのぉ〜。」
いやいや、お代官様ほどでは…」と、廻船問屋が応える。
そのあとに女郎がクルクル回る。

そうやな・・・○沢に、あのカブトムシみたいなヘルメットかぶせてみたいな。(兜やろ・・・)
んで廻船問屋は鳩○か??笑いが止まらん。目が泳いでいるし・・・。
予算決めてるのに亀○はアクビしてるし・・・。

まぁ、あれは大袈裟な表現だろう。真面目な代官様だってたくさんいたはずだ。
一部の不良のために、しかもそれがトップだったりすると政治不信は募るばかり。
だから、俺はまったく政治とか宗教は客観的にしか見ない。
吉田茂、田中角栄、小泉純一郎だけは、好き。

ということで、本題。

時代の表現者たち・・・

消費と自己実現が結びつき、来たるべきバブル期に向かって、快楽的メンタリティが日本を覆っていた80年代、
芸能界には大きな変化が訪れる。アイドルは記号化し、タレントはマスコミのカラクリを暴露し始める。
そんな「軽さ」とは相容れない層から支持が・・・それが!
俺たちが愛した 尾崎 豊 だが、それゆえに自滅への道を歩む。

金を期待するスタッフ、夢を押しつけるファン、さまざまな思惑に悩み、自我が混乱。
新世代に迎合する器用さも持たず、自己崩壊へと・・・。
天才に課されたカルマである。

マスコミは、革命の生贄としたことが、よほど後ろめたかったのか、以後、
彼の死をタブー扱いしてゆく。

メディアから抹殺されるかわりに、神格化・・・が、また金儲けに走る輩、
ベスト盤とか、レクイエムとか・・・。
その繰り返し。

大人たちにテキトーに操られるフリをしながら、テキトーにやりたいことをやる、
そういう処世術を身に付けたアーティストが沢山出てきたのは、彼のお陰かもしれない。
あれから音楽が面白くなくなってきた。

西新宿の歩道橋の上で、彼が見つめていた夕日・・・どんなだったろう・・・。
俺より一歳年上。だから、俺が高校卒業の時「卒業」がヒットした。
で、俺が学生の頃住んでた茗荷谷の近く、護国寺でお葬式。享年26歳。
だいぶ追い抜いてしまった。

彼からは多くを学んだ。
そりゃ、顔だけは持って生まれたものだからしょうがない・・・蒙古顔だし。。あんなにカッコ良くない。

自分なりに、カッコイイ男を模索した。

「夢のある優しいワル&閉鎖的な愛。」が結論。
が、馬鹿じゃしょうがない。ここに「知的な側面」を加える。

キリスト教が教えるような、無償の愛ではない。
そんなものは、母親と子供の間にしか存在しない。

当時の港区麻布、馬鹿な女が、お立ち台の上で踊る。馬鹿な男がしゃぶりつく。

男はテメェの給料をつぎ込んでプレゼントを送る。
女はためらいもなく、それを質屋に持ち込んで現金にしちゃう。
アッシー君だの、メッシー君だの、ふざけた流行語も出た。
あげくは、キャッシー君。

俺はそいつらを横目に高級マンションの引っ越しのアルバイト。
新入女子大生の引っ越しをやらされた。
作業服の俺を、アゴで使う。テメェのパンツまで荷解きさせる。「汚い軍手で汚さないでね!」
男の俺だって他人にパンツ見られるのは恥ずかしいのに・・・。
「そのお茶碗、高いのよ!気をつけて!」白磁の器を自慢する。
俺なんか、アパートで、コッヘル、マグカップで煮炊きして、みそ汁飲んでるのに・・・。

閉鎖的な愛・・・

求められたら応える。応えたら見返りを望む。
信頼関係が生まれる。お前がいるから、俺がいる。閉鎖的ゆえに裏切れない。
「女は三歩下がって男の影を踏まず」 役割り分担。

ところがどっこい、今の政権は、上っ面だけの国民への御機嫌うかがい、蔭ではなにしてるやら。
自らの保身のために、お互い足の引っ張り合い。

求めるのなら、それに応えてほしい。
タバコ税増税!? 大いに結構。
これまた馬鹿。必ず裏ルートができるし、タバコ農家だって生きていかなければならない。
「国民の健康のために・・」とか嘘ぶいているが、取りやすいトコから取ろうってなもんである。

俺が首相になったら、先ず、物品税再開。消費税撤廃。
金が余ってる者から徴収する。公約します!
奴らは、高い金を払って買った!ってのが自慢なんだから・・・。

次回は、浜田省吾をからめて・・・。

2010/01/29

ハーメルンの笛吹き・・・愚痴シリーズV

ほれ、あの、人を利用するだけして、最後は村中の子供を失ってしまうお話。
大量発生したネズミを退治したのと同じ音色で子供たちを操り連れ去ってしまう。
子供の頃、絵本を読んでて、最後に子供を引き連れて去っていく笛吹きの後ろ姿が怖くて怖くて・・・。
しかも洞窟に入ったまま、笛吹きすら二度と出てこなかった・・・。

これも役人が悪い。笛吹きを騙したからから・・。あんな昔の寓話でも唱っているのに・・・。

今も変わらない。甘い言葉で政権を取り、その実態は・・・もう皆が知っている。

ということで、本題。

火薬に火をつけろ・・・

地球上に蓄積された核弾頭、推定で5万発、広島型原爆の100万発相当・・・らしい。
TNT火薬に換算すると、130億トン。
地球上60億人の人間が、一人あたり2トンの火薬を持っている計算になる。
豆粒ぐらいの2B弾だってあんなに痛いのに、カエルなんか粉微塵になるのに・・・。2トンって・・・。
学があるから、具体的な数字にしてみる2000s・・・

道行く人がみんな2000Kgの火薬を持ち歩いているようなものらしい。

更に北の将軍様は黄海に爆撃練習してるらしい。
国力を示すなら、代表者を出して個人戦させたらいいやん。それで勝ち負けを決める。
飛び道具は禁止。
斧とか槍、ハンマー、大刀、ヌンチャク、メリケンサック、笛、全部OK。得意な武器で戦うがいい。

これなら、具体的に危険性がわかるやろ。
階段を駆け上っていて、角に小指を引っかけた時の痛さといったら・・・。泣ける。
あれが、たぶん火薬2gぐらいやな・・・。

・・・予告の、浜田省吾をからめてお話・・・どこいっちゃったんでしょう・・・

2010/01/30

ストーン・スープ・・・愚痴シリーズW

小学生の頃、学習発表会で寸劇をやらされた。

「ストーン・スープ」

遠い昔の、遠い国でのお話。
戦争に負けた軍隊が敗走している。食料も尽きた。

とある村に辿り着き、食料を乞う。だけどみすぼらしい敗残兵を村人は追い払う。
んで、ストーン・スープ。
兵士の一人がかろうじて持っていた盾。
これを鍋にする。薪を焚いて、その盾に川から汲んできた水を入れる。
同時に薪に大きな石を放り込んで熱する。

そして大騒ぎ。
追い出したはずの敗残兵が、村の外れで楽しく踊っている。
みれば、宴の真ん中に大きな鍋がグラグラしてる。中には熱した石だけが入っている。

村人が興味深々に聞く。「これは、ナンゾ?」

「我が国に伝わる滋養強壮不老不死の鍋じゃ!」・・・これが俺のセリフ。
それを聞きつけて村人が集まってくる。一口食わせろという。

「分けてやりたいのはやまやまじゃが・・・、これに鶏肉、チーズ、キノコ、豚肉が入ると、
更に旨くなるのじゃが・・・。」・・・これは上林のセリフ。

それを聞いた村人が、ストーン・スープを食いたいがために。それぞれが温存していた食料を持ち寄り、
石しか入ってない鍋に、様々な食材が投げ込まれる。
酒まで用意されて、明け方までドンチャン騒ぎ。

あくる朝、目を覚ました村人は目にする。そこにはなにも残っていない。
敗残兵は腹いっぱいで立ち退いていた・・・。(俺も高笑いしながら右袖に立ち去る)
純真な村人を騙して、私腹を肥やして去っていく。

なんか、今の政治そのまんまやん。
遠い昔の遠いお国の話なのに・・・。

ってか、そんな話を選んで子供に演じさせた教師!
今だからわかる。あの頃の教師はまさに聖職だったと思う。
どす黒い世相に、こんな風刺で教えてくれたのだと思う。

次の年は、エーデルワイス。これは反戦やな。
10メートルぐらいの茎を作らされて、
本番でそれを抱えて「え〜でるわ〜ぃす・・きぃよらかな はぁ〜な〜」
あれも、ナチスとオーストリアとかのグダグダを・・・。
当時は、白いタイツをはかされて、緑の葉っぱを頭につけて、
わけもわからずやってたけど、先生が、無言の教育してくれてたんだな〜。

ということで、本題。

白いタイツだけは勘弁してくれ

・・・予告の、浜田省吾をからめてお話・・・どこいっちゃったんでしょう・・・

2010/01/31

赤ちゃんコンクール

愚痴も尽きたので、元のスタイルに戻る。

俺が赤ちゃんの頃、まだ日本が貧しかったのでしょう。
赤ちゃんコンクール」というのがあったと聞く。
栄養失調とか、様々な病気から子供を守ろうと、
親たちに、育児を頑張れというような啓蒙活動だと思う。

当然俺も、出品された。・・・らしい。
先生が次々に子供たちの健康状態を調べる。
体重計に乗せたり、身長を測ったり、チンコをつまんだり。

そしたら、、俺の番が来たら、あれこれされてるうちに、
ゲラゲラ笑いながら先生の顔に向かって俺がションベンをぶちまけた。・・・らしい。

先生もゲラゲラ笑いながら、「今年はコイツが金賞だ!」
と、記憶にはないけど、産まれて間もなくに、金メダルと、黄金のアルバムをいただいた。・・・らしい。

その黄金のアルバムに、白黒写真から始まって、
最後の方はカラー(天然色)。様々な写真が残っていた。

・・・・しかし、見てみると、いかにも不細工な俺。
よくもまぁ、橋の下に捨てずに育ててくれたものです。親に感謝せねば・・・。

ってか、東京オリンピック記念!? 赤い文字は読めないし・・(せんだん?)

俺が生まれる2年前じゃん!

在庫処分!? なんともアバウトな時代やなぁ〜〜^^

第○回赤ちゃんコンクール優勝」では?

ま、いいか・・・これに収まってる写真を検証しながら、
当時をしばらく振り返っていこう。訪れる人は似たような世代だろうし・・・。
アポロ 月に着陸の日 おたふくかぜの Tarou
という題名の写真があったりする。
親父の文字で・・・。

追記・・・
調べたら、
”栴檀は双葉より芳し” (せんだんはふたばよりかんばし)
(栴檀は発芽したころから芳香を放つことから、 優れた人物は、幼いときから他と違って 優れていることを示すことわざ)
ですって・・。照れるやん!

追記・・・
更に調べたら、なんか地味〜〜ぃな木だった。

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